告発文

参ったネ、こりゃ。


眉を顰めてちら、と窓際の席を見る。
案の定こちらを見ていた茜は呆れたように肩を竦めた。
『弱っちゃったね、とあの子は言う』なんて心の中で呟いた。
案の定その通りに口だけが動いたのを横目で確認する。ふふん、名推理。

これは私たちだけじゃなくてクラスのあちこちで似たようなやりとりが行われている。
情報通で有名な放送部の堀北さんがいるグループのメンバーはこうなることもわかってたんだろう、机の上に教科書がない。
気の強い藤田さんやちょっとイヤミな渡さんなんかはあからさまに下を向いて少しでも失笑の様子を隠そうとしていた。
そして大半の男子はどうでも良さそうなカンジで頬杖をついたり机の下で携帯をいじっている奴までいる。どうせ女子の問題だろ?とでも言いたげだ。

教卓の前には担任のリック先生。
本人は名字の常陸の陸の字から取られていると思っているようだが違う。
別名ヒストリーのヒステリー先生。まだ自分が若くて生徒の気持ちがよくわかっている、みたいな顔をした35の女性だ。リック、リック、ヒステリック!
今日は一段と悲しげな顔で拳を握りしめて熱弁をふるっている。
「みんなと仲良くしましょうね。いじめなんて良くないわ!大丈夫よ。みんなならできるわよね?先生みんなのこと信じてるから!」
ハイハイ。リック先生が喋り始めて早15分。言い方は違えどこれを繰り返し言っているだけだ。
おい。そこの男子あくびすんな。リック先生が爆発したらどうすんだ。
案の定リック先生は眉を吊り上げてヒステリックに叫び始めた。口角に泡を吹いて高音でキャンキャン喚いている。
「先生はみんなのためを思って言っているのよ!清水さんのためだけじゃないの!気に入らないからって虐めて解決すればいいなんて思ってたら社会に出たときに苦労するのはみんななんだから!」
さすがはリック先生だ。私たちに弁解を許さない見事な弁論。心底私たちのためを思ってくれている。あえて厳しいことを言って私たちを全うな道に戻そうとしてくれている。
これでもうちょっと的を射た発言ができれば完璧なんだが。
さっき欠伸をした斎藤君を睨んだ。ゴメンちゃ☆と舌ぺろをするのにため息をつく。
さて、そろそろ向き合わなければならないだろう。

机の上に置かれた一枚の紙を見る。
虐めに関するアンケート、と大きく書かれたその紙は今もみんなの机で白紙のまま記入を待っている。
わざわざリック先生の字で清水さんへの、なんて書き足されてるのがさらに涙を誘うネ。腹筋を鍛えるのにも役に立つ。
茜が同じタイミングで紙を見て、すぐさま俯いた。背中が震えているので多分笑っている。
自分の演説に感動しているとでも思ったのかリック先生が酔っ払ったような顔で満足げに頷いた。
教室内に漂う雰囲気にはついぞ気がつかないでいるらしい。
どうやったらそんな鈍感になれるのか逆に教えて欲しい。尊敬するから。
「それぞれみんな書いて、放課後までにここに置いてある、投票箱に入れてね。誰が書いたかはわからないように、名前を書く欄はないし、他の人には見れないようにちゃんと鍵がかかっているから安心してね。みんなの正直な気持ちを聞かせてくれると嬉しいな。みんなが反省したら清水さんだってきっと許してくれるわ。そしたらまた、みんなで仲良くできるわよね?ね、浦川さん?」
名指しされた茜が慌てて顔を上げる。
茜が何か言う前にリック先生は後の二時間は自習にしてもらったから、自分の気持ちと向き合って見てね。と言って教室を出て行った。二時間も何もリック先生のご高説のおかげであと一時間と少ししか残っていない。
誰彼となく教室の隅でぽっかりと空いた誰もいない机をチラ見する。

どうやら私たちはそこの席である清水ののかを虐めていたらしい。
はあぁ?と誰かが言った。ため息というには声に近く抗議の声というよりは漏れ出た音に近い、ハンパな声だった。
知らねー!と器用にも小声で叫んだ奴もいる。
その他、顔の筋肉が固まっているのではと思うくらい神妙な面をしていた連中も今は人が変わったみたいにメンドくさそうな顔をしていた。
私も多分似たような顔をしているだろう。
それで?と学級委員長のナッキちゃんが立ち上がって辺りを見渡した。
分かり切った答えを聞くのもあれなんだけど、とかすかに前置きして口を開いた。
「私たちが行なっていた清水さんへのいじめについて心当たりのある人はいる?」
微妙な半笑いがクラスを駆け巡る。だよね、とナッキちゃんも答えを聞くことなく座った。
リック先生とやっていることは似ているのに受ける印象が全然違うのはナッキちゃんが私たちと意思を共有しているとこの瞬間は全員が理解しているからだ。


今日の朝清水さんが学校を休んでいることに気づいた。
昼休みに堀北さんが清水マミーが今学校に来てるんだって、と言っているのを聞いた。
五時間目の授業が始まる直前に担当教員でなくリック先生が入ってきた。
プリントが配られた瞬間の衝撃といったらなかった。
みんなに無視されて、虐められてる、と清水さんが言ったらしい。だからもう学校にはきたくないらしい。イジメなんて良くないわ。
うちらもう高校三年なんですけど?と言いそうになった。
そこからはもうリック先生の独壇場だった。私たちがイジメをしたと決めつけて否定を繰り返し、しまいにはみんなのためを思う自分に陶酔して出て行った。あれは自分の受け持つクラスで問題が起きてしまった悲劇とそれを解決する自分に酔っ払っていたんだと睨んでいる。
小声でばっかじゃネーの?と言ったのはアメフト主将の藤巻くん。
そんなこと言われたって困るよネ。と遠藤さんが頭を抱えている。彼女を含む成績上位組は推薦を狙っている人が多いから今回のような問題は致命的なんだろう。泣きそうな顔をしている男子もいる。
で、なんて書くの?さざ波のようにさわさわと広まる疑問にはみんな微妙な顔をした。
つかリック先生もアンケートとるならその場で書かせないと。せめて先生が教室にいるくらいしないと相談されてしまうってわかんないのかな?まあ、匿名とかこのクラスで起きた、じゃなくて清水さんについての、とか名指ししちゃう先生にそれを求めるのも酷か。
本当のこと書くしかないんじゃない?とさわめきの中に小さく言葉を流した。
信じてもらえんのかなぁ?だってアレ、リック先生は俺らのこと完全に悪者にしてんぜ?
清水さんも清水さんだよ。なに?無視されてるって?ウチらそんな暇じゃないんですけど?イマドキ小学生でも言わないよネ?
ちょっと大きめの声で言ったのは渡さんだ。クスクス、と腰巾着のぴいが笑った。
彼女はもともと美代ぴいと呼ばれていたのがいつの間にかぴい、とかぴいちゃんとか呼ばれるようになっている。お調子者だが可愛い女の子だ。
クラスの中で別に低くはなかった清水さんへの好感度がどんどん下がっていくのが肌で感じられる。
そう、別にいじめなんかどこにもなかったのだ。


参考までに私のことを教えておこう。
私は相川翠。北野高校三年四組出席番号は安定の一番。
所謂オタクってヤツだ。親友はおんなじクラスの浦川茜。ついでに隣のクラスの旗本泉。いつも昼はこの子たちと食べている。
昨日は朝から寝坊して慌てて学校に走った。ギリギリで滑り込んで同じくギリギリだった茜とハイタッチ。まあこの子はいつもギリギリだ。
隣の席で小テストの勉強をしていたナッキちゃんに範囲を聞いて自分も小テスト用のプリントを広げる。あとはホームルームが始まるまで勉強をしていた。朝練を終えて汗を拭きながら帰って来た陸上部が教室に入って来るのを横目で捉えてお疲れサマ。と言って飴を近くの席に座った子にあげるとラッキー!と叫んで口に放り込んだ。
ホームルームではリック先生におはようございます、とだけ言って後は小テスト用の勉強しかしてない。
小テストの結果に撃沈してうつ伏せていると茜につむじを突かれて移動教室だよ、と言われて慌てて立ち上がった。
授業中には先生の話を聞いてちょっと寝て、落書きをして、ちょっと寝る。
そうこうしてるうちに昼休みになったので隣のクラスに行って泉を呼んで私たちの教室に戻った。
茜の席の周りはバレー部の面々が多いので空席があるから全員が座れるのだ。昼休みは部室で食べているらしい。昼ミーとはお疲れ様だ。
離れたところで食べている堀北さん達の声を聞きながら弁当を食べ終えて後は小テストの書き取りをしながら昨日のアニメについてだらだら喋って昼休みが終わるのを待つ。ちなみに小テストに茜と泉はちゃっかり受かったらしい。名前と顔は頭良さそうなんだけどね、なんて笑う泉の頭を軽く叩いた。悪かったな。
午後も落書き、妄想、ちょっと寝る。
帰りのホームルームを終えてナッキちゃんにじゃネ、と挨拶をして茜とともに教室を出る。目指すはパソコン教室、私たちの部室だ。ちなみにこの文芸部、部員は泉、私、茜を含む三年八人二年三人一年五人、週二回ののんびりとした部活だ。活動は主に年二回の文芸誌のみ。
二時間ほどの部活を終えて帰宅。私は一人方向が違うので正門で泉、茜と別れてぼっちだ。気力があればこの後一人で古本屋に行くしなければ帰る。或いは茜達について近くのファミレスに連れだつ。
宿題をうっちゃってお風呂、アニメ、深夜に就寝。
色々と言いたいことはあるかもしれないが大抵の高校生なんてこんなもんだと思う。ありがちでしょ?
ちなみに茜も似た感じだ。休み時間は多少周りのこと話してたかもしれないが大体は私と一緒にいた。
で、そろそろ私がイジメなんて無かった、というわけがわかってもらえた頃だと思う。
私が昨日話したのは茜と、隣の席のナッキちゃんと、近くの席に居た数人。昼休みの堀北さん達は一方的に話を聞いていただけだからノーカン。
堀北さん達もそうだろう。自分たちのグループと、周りにいた数人。
いくつかのグループを渡り歩いている人も堀北さん含めてまあいたがそれも基本的に所属するグループがいくつかあるってだけでそう変わらない。
なにが言いたいのかはわかってもらえただろうか?
話をしていない人の方がずっと多いのだ。でも、高校生ってそんなもんだろ?新しい学年になって、クラスのメンバーと喋ってみて、気が合いそうならおんなじグループになるし仲良くなれなかったら違うグループに行く。
気に入らないからって虐めたりする程ガキでもないしみんなと仲良くなんて幻想を抱くほど綺麗でもない。
清水さんが嫌いなわけでも、無視してるわけでも、ましていじめてるわけでもない。
私にとって清水さんは渡さんや藤田さんのグループと同じ自分のグループに所属していない人、というだけであって単なるクラスメイト、という印象しかないのだ。
ただ、清水さんがどこのグループにも入っていなかった。単なるそれだけの話なのに泣いて登校拒否して親に言いつけ、受験や推薦を控えているクラスメイトに教師からの悪感情を植え付けた。それってどうなのヨ?ともオイオイ大丈夫かよ?とも思うわけでありまして。
友達じゃないから談笑しない。と無視している。とは明確な区別が存在している、と思う。
だって、みんな清水さんに用事があるなら話しかけるし、なんなら二言三言会話だってする。
理科のハゲ先生が寒いギャグを言った時にはヒソヒソっと囁いたりして揶揄するときもある。あたりまえだ。友達じゃないだけで嫌ってはないのだから。
それも清水さんにとっては思い出したように優しくしてご機嫌を取ろうとしているだけの行為でしか無かったのだろう。
リック先生が喚いていたときにそんなようなことを言っていた。
ガキかよ。藤巻くんがもう一度大きな声で言った。幼稚園児じゃねえんだから。とも言った。
登校しないのは勝手だけどさぁ?渡さんが嘲笑した。
評価下げるなら自分だけでやりなさいよ。なんで私たちがあいつのご機嫌取らないといけないの?
普段は大人しくて穏やかな東山さんが顔を歪めた。大和撫子そのものと名高い東山さんの怒り顔はなかなか迫力がある。呼び方もあの子、からあいつ、に変わっている。これは久々に見たガチ怒りってやつかもしれないな。

全員が普段通りの日常を過ごしていただけなのだ。謝りようがない。
でも、それじゃあリック先生は納得しない。あの先生は私たちが「ごめんネ、もうしないよ。仲良く遊ぼう」と言って頭を下げて握手をして、涙の抱擁を見せることをお望みなのだ。そしてその状態を卒業までずっと続けることを望んでいる。
雨降って地固まる。あの先生はそんな夢をずっと眺めているのだ。
そして、それは私たちには許容できない。誰だって学校生活は楽しく過ごしたいのだ。それを誰か一人のために気を使って?異物を取り込んで過ごす?無理を言う。
だってすでに清水さんは私たちや他のグループには合わない人だ、と判断されているのだ。
新学期の見極めの期間で、そして今日、昼下がりのこの時間に。
クラスメイトとして接する距離感を間違えたとは思わない。だって他のクラスメイトとはそれでうまく行っているのだから。
普段ならば気にしていないはずの小さな染みに気づいて仕舞えば気になってしょうがなくなるように、今クラスに潜む小さな異物に全員が気づいてしまった。

アンケート用紙は未だ白紙のまま、チャイムは今にもなりそうだ。
茜とまた目が会う。弱っちゃったね、参ったネ、とお互いにもう一度同じことを言う。
偽りの友情か、それとも…
今は無く、明日にはある。
それが清水さんへの友愛ではないことだけが確かだった

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