特例法の「???」を考える②〜女の被害は非合理とする法〜


■特例法の性格、価値観


・性別は人格の基礎ともなる

・法令上、性別は、基本的に、生物学的な性別によって客観的に決定されるものであり、個人の意思によって左右されるべきものではない

・性別は、憲法第13条幸福追求権にも関わり得るが、「性別の自己決定権」まで保証しているとはにわかに考えられない

・現行法秩序において解決困難な問題が生じることでの区別は合理的理由があり差別ではないので「憲法第14条の平等原則」でも否定されない

・他の国がどうだろうと、ただちにそれが背景の違う日本でも同じ正当性・不当性をあらわすものではない

・私的なだけのことがらの決定と、公的な側面も持つ性別の決定では、へだたりがあることを考慮すべき

・社会的に大きな影響を及ぼしかねない性同一性障害者の性別取扱いの変更の制度化のためには、厳格な要件の下で性同一性障害者の性別の取扱いの変更を認めることとすることもやむを得ない

・問題は、社会的あるいは法的に許容され得るかどうか、である

■え、じゃあ特例法の存在自体、おかしくない?

立法の際の性格と価値観が上記なので
なんで成立し得たのか、はなはだ謎ではありませんか?

上記からすると
特例法の存在自体が「違憲」であるはずです。
(し、実際、違憲だよねこんなの…)

ここまで
「法令上の性別=生物学的性別だよ。その定義を壊すのは、俺の自由!では済まないんだよ。社会に解決困難な問題を生じさせて、影響を与えることだってある、重大な区別なんだからね。え?他の国は認めてるって?うちはうち!よそはよそ!」
と言っておきながら、
なぜそんな影響をゆるす法律を、制定できたのでしょうか。

答えは「天秤」にあるでしょう。

・法的な性別は基本的に生物学的な性別で決められる、が、例外として、法令の適用の関係においてのみ「他の性別に変わったとみなす」。生物学的性別を変更するものではない

このように、事実は事実として変わらないんだけど、虚偽を事実より優先する場合を、例外として設けるよ、としたんですね。

つまりこれを叶えるには、
事実と虚偽を載せて当然に「事実」へと完全に傾いている天秤で
「例外」=虚偽に重きが置かれる傾き、になるまで
「合理的理由」を虚偽の皿へ載せてあげればいいのです。

(🧶天秤に、事実と虚偽を載せた時点で間違っているんだよ、
経産省の例を見てもわかるとおり)

■「抽象的な不安にて失当」

私がたびたび怒っている件のひとつ……
「抽象的な不安にて、失当である」

これは「男に女性専用の場に入られたくない。怖い。危険だ。やめろ。ていうか男だから入る権利ないだろ」という女性たちの至極まっとうな指摘に対する、
弁護士たちの見解です。


要するに、大石あきこ議員の言い放った有名な
「(女子トイレに男が居たら)怖い?気にすんなってwおまえが怖いってww」
を法の専門家らしい言葉で表現したものですね。

彼らが言うには
すくなくとも女子トイレは個室で、他者の性器の形状なんて見えないんだから、それでも男性を忌避するなんて抽象的=「合理的な理由ではない」ので、差別ですね、ということです。

※なお、この「抽象的」の範囲は弁護士によってさらに広がります

(トランス女性のペニスは男根じゃなくて女根でしょ?と言った弁護士も居るしね)

■女性女児の尊厳安全生命は「合理的理由」にならない

特例法の性格が冒頭のようなものであるのに、「例外」を設ける法律が成立しえた、ねじれのような現実。

それはつまるところ、

天秤を「事実」のほうへ傾かせる「合理的理由」として、
女性女児の尊厳安全生命はまったくと言っていいほど考慮されなかった・無価値だったことを示します。

この日本において、この
女性蔑視を通り越した女性の人格透明化(しかし女体搾取はする)が国の価値観であるというのは、
現状把握としてはそう間違っていないと考えます。

要件1~5と解説本を見ると、国の思う「合理的理由」は

・子の福祉
・婚姻制度、戸籍制度という法令上の解決困難な混乱
・女が、見るからに陰茎らしい陰茎を直視せず済むこと

のことのようです。

唯一女性のことを考慮していると考えられるのが「公衆浴場などでの社会的混乱」ですが、これを「でも、陰茎が女性器に近似してる感じだったら」OK判断としましたね。(要件5)
女性は「要件を満たした男となら混浴しても平気だから、社会的な混乱は起きないよ」と、
虚偽の方へ天秤を傾けたのですね。

そうして女性の尊厳安全生命の保護に関して「国が合理的だと認める範囲」は、多くの女性の価値観と大きく乖離した範囲へと規定されてしまいました。

■最高裁の判断はどうなるだろうか

ではここで、0927最高裁の、代理人による弁論を書き取りしてくださったXを見てみましょう。

私はこの弁論と、上記に述べてきた日本の価値観とを見比べてみて、
「この弁論のすべてに完全に反論することは不可能では?」

と考えています。
皆さんの見解を知りたいところです。

現行の要件の解釈から言っても、抗告人男性が特例法の要件にまったく合致していない、とまで断言できる理屈がみつかりません。
(だから、裁判起こさなくても、個人判断で通った可能性あるのでは?社会を変えようとは思ってないというしおらしいふうな弁論ですが、判決が出れば決して個人の範疇に終わらない裁判を、起こした意図はあるんじゃないの、と思います。少なくとも、活動家たちにとっては※1.後述)

また、
特例法の存在自体が、日本では”女性女児の尊厳生命安全は「合理的理由」にならない=抽象的な不安で失当である”ことの証明そのものなので
その証明そのものな特例法が存在する状態で「抽象的な不安で失当な理由をもってして、個別判断や要件自体の緩和を防ぐこと」は
同時に成り立たないのでは?と思います。

■違憲判決が確定しうるもの

※1.
今回、おそらく個人判断でまあOKと解釈もあり得たのでは?
と考えられる抗告人について、
裁判が行われた理由を推察してみます。

判例が出れば個人的なことだけで済むわけがありませんからね。

違憲判決!や、個別判断でこれもOKと公認が出た場合、

日本では”女性女児の尊厳生命安全は「合理的理由」にならない=抽象的な不安で失当である”
という特例法の証明をいっそう強固なものにし、適用範囲を広げ、
更に女性侵害へと大きく進むことになるでしょう。

私の予想では
個別判断でこれもOKと公認
→医師と家裁が「どこまでなら解釈可能かレース」のスタート
→社会的混乱が起きていない・女性はいやがっていない・これですでに女性として生活している男が居るんだ!という既成事実を積み上げる(もちろん、いやだやめろの女性の声が過激派の差別として無視されるのは現状を見てわかるとおり)
→要件撤廃・特例法の改正
を狙っているのでではないですかね?

また、今回の弁論を認めることによって、性別というものへの憲法上のとらえかたも、変わり得ます。
とても怖いです。
しかし、特例法がある限り、これらは通り得る状態である、と考えます。

だから私は「特例法自体にNoを言おう。特例法を廃止し、性別の法的取扱いの変更を禁止する法律を作って。それしかない」と言っています。


■殴るのも包丁で刺すのも加害である

「特例法自体は、困難を抱える性同一性障害者のために必要な、貴重な法律なんです。私たち女性は、今の要件を満たした男性は、安心と信頼で受け入れてきました!だけど、男性器そのままで受け入れOKとされるのはだめです!」
こういった主張があります。

勝手に女性たちが受け入れてきたことにされているうえに、
決してそう考えていない人にも「はい、そうです」と言わせた経緯をもつため
とてもかなり非常に有害きわまりない主張ですが、
この主張、たとえるなら
「殴られるのは好きだけど包丁では刺さないで」ではないですか?

「殴らないと生きていけない男性のことは、加害の意図はないって信頼して安心して殴られています。でも、包丁で刺したいっていう男性は、別だと思うんです!女性の命に関わりますし!」
こんなことを言っていて、何が守れるでしょうか?

「じゃあ、刃渡り何センチまでならいいかな?」
「刺さないと生きていけない人のことはどうでもいいのか」
「殴られて死ぬ人も居るのに、なんで刃物だとだめなの?」
「刃物で刺したい人にとっては、この包丁は刃物ではなくて拳ですよ?」

「えー?それでも刺されたくない?殴られるのはいいのに?
抽象的な理由だなあ……失当だよ」




続きます

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