応仁の乱 室町幕府は戦いを避けることはできなかったのか

応仁の乱は中学生でも知っているが、高校生でも理解することは難しい。理解には、①基本的な事実関係 ②そうした事実が起こる理由 の二つがある。

私のように1960年代に高校で日本史を学んだ人は、このように理解していると思う。

1 足利義政が将軍を弟の義視に譲ろうとした。義視の後見は細川勝元。

2 日野富子が足利義尚を生み、義尚を将軍にしようと山名宗全に頼った。

3 東軍は細川勝元・足利義視 西軍は山名宗全・足利義尚(日野富子)

ところが、今の高校生が使っている実況中継という参考書を見ると、1468年の東軍は細川勝元・足利義尚 西軍は山名宗全・足利義視。さらに、教科書の注によれば「1467年、東軍は義政・義尚・義視を手中にしたが、1468年、義視が西軍に走り、東西二つの幕府が成立した」と書いてある。

1960年代に学んだ知識と異なっていることは二つ。山名宗全と足利義尚(日野富子)が手を組んだことはない。足利義視は東軍から西軍に移った。

ちなみに、受験生のバイブル日本史用語集の山名宗全の項目には「初め日野富子と足利義尚を支持、1468年以降は足利義視・・を後援して・・」、細川勝元の項目には「義政から義視の後見を託されるが、1468年以降は足利義尚らを後援して・・」と書いてある。

教科書・参考書・用語集の記述から、高校生は応仁の乱の事実関係をどのように把握するのだろうか。高校生だけでなく、私のように政治経済や世界史をメインにしていて、ときどき日本史を担当する高校教師はどのように理解するのだろうか。近年は、高校の教師もやたらと忙しくなり読書の時間が少ない。いきおい、サブ科目は教科書・参考書・用語集・スタディサプリ程度で授業をすることににることもある。

高校を退職して、高齢者大学で世界史ではなく日本史を担当することになった。一念発起、まじで日本史を勉強してやろうと、岩波新書・中公新書・岩波日本史講座を読み、オンライン講座で大学の先生に教えてもらうことにした。一念あまり経過して、やっと応仁の乱の事実関係は理解できた。

要点をまとめると。

日野富子は次期将軍は足利義視でよいと思っていた。富子にとって最善は、義政→義視→義尚。義政→義視→義稙は許容範囲。

足利義政が将軍になった頃は「畠山権勢無双也」という状態で、細川勝元と山名宗全は連携して畠山持国に対抗し、畠山家の分裂を図っていた。

というように、将軍が義視か義尚かは問題ではなく、したがって日野富子が応仁の乱の原因にはならない。応仁の乱がおこる直接のきっかけは、山名宗全が畠山義就を引き入れ細川勝元と袂を分かったことにある。

足利義視が、はじめ東軍にいて、途中から西軍に移るというのは、高校の教科書・参考書では説明ができない。それは、伊勢貞親というカードが一枚欠けているから。足利義政の側近である伊勢貞親というカードをくわえることによって足利義視の行動が説明できるようになる。

以上のことを説明した動画がこれ。

私の知識が、高校で日本史を教えるレベルから飛躍するきっかけになったのは一年前のオンライン講座。私が生徒で、秦野祐介先生と金子哲先生が解説してくれる。その授業の録画がオリジナル。

高校の授業とは質が異なる知識がたっぷり。

応仁の乱が発生した時点で、京都(朝廷と幕府)のトップは後花園上皇。幕府のトップは、将軍が足利義視になろうが義尚になろうが足利義政。

応仁の乱で不可解なのは、権力の頂点を奪い合う戦いではないのに大乱になってしまったこと。壬申の乱とか、承久の乱とか、関ヶ原とか、鳥羽伏見とか、というような戦いと違い、細川勝元も山名宗全も天皇や将軍を倒して自ら頂点に立とうという意思はない。畠山や斯波は家督争い。

治天の後花園上皇や将軍の足利義政の地位は揺らがない。細川勝元・山名宗全・畠山義就・畠山政長・・・・皆、目先の利益を追いかけているだけ。それなら、後花園上皇や足利義政が命令したり調停したりして、戦いを回避できそうなものだ。でも、それができない。何故?。

というような疑問に、大学の先生が答える動画が以下のふたつ。

前半は、日野富子と伊勢貞親が主役。高校の授業の範囲を少し超えた解説。

後半は、公武一体化した室町幕府の実質的トップは後花園上皇(1467年に後花園は40才、義政は32才)。細川勝元と山名宗全が軍事動員をかけるなか、後花園上皇や足利義政はどのように行動したのか。何故、応仁の乱を避けることができなかったのか。こちらは高校の授業とは異質の解説。

一年前のオンライン講座はYouTubeで公開することを予定しておらず、そのうえWiFiが不調で録画の状態がよくない。それを再編集して、両先生の解説が聞き取れるようにした。一年前の私なら無理。この動画を再編集できたのは、一年間のオンライン講座の成果。フランスの哲学者ルイ・アルチュセールまで登場する、応仁の乱の分析。だから、大学の先生たちの話は面白い。

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