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高校日本史 古墳 飛鳥 奈良時代

「社会人のための高校日本史」は、高校の日本史をベースにして高齢者大学の日本史講座向けに作り直した動画です。このシリーズは古代。神武天皇から邪馬台国・飛鳥時代・奈良時代まで時系列になっています。

神武天皇は皇紀1年(紀元前660年)に即位したと日本書紀は記述する。日本書紀が採用したといわれる辛酉革命説とは何か、神武天皇・持統天皇など漢風諡号はどのようにして決まったのか、など高校の教科書の周辺にあたる話題から日本史を始めます。

江戸時代まで卑弥呼と神功皇后は同一人物と考えられていた。戦前の日本史のヒロインであった神功皇后と、今の日本史で人気のある邪馬台国を扱う。最初の古墳とされ箸墓古墳は卑弥呼の墓なのか。古墳の研究・纏向遺跡の発掘によって、邪馬台国ヤマト説は検証の段階に入った。

5世紀になると宋書倭国伝に「倭の五王」が登場する。倭の五王は雄略天皇等に比定されている。武烈天皇に後継者がいなかったため、大和以外の地から継体天皇が皇女の婿として迎えられ、二人の間に欽明天皇が誕生する。すべての皇統は欽明天皇にまとまり、欽明天皇から分化していく。

推古天皇の次の世代には竹田皇子・押坂皇子・厩戸皇子がいたが、竹田・押坂が若くして亡くなる。厩戸(聖徳太子)は推古天皇の娘・蘇我馬子の娘を后とし、推古政権の後継者として政務に参加した。推古政権の外交課題は遣隋使。中国の史書では600年、日本書紀では607年に遣隋使が派遣された。

皇極天皇は乙巳の変で大臣蘇我入鹿を失い、孝徳天皇が即位する。しかし、653年、皇極天皇は孝徳天皇の皇后や皇太子の中大兄を引き連れて倭京に戻り孝徳天皇を孤立化させ、655年には重祚して斉明天皇になった。661年、斉明天皇は自ら日本水軍を率いて筑紫へ遷幸、百済復興をめざしたが。

天智天皇は皇位継承を直系継承に変えようとしたが、天武天皇は近江朝廷を壬申の乱で倒し皇位に就く。持統天皇も直系継承をめざすが、草壁皇子・文武天皇が若くして崩御、女帝が相次いで即位することになった。持統天皇は藤原氏と協調し、聖武天皇は光明子を立后、安倍内親王の皇太子にする。

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