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純粋なものに笑ったり泣いたりしたい

昨年くらいから何だか少しおかしい。私も周りも社会も。

おかしいことは地球誕生以来ずっと起こり続けているので、私が生まれてから数十年余の統計として。うちのおじいちゃんくらいからしたら、1940年代が一番おかしくて、今なんかもう余生の祭りくらいにしか考えてなさそう。笑

これまでの辛いことたちは、どーんと一気にやってきて、一時期ワーワー喚くけど、そのあとは以外にアッサリしてた。毎年来る台風のように。今はひとつの歪みがドミノのようにバタバタと周りまで崩しておかしくなっていっている。

異常事態とそれにまつわる彼是に関して、じっくりと考えることができてしまう時間の余白。それがこの気持ち悪さを助長している。

今は、どこを見ても煙が出ている。楽しいことがあっても、ふと対岸の煙が目に入ってきて、あぁそっかまだ大火事だった、とまたどんよりしてしまう。

煙に敏感になったこともあるかもしれない。ふとSNSを開いてしまう。それは親指のツータップで済んでとても簡単で、知りたい情報が何でも入ってくる。悲しみや憎しみも苛立ちも共有すれば半分こ、と言うけれど、誰かの怒りや正義の呟きにホッとしてしまう事もあって、それでいいのかな、と思ったりする。せめて、自分は楽しいシェアをしていきたいけど、それによって辛い人がもっと辛くならないだろうか、感情を逆なでしないかと不安になる。自分も、SNSが無ければ出会うことのない人の素敵すぎる生活を見て、勝手に(本当に勝手に笑)落ち込みそうになる事もある。

そんな中で市井の悩み・ジレンマを最も簡単に解決できる方法を教えてくれるコンテンツやら、逆に「みんなこう言うことで辛さ感じてるよね〜」と現代の代弁者ぶって辛さの共感を呼ぶするコンテンツがよく目に入ってくる。それを見るたび、評価されるのを見るたび、(見てしまう自分もいるけど)ザラっとした気持ちになる。「共感する」「誰かと語りたい」「勉強になる」そんなコメントが連なっている。そんなに感情をシェアすることは簡単で、たくさん学ぶことはいい事なのだろうか。

そう思いながら、リアルタイムでハモネプを見ていて、めちゃくちゃ感動してしまった。今まで何も思わずに見てたのに。笑
決勝だったのでクオリティもさることながら、学生たちの努力がひしと伝わってきた。ワンフレーズを聞いた瞬間に鳥肌が立った。その上で、みんなすごくニコニコしてて楽しそうだった。

良いものは、一見単純で面白くて、でも深みがある。何回も見れるし、長い間忘れていたのに、ある瞬間にハッと思い出す事もある。

すぐに答えが見つけ出せないことも多い。でもそれでいいのだ。

私はアホなことで笑いたいし、皆にバカにされるようなしょうもない事で泣きたい。そして自分が簡単な方に流されなければ、この世の中は素敵なもので溢れている。

素敵だなと思うものをゆっくり探して、じっくり時間をかけて楽しんで、いつかだれかと偶然それを共感できたときに心から感動できるような経験をして、私は生きていきたい。それは、辛い事においてもそうかもしれない。傷はほとんど癒えるけど、綺麗になるには時間がかかるもんだから。

社会的にも、この何だかおかしい状況は今しばらく続きそう。定期的にザラっとした日常に流されてしまいそうになる。だけど物事は時間をかけてゆっくりと出来ていくから、焦らずに目の前のことをコツコツやれるように、ここに記した。たまにしょうもないことで笑ったり泣いたりしつつ。

あと、「ちょっと〜なんですね、ということは…」みたいな回りくどい構文と、「ちょっと」を多用する人は信頼せずに生きていきたい。

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