13年目の3月11日

 元日に能登半島において悲惨な災害が起こったことから始まった2024年は、きっとこの先も忘れることが出来ないだろう。年始のためか、被災の状況が分かるまでの時間がだいぶ遅かったようにも感じた。

 そして、3ヶ月が経ち、ようやくわずかだが仮設住宅に入ることが出来た人たちが出て来たり、
建物が崩壊した事による瓦礫の処理をする人たちをテレビを見ては、安堵し、応援する日々。
使命を持って一生懸命、頑張っている人たちには頭が下がる。

 被災された人たちが、どうぞ心安らぐ日々が早く訪れますように、心からそう思う。


 そして、東日本の震災・原発事故から13年の東北、まだ復興は半ば、新たに作られたコミュニティの問題や、家に帰れない人たちが居る事を忘れてはいけないと思う。


 去年の夏、震災後はじめて、以前、家族と出掛けた場所に行ってみた。何度もキャンプをした場所だ。あるはずのモノは全て無くなり、新しく平地に整備されていた。 


 福島県相馬市に松川浦という場所がある。津波で壊滅的被害を受けた処だった。ネットに写真を載せている方がいて、その様子を見ることが出来た。

 其処に、とても美味しい料理を出す魚屋兼料理屋兼旅館をしている店がある。私の好きな店。海の直ぐ側にあるから、「店のご主人はどうしただろう」と心配になり、ネットで行方不明者の中から名前を探した。 

「あった」「見つけた」
避難所にいることがわかりホッとしたっけ。

 松川浦は、復興し道の駅ならぬ浜の駅が出来ていて休日なんかは大賑わいだそう。そして、私の好きなその店は仮店舗で店を開いていた。「斎春」という店。


 
 東京電力福島第一原子力発電所の事故に関しては、分からない。これからどうなっていくのかわからない。きっと次の世代まで残るだろう。負の遺産だ。


 地震が起きた時間、黙祷をした。

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