神様になった日のセカイ系とボーイミーツガールからの考察

2020年10月-12月クールのアニメ”神様になった日”の世間的な評判が悪く、さらに原作者さんも行方不明であるということを見てしまったので、個人的な考察を書かせていただきます。

私の場合はこの作品は、単体で見たというよりもセカイ系*ボーイミーツガールのコンテキストの一部として拝見しておりました。

強大な敵とそれに重要な影響を与える少女。その少女と男性が出会って展開されていく物語です。

代表例は調べればたくさん出てくると思いますが、

基本的には、
・敵は強過ぎて、基本的には負け戦になる
・物語後には、2度と少女は男性に会えないという展開が多い

というところが何とも歯痒く、独特の余韻を残す点だと考えます。

今回の”神様になった日”が他の作品と違う点としては
・敵は強いが過去の類似作品と比べると弱い
・少女と男性が”意図的に”出会ってしまう
・男性(と視聴者)の虚無感

という3点が挙げられると思います。

一つ目の
“敵は強いが過去の類似作品と比べると弱い”
というのは、
・エヴァであればよくわからない使徒
・イリヤでは、地球を滅ぼすめちゃくちゃ強い宇宙人
・天気の子であれば、天気

とにかく、人間ではどうしようもない規格外の強さです。

その点、今回のアニメでは、あくまでも
経済界もしくは政治も含めた人類のトップです。

過去作品から比べためちゃくちゃ弱いです。
弱いからこそ、何か打ち勝ってくれるかと思いましたが、そこはセカイ系の系譜を引き継ぎ、主人公レベルではどうしようもない部分でした。

・少女と男性が”意図的に”出会ってしまう
たいていの作品では、少女は強すぎる力を使った代償として、何かしらの理由で二度と男性とは会えません。しかし、今回は、敵が弱かったおかげで、死を免れました。代償として身体能力や記憶がほぼ無くなってしまいましたが、それでも仲介役のおかげもあって、男性は少女に会うことができました。


・男性(と視聴者)の虚無感
そして、少女に会えなくなって、休み明けの学校(たいていの物語は何故か夏休みに起こる)で虚無感を抱えた主人公というシーンがたいていあります。少女と出会う前の日常に戻ったというシーンが追加されていて、そこには前と同じ日常なのに、少女がいないことでどこかしら元気がない主人公の姿が描かれます。その後の鬱展開まで描くと昔の新海誠作品になるわけですが、今回は、少女と出会って、最後には明確に将来の目標を語る主人公という非常に前向きな終わり方になっています。もしかすると、少女の状態を元に戻すことも可能なのではないかという未来まで非常に淡くですが、描かれています。

ということで、
以上から考えると、

“セカイ系とボーイミーツガールの新しい展開を模索した作品”

と捉えるのが妥当かと思います。

やはり、敵が弱くなってしまい結果的にご都合的なハッピーエンドに持ち込んでしまい、そこには奇跡がなかったということが、物語に対しての不評を呼び込んだ大きな点でしょう。もちろん、そこに至るまでの少女と主人公とその周りで展開される日常の様々な展開が最終的にうまくまとまっていないのではないかという批判も含まれてもいると思います(個人的には、日常パートにおける、ドタバタ感は、イリヤの鉄人定食の部分のオマージュかと思いましたが)。

作品というのは、過去のどの作品の文脈を理解しているかによって、かなり見方が変わってきてしまいます。感動の家族パートに関しても、類似の過去作品があったようで、それで風向きが変わってきたという指摘もあります。

批判は大事ですが、作者の意図を慮りながら、作品を見て、前向きに作品を捉えるというスタンスで、これからも見ていきたいと思い直しました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?