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砂浜から、/閃光のハサウェイ感想

 まず初めに、どの程度の事前知識を持って映画を視聴したのか共有するために、視聴済みのシリーズ作品を記します。

・機動戦士ガンダム(歯抜け視聴、うろ覚え)
・機動戦士Zガンダム(うろ覚え)
・(あと一応機動戦士ガンダムUC)
・ZZと逆襲のシャア、そして閃光のハサウェイ原作に関しては、ジュドー喫煙で僅かな知識があるのみです(大筋のシナリオや有名なセリフは知っている程度)

完走した感想

 視聴する前、私はこの映画を見て、自分にとってどんな体験になるのか想像できませんでした。上記したとおり、逆シャアを未視聴であること、加えて私情になりますが、ここ暫くの生活のモチベーションを失って鬱々としていたことから、話を理解できるのか、のめり込めるのか微妙な所でした。
 終わってみれば、この映画が持っている面白みは十分に受け取れたと思いますし、とても満足できる体験になりました。そしてなにより、鬱々とした気分が解消されたのです!それは本作を視聴する前日と前々日に見た、『ARIA The CREPSCOLO/BENEDIZIONE』『アイの歌声を聴かせて』といった、涙せずにはいられない、心温まる作品たちには成し得ないことでした。
 この文章は、何故私がこの作品に救われたのかを掘り下げていくものになります。

UC105・ダバオ

 この物語は、その舞台からして心温まるお話には成り得ません。人口増加による地球環境の破壊という、宇宙世紀の根幹にある事態はこの時代になっても留まることを知らず、それがマフティーという過激派組織を成立させたようです。また、巨大すぎる地球連邦という組織の腐敗は度々物語のギミックとして使われてきましたが、本作では居住許可証を持たない人間を狩る「人狩り」という、シリーズでも過激な形で現れています。
 ろくでもない状況設定ですが、だからこそ世界を悲観的に見ている人間には、その中でキャラクターたちがどうやって生きているのか、戦っているのかと関心を誘います。勿論、本作を見ている最中の私がそうでした。

ハサウェイ・ノア/マフティー・ナビーユ・エリン

 本作の主人公、ハサウェイは極端な行動の二面性を持ちます。目の前の命に対しては、マフティーの名を騙るハイジャック犯さえ、殺さずに制圧しようとします。そしてなにより、マフティーと合流するために行ったダバオ襲撃において、結局ギギを見捨てることができませんでした。彼は人格の根っこに、素朴な善性を持っています。
 一方で、彼はテロリストです。『許されることじゃないかもしれない』ではなく、『絶対に許されない』ことをしている男です。「ハサウェイ・ノアという隠れ蓑は残しておきたい」という理由で行われたダバオ襲撃で街がどうなったか、作中ではモビルスーツではなく人間の目線で、たっぷりと尺を取って描かれます。
 彼の魅力的な点は、これらの両極端な行動が、全く別の感情から生じているわけではなく、寧ろ破壊的な行動が真面目さに由来している所です。視聴していないのに引用するのは厚かましいことですが、私は本作を見ながら頭の片隅にずっと、シャアの「この暖かさを持った人間が、地球さえ破壊するんだ!」というセリフを思い浮かべていました。
 そして更に魅力的で、恐らく私の心を救ったのが、ハサウェイも自身の行動を間違っていると評していることです。そう評しながら、しかしその道を突き進まずにはいられない。それ以外に、第二次ネオジオン戦争で散った命に報いる方法は無いと信じて。優しさと真面目さを持った者が戦争に魂を囚われた結果、1人延長戦を続けざるを得なくなった姿は、私の目には滑稽に映りました。
 とても、救われました。彼が壊れた心のまま、正しくない方へと進んでくれたから。やりたいことを失い、何をすべきか分からなくなった私より、尚悪かったから。

彷徨

 最後に1つ、この映画の中で大好きなシークエンスを挙げます。
 物語の中盤過ぎ、ダバオ空軍基地を後にしたハサウェイがフェリー乗り場へと向かいますが、夕方の便に乗ることにして、街へと繰り出します。ここでハサウェイは目的地もなく、彷徨い歩いた末に砂浜へと辿り着き、結果的にはマフティー側からの助け舟を得て場面が転換します。
 プロが仕事で手掛ける作品はこのnoteのようにダラダラと話を続けるわけにはいきませんから、描写されることには大抵意味があります。私はこのハサウェイが彷徨うシークエンスを、彼の心情の比喩と捉えました。物語冒頭にケネスが「堪らんな、この湿気は」と言っていたように、ダバオの昼間は如何にも蒸し暑そうです。実際、このシークエンスではハサウェイが汗を拭う描写が多くなっています。夕方まで時間を潰さなければいけないとはいえ、空調の効いていそうな空港を出て、纏わりつくような熱気の中を歩くのはややナンセンスです。ましてや向かう宛てが無いのなら。
 やがて彼は砂浜に辿り着き、座り込み、うなだれます。作中ではヨットに乗った少年に話しかけられることで場面が変わりますが、そうでなければ彼はどうしていたでしょうか。うだるような暑さの中、ずっと砂浜に座り込んでいたかもしれません。
 この映画を見る前日、東京を観光している私がこんな風でした。目的だけはたくさん用意していたので彷徨うことはありませんでしたが、目的を果たして電車で移動する途中、楽しんでいた心が萎んでいき、そのうち俯いてしまうのです。そんな状態だったから、自分をハサウェイに重ねて見てしまったんですね。
 今、私はかなり気分を持ち直して、元気にプリマジを楽しんでいたりします。過去に(というほど昔でもありませんが)負ったダメージに付き合わない自由を得た、と言えるでしょう。対するハサウェイはこれからも、間違っていると自分で思う道を突き進んでいきます。
 宇宙世紀という地獄で戦う姿を通して私を救ってくれた彼がどんな景色を見るのか……続編を楽しみにしています。

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