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犬による看護のほうがずっと良かった

と。

ある病人が語ったそうです。


『なんのこと?』

次の本の中に書かれてたんです。

フローレンス・ナイチンゲールが1860年代に書いた著作です。

その箇所をちょっと長いけど、まるっと引用させてくださいね。

小さなペットなどは、病人、とりわけ長期の慢性病の病人にとっては、こよなき友となることが多い。籠のなかの一羽の小鳥が、同じ部屋に何年も閉じこもって動けない病人の唯一の楽しみであることもある。もし自分で餌を与えたり洗ってやったりすることができれば、それによって病人は常に元気づけられ、意欲が湧いてくるものである。ある病人が、自分が看護師から受けた看護と、犬から受けた看護とについて語ったことがあるが、彼は犬による看護のほうがずっと良かったと言った。「何よりも犬は喋りませんからね。」(p.174)

どうです?痛烈でしょう?ちゃんとオチありで。

ナイチンゲールはクリミア戦争で負傷兵たちを献身的に看病して「クリミアの天使」と呼ばれているけど、そんなにふんわりした人ではなかったみたいですよ。

上の引用は、12章の「おせっかいな励ましと忠告」からの引用です。そもそも、この章のタイトルもね。この章の内容は「病人のもとに来るほとんどの見舞客はロクなことを言わないものだ」っていうもの。

この本、どの文を見ても歯に衣着せず終始辛口。彼女の時代にワイドショーがあったら、皮肉たっぷりな批判の名物ご意見番になってたんじゃないかな(笑)。ん~?違うか?テレビ出演なんて断固断るタイプかな?

ま、たしかに犬は人のようには喋らないけど犬的にはちゃんと語ってます。

犬の言葉はおもにボディ・ランゲージで。雄弁に。

吠えるっていうのももちろん何かしらの意志表現でしょう?

ただ、どちらもその意図を人間がうまく汲み取れないこともままある。

そういう点では、人のそばで暮らすように進化した動物でありながら、自分の言葉をうまく受信してもらえていない犬はお気の毒なのかも。

仮にもパブロフという犬の家族を迎えたので、いくらかでもそこ正しく受信できたらね…。

なんとか「話のわかる相棒」になれたらいいんだけど。

ナイチンゲール大先生、看護にはこんなことが必要だともおっしゃってました。

優れた観察能力と、観察した現象に含まれている意味を理解する能力(p.229)

そっくりあてはまりそう。

犬を見る観察力と、観察した現象に含まれている意味を理解する能力

特に後者は、犬とはどんな生き物かという知識がなければなかなか意味には到達できなそう。

また、その知識というレンズがあるからこそ、目の前の現象を高感度ですくいあげることが出来るのかな。

どっちも大切。

なんだろ。思わぬところで看護のおはなしと犬のおはなしがつながってしまった。でへへ。


今日も読んでくださってありがとう。
明日は穏やかな安息日になりますように。



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