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祈りのルーツ①

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さて、2023.10.10にとあるお方に教わることになったのですが、その日の続きと私の祈りのルーツについて書きます。
前作、師と出会う③はこちらです。

祈りや信仰、宗教観についてです。

みなさんは、何に手を合わせていますか

信仰とは、神・仏など、ある神聖なものを(またはあるものを絶対視して
)信じ尊ぶことです。そして、その対象は、神仏のように「人格的他者」であったり、「超自然的存在」だったりします。
絶対視という盲目的な印象が、付き纏いますね。
宗教となると、怪訝な表情をされる方が、多いです。

寺社仏閣だと、馴染みがあり、一般的でしょうか。
天台宗、真言宗は?日蓮宗なら?陰陽師は?
お遍路さんは?
山伏などの山岳信仰は、セーフ?
アミニズムって、縄文って、イスラムって、キリストって、儒教って、密教って、
と並べきれないほど、無知の無明のことってたくさんある中で、自分で「印象」や「有り無し」など、認知バイアスを持っています。
みんなそうです。

その宗教を倫理的にどうか考えなくても、教会やモスクや寺社仏閣を観光として訪れて、写真を撮ったりします。
(悪いと言ってません、建築へのリスペクトあります。現象の話です)

コンプレックス

私は信仰がある家に生まれ、神ありきで育ち、世間的にコンプレックスを感じて育ちました。それはよく知らない人からしたら、怪訝な顔をされたからです。

加茂谷真紀さんと初めてお会いした時に、

「あなたはその家に生まれたことを誇りに思っていいです。話さなくて良い相手には話さなかったし、自分の原点を素直に喋れる相手には、自分が実は非常に幸福だったことを話してきましたね。
エイリさんの生い立ちには、、、、ん〜うしろが優しいなあ、『祝福がある』と言ってます(私号泣)」

真紀さん

祝福だなんて、表現してもらったことがありませんでした。

信頼して大丈夫そうだなと生い立ちを打ち明けたら「勧誘しないでね」と速攻言われたこともありました。
ショックは受けたけど、その相手を嫌うことなく、腐らずに生きてきて、また、違ったルートで神を学び扱う神ごとへ戻って来ました。

対象は何でも良いです

そう、今回私の見習いは、「対象は何でも良いです」とされています。
ここがニューウェーブみで、え??と嬉しい驚きであり、私の宗教観と似ているところでもあり、萌えポイントでもありました。
何を通すか、なだけなのです✨

再び問います。
「あなたは何に手を合わせていますか?」

私が祈る対象

私が手を合わせて祈る対象は、

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