精神障害者は辛いよ5

軌道に乗った障害者雇用
 当時、障害者雇用というのが注目されていた。まだ、障害者雇用が義務化されていない時代ではあったがやがて将来的には企業は精神障害者を雇うことが義務になるだろう。そのためにも人事としては使える精神障害者を採用し、障害者雇用に邁進しなければならない。ダイバーシティーとのちに呼ばれる働き方の多様化の一環であり一つの流れであった。
 自分としても気が付いていた。自分には公務員時代の三年程度の期間しか勤務歴がない。残りは短い期間でいくつかあるけど、履歴書に書けないものばかり。自分にはストロングポイントがない。故に、能力を磨くしかない。当時はまだA型作業所もなかったし、就労移行支援事業所というのもなかった。ハローワークの委託訓練というもので、普通に失業者に紛れ込んでパソコン検定などの資格を取得、障害者採用の求人というのがちらほら出始めたのでそれに応募した。そこにたまたまとあるクレジットカード会社に目が留まった。一次試験でタイピングの試験と面接の試験があるらしい。面倒くさいと思ったが。タイピングには当時自信があった。いかんせん、オンラインゲームでコミニケーションを取るのに自己流のブラインドタッチは出来たし、ワードエクセルの作成は講座で学んでいた。試験当日、ハローワークの紹介から数名が来ていたが自分の番、その時自分だけがタイピングを時間内に終わらせることが出来たのである。タイピング数ではなく時刻を告知された。その後面接が行われたが、これはもしかしたら行けるかもという手ごたえ。(色々な企業にバイトに行っていたから勝手なものだが)そして、二次試験への連絡と、当時の人事部長とのやる気のない面接。やる気のない面接というのは言い方が悪いけど、部長は終始笑顔で質問をするというよりも、「何か聞いておきたいことはありますか?」とひたすら確認のすり合わせをするという感じ。ほぼ、内定はもらったものだと思った。結果は一致。こうして、週四日非正規ながら東証一部に上場している会社に障害者雇用が決まったのだった。これで文句を言わせるやつは誰もいない。誰にもぐうの音は言わせない。俺はやった。そう、気分は高揚し最高潮だった。

続く幸運
 仕事の開始は10月か11月だった。時給もかなり高く、普通に働けば障害者年金と合わせて30歳平均賃金と同じくらい。名前を聞けば誰もが知っている会社で仕事こそ雑用に近いものだったけど、女性の多い職場で男子の団結力も高く、昼ごはんにも誘ってもらえて人生の春といった感じだった。純粋に仕事を任せてもらえるのは楽しかったし、自分なりにも結果は出せたと思う。課内にあったシュレッダーのごみはすべてシュレッダーにかけたし、勤務時間は6時間程度。朝はきちんと起き、仕事をし混雑する前に帰る。仕事のない日はデイケアで時間をつぶす。フットサルでは関東代表に選ばれたものの仕事との併用で半ば辞退、しかしながら才能のある後輩が後釜になりすべてが順調だった。
 怖いことにこの頃彼女まで出来る。自分の人生で彼女がいなかった時期の方が長い。しかも、19歳の高校卒業して入院、大学を一浪した女の子だった。きっかけはデイケアで自分自身が口説いた感じでもない。仕事は順調だから次は彼女かなと婚活にいそしんでた矢先に向こうから飛び込んできた感じである。そこを拒否する理由もない。こうして、仕事と恋人、両方とも暫定ではあるが自分が欲しいものは手に入れることができたと思った。ラインで彼女と連絡交換する日々、仕事先で結婚している先輩方からうらやましがられる日々。仕事も趣味もすべてが充実している日々。やっとつかんだ幸せだと思った。これですべてが順風満帆だと思った。結婚して子育てしてハッピーエンドだと思った。

つかの間の幸せ
 同時期に婚活をしていた50代のおじさんがいる。フットサルで意気投合し、自分と同じように就職活動に成功し、青春を謳歌しようという初めの頃を共有した友。フットサルの活動の時に婚活の場があると誘ったら喜んでついてきてくれて、そこでも出会いはあったんだけどお互い続かなかった仲間。彼にこのことを報告すると自分のことのように喜んでくれた。嬉しかった。今まで苦しかったけど、人生を棒に振るわなくてよかった。心からそう思った。


 しかしである。19歳の彼女というのは人間的に成熟したものではなかった。無論恋愛や結婚など成熟などあるのだろうか。結婚なんてみんなほぼほぼ初婚だろうし、出会いや生まれに差はあるけどかの彼女は真剣に僕のことを愛してくれたし、僕は彼女のことを本当に支えようとしていた。

 しかしである。彼女の親御さんが彼氏に精神疾患があると知った時、彼らは精神障害者を差別する側に回った。自分としては誠実さをもって付き合っていたし、メールもラインもすべて見られてもやましいことはない。東証一部に上場している企業に勤めている。相手方は自営業を営んでいる状況だったが、こちらにはちゃんとした収入もあり大卒である。何か問題でもあるか?

 しかしである。母親は自分のことを理解してくれたようで「意外としっかりしている人なのね」と言って応援する側に回ってくれた。しかし、お父様がかたくなに精神障害者である自分を拒んだ。話の席をもうけようと彼女から診察に同席するように互いに連絡を取るが父親は赤の他人である自分を拒否し、結果診察はかなわず。医師からも恋愛は望ましくないと言われ、さらに発狂。最終的には付き合い続けるなら彼女の学費は出さない。そう脅してきた。こちらにとっては売り言葉に買い言葉である。そういうことならば、私の方で全額彼女の学費は出しましょう。企業に勤めておりますから当然、お金もあります。そうすれば、貴方もさぞご安心なされるでしょう。




 しかしである。彼女はそれを拒んだ。最終的に家族を取り、別れる羽目になった。最後の言葉は手紙にしたためられてあり、公園で一人読んだ。ただただ、悲しかった。




精神障害者は仕事をしてはいけないんですか?恋愛をしてはいけないんですか?結婚をしてはいけないんですか?出産をしてはいけないんですか?私は神を呪った。すべてを恨んだ。また、同時期にフットサルで精神保健福祉士として活動していた女性がフットサル仲間でイケメンと言われていた男と結婚したのと同時期だった。そのこともすべて呪った。恨んだ。


人生で泣いたことはあまり記憶にない。子供のころはよく泣き虫で泣いた記憶がよく覚えているものだが、感受性が豊か故だと思った。また、それに反比例して成人して以降、泣くことはほぼなかった。


この時も涙は出なかった。ただ、悲しかった。むしろ悔しかった。同じ障害を持つのに何故差別をするのか。優勢思想がなぜここで出るのか。私には自殺した祖母がいるが貴女が私の人生全てに呪いをかけているのか。私の家計では幸せは許されないと。だから姉は子供はできない体になったのか。


ただ、人生のすべてを呪った。それは障害ゆえではなかった。人生に絶望したとき、人はどういう行動をするのだろうか。


私の中で過去に三人自殺を遂げた男性がいる。大学時代一度だけ顔を合わせた同じサークルの同学年の男、女をはらませ堕胎し、また学籍を終われ最終的に焼身自殺を遂げ死線をさまよったが最終的には息を引き取った男。


また、彼はデイケア委員として粉骨砕身して頑張った男。デイケアで活動することによってスタッフに恋に落ち、幻聴や病魔に闘いながら何度も入退院を繰り返し、最終的にスタッフは結婚し出産の為に退職していった。そして、彼がまた入院したこと。あとから首吊りだったと淡々とデイケアメンバーに言われた男。その後、彼の死を悼むように彼の死を教えてくれたメンバーが彼への弔いの歌を歌ってぽつりと言った。言葉。


そして、気が付けばフットサルのサークルで笑顔を振りまいていたのに、いつの間にか消え、サークル代表の鈴木氏が黙とう!とSリーグのたびに言う逝った彼ら。




彼らと自分は何が違うのだろう。そして、結婚し妊娠出産した彼と幸せを分け隔てたものは何ですか?




ただ、運命に翻弄されたというだけですか。あるいはやはり遺伝ですか。宗教や神の世界で誰かが被った罪と罰なんですか。病気って何ですか。やっぱり気持ちが悪いんですか。今もなお無くならない差別、差別、差別。



人が死んでうれしいですか。他人事ですか。そうですか。













私の目からはまだ涙は出ない。


#死

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