ありがとうとさようなら

一週間前、父が亡くなった。急なことだった。妹から朝早くに厳しそうということで連絡が来て、その日のうちにこの世を去ってしまった。心の準備も何もできておらず、何が何だかわからず、ただ「お父さんにはもう会えない」ということを考えると涙が出た。一種の自然な反応のようだった。もう話すことはできない、会えない、悲しい。この考えの結果としての涙だった。実感はないのに。

そして、父と対面した。そこにもう、父の生の影はなかった。亡骸という言葉がその時どういう状態を指すのか初めて理解したように思った。そこには肉体としての父はいたかもしれないが、もう父はいなかった。葬儀には間に合っても、その父を見たときに「間に合わなかったのだな」と感じた。その実感を伴った瞬間に、悲しみと涙の間の関係がつながったようにも思えた。

父、といっても戸籍上は養父だった。でも、血のつながりはなくても、私にとっては父だった。父と母が再婚した時、自分に父という存在ができることが嬉しかった。それ以来、私にとっての父は養父である父だった。ヴァージンロードを歩くのも当然彼しかいなかった。血縁がなくても、私にとって「お父さん」と言ったら育ての親となってくれた彼だけだった。

父と母が2年前に離婚した時、寂しい気持ちになったけど、それでも父との関係が終わったわけではないと思っていたし、連絡も頻繁にではないけれどとり合っていた。実家にはいなくても、妹たちとのつながりはまだあったし、最後に一時帰国した時も会えた。「またね、元気でね。体に気を付けてね。」と言葉を交わしたあの時が最後になるとは思っていなかった。

父は口下手で、不器用な人だった。感情を表現することはあまりしなかったけど、父が実は嬉しいと思ったり、しんどいと思ったり、感動していたり、楽しんでいたりするのは分かっていた。タイの結婚式に参加してくれた時、自分は口下手だし、何を話したらいいのかわからないんだけど、でもタイを楽しんでいるとメッセージをくれたときに、初めて父の能動的な自己表現を見たような気がして、とても嬉しかったのを覚えている。そして同時に父の性格がよく表れているメッセージだなとも思ったものだった。

父自身が口下手でも、私たちが父を父として慕っていたこと、感謝していたこと、私がタイの結婚式で伝えたことは本心であること、妹たちが父を愛していたこと、全部伝わっていたのだろうか。最近はちょくちょく家出しちゃって、確かに迷惑も被ったしたくさん心配もしたけど、それは父が家族でありそこに愛があったから。納棺式の時に一番下の妹が父に抱きついて泣きながら最後のお別れをしたのを、父は見ていたのだろうか。愛されていたということを確認することはできたのだろうか。たくさんの方々が葬儀に来てくれたのを、知ることはできたのだろうか。

もうこの世界に父はいない。空港に父が迎えに来てくれることはもうない。悲しさもまだもちろんあるけれど、寂しさが今は強い。3月3日に誕生日おめでとうとメッセージを送ることも、もうない。

けれど、父と一緒に過ごした20年間を忘れることは一生ない。日本に来れば父との思い出を振り返ることだろう。父が20年前に父になってくれたから、今の私がある。これまで実の娘のように育ててくれ、やりたいことを支援してくれたことに心から感謝し、これからも私は生きていく。


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