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いかにして「日本」は可能か(「歴史修正主義者」による日本主義マニフェスト)

(これは他人ではなく自分のために書いたもので、ちと不親切な文章である。マルクスのフォイエルバッハ・テーゼ、マルクスとエンゲルスの共産党宣言のパロディでもあって、冗談半分に書き付けたのが長くなった。だが、前回記事と合わせて読んでもらえば、自分の問題意識がどこにあったかは分かってもらえるかと思うので、この機会に読者の批判を乞いたい。)


 一匹の亡霊が日本を徘徊しておる。日本主義の亡霊が。かくいう自分も、それに憑かれた一人である。もちろん、「日本」と呼ばれる国は存在するし、「日本人」と呼ばれる集団も存在する。だから「日本製品」があってもいいし「日本文化」もあってもいい。そういうものを愛して大事にしようというだけなら、日本主義をわざわざ問題とするまでもない。

 しかし、日本主義の「日本」には、それ以上の役割が担わされている。それは、この国の歴史が独特なものであり、それが故に、将来もこの国は特殊であり続ける(べきだ)という主張が準拠するカテゴリーとしてである。

 しからば、それは一体何であるかという話になると、はなはだ心もとない返事しか帰ってこない。「和の心」とか「大和魂」とかいう心性であったり、「国体」みたいな超歴史的な実体であったりとかする。前者については、そんなものがわれわれの遺伝情報に組み込まれているという話は聞いたことがない。後者に至っては神秘主義的カテゴリーで、宗教じゃなければ不細工な形而上学にすぎない。


 現実には、日本は大分他の国と同じような国になった。それは日本だけが変わったのではなく、他の国もまた同じようになっている。要するに、近代社会の特徴(産業化、都市化、国民国家化、民主化など)は国を選ばない。どこの国においても水は高いところから低いところに流れるように、どこに国においても歴史は同じ方向に向かって収斂しているように見える。もちろん、差異も残っているけど、その多くは生きた文化というより、塩漬けにされた過去の残留物が多い。過去の多様性に比べたら、世界は大分同質的になっている。

 歴史が世界の人々を同じ方向に導いていくのが不可避だとすると、いかにして「日本」というものが可能であるのか。そのためには、ある歴史哲学を否定しなければならない。それは、歴史というものは人間の意志とは独立した法則によって律されており、われらの志向とは関係なく一定方向に向かって進んでいくという哲学である。かつては歴史を神の計画に基づくものと見たヘブライズムがあり、より最近ではマルクス主義者のような唯物史観があるが、今日有力なのはもう少し運命論的な近代主義である。つまり、われわれが今日生きているような社会は、われわれの意志とは関係なく存在するものであり、われわれの意志にでは何ともしようもないもの、したがって運命として受け入れるしかないものであるという考えである。

 実際に、昨今の日本主義の復活は、こうした運命に抗おうというロマン主義的な気分から生じているようにも思える。しかし、「国際化」や「グローバル化」に代えて「日本」というものを運命に据えたところで、行きつくところはより偏狭な不自由である。この選択肢の不毛さは、われわれはすでに多くの例証をもって証明できる。

 しからば、われわれは「日本」を棄てねばならぬのか? かつて社会主義者たちのあいだで、ロシアが資本主義という段階を経ないでいきなり社会主義に到達することは可能であるか否かという論争があった。すなわち、すべての国は西欧の先進国と同じ経路を辿ることは不可避なのか、それとも資本主義を経ない発展の経路があるのかという問いである。多くの非西欧諸国が資本主義的な発展に捲き込まれていった結果、解答は否ということになった。つまり、水が低きから高きに流れるのが不可能なように、発展の歴史においては「ロシア」も「日本」も不可能である。

 しかし、歴史における不可避性というのは、自然科学における不可避性とは異なるのではないだろうか。この資本主義の不可避性は、実は二つの異なる不可能性に準拠している。一つは、非西欧型の発展の可能性を〝理論として〟認知できる知識人層にとっての不可能である。つまり、彼らはそれが可能であると知っているが、彼ら以外の国民にそれを納得させることができない。他方は、一般国民にとっての不可能で、彼らはインテリさんたちの言うことを理解できないか、もしくは理解しえても信じることができない。

 一般国民がインテリの提案を信じられないのは、知識不足もありうる。しかし、資本主義がもたらす個人的な利得の機会を放棄して、いつ到来するかもわからない未来に生きる理想の「人間」のために我が身を犠牲にすることを期待することにちと無理がある。人間は水とちがって低きから高きに上ろうとする意志を持ちうる。しかし、それが自己破滅的なものではなく達成可能なものであるには、狂信ではなく理性に基づく計画的なものでなければならない。知識人の生みだした理論が果してそうした要請を満たしているものであるかどうかはまだまだ怪しい。

 要するに、この二つの異なる集団にとっての「できない」が相まって、初めて資本主義は不可避になる。逆に言うと、この二つの「できない」が克服されたときはじめて、日本は可能となる。

 このため多くの国のエリートは、国家という強制機構を使って不可能を可能とした。つまり上からの資本主義化(と、社会主義国では社会主義化)を強行した。西洋の社会について学んだ知識人官僚は、文字どおり他の国民に先駆けてタイム・マシーンで未来に旅した者である。西洋社会は机上の空論ではなく、現実に存在する社会である。しかも、後発国は、先進国が試行錯誤を経て到達した目的地へ、近道をとってより早く移動できる。この知が開発主義国家の権威の源泉となる。それでも未来に抵抗するおバカな国民は、サーベルによって服従させることができる。こうして二つの「できない」は克服された。日本はその成功例の一つである。「日本」は一種の開発独裁をもって可能となった。

 問題は、日本型発展はあくまでも経路に関するものであり、その目的地については西欧の先輩方と大きく異ならなかった。それで、「日本」なるものをその目的(西欧的な近代化)に沿うものだけを残して切りつめてしまった。今日のわれわれが「日本」と呼ぶものの多くは、このネオ伝統主義の遺産である。しかし、欧米に追いついた今日においては、もはや後発の利点はない。われわれは再び同じ問題に逢着した。追いつきが完了した今日の日本では、欧米はもはや未来の姿を映す鏡ではない。同様の問題に「共に苦しむ者」にすぎない。開発主義国家の権威はもはやない。加えて、われわれの拠り所となるべき「日本」は、追いつき型近代化の正当化のために動員されたがために、えらく貧弱なものになってしまった。

 しかるに、日本は可能なのか? この問いに応えるためには、また二つの「できない」に帰ってみる必要がある。一つは知識人が、今一度一般国民に現実的なヴィジョン、つまり抽象的な理想ではなく手に届くところにある未来像を示してやる必要がある。今日「日本人」と自らを呼ぶ人々にとって、ちょっと手を伸ばせば手が届く、よりよい未来の自分たちを想像できるような提案を行う必要がある。そのためには、もっと日本の歴史的条件を考慮に入れなければならない。ネオ伝統主義によって切りつめられた日本像を脱却する必要がある。それは日本人にとって「望ましい」未来であるとともに、日本人にとって「可能な」未来でなければならず、願望が現実的条件の認識によって制約されたものでなければならない。そして「可能である」という意味は、差異を持つ日本人の多くが信じることができるという意味に他ならない。

 他方で、一般国民の「できない」も克服されねばならない。教育の普及は国民の理解力を格段に向上させたはずであるが、自分自身の力を信じる力が著しく萎えた運命論者は余計に増えたように見える。これは開発主義の遺産でもある。「日本」が可能となるためには、今日の国民教育は大いに見直されなければならないと思う。この点については、議論すべき点が多々あるので、別の機会に述べたい。

 そうすると、いかにして日本は可能なりや? 日本の可能性とは、結局今日「日本人」と呼ばれる人々が、自らの投げ込まれた歴史的条件について深く自覚し、そのなかで自分たちに妥当だと思える選択肢を見いだし、その一つを選び取る決断力を持つことに他ならない。その決断には、もちろん失敗するかもしれないというリスクを負う覚悟も含まれる。大文字の「歴史」という運命に逆らって生きようとすることによって、「日本人」は水とは違って自らの意志をもった主体となることができる。その叛逆が日本特有の歴史的条件の正確な把握によって制約されるかぎりにおいて、それは「日本的」なものと言える。

 知識人と一般国民の溝は埋められないとならない。そんな抽象的なことを言われてもという批判もあるかもしれないが、その集団的な意志形成と実行の手段として、かつて民主制は考えられた。われわれは今までそれを活かしてきたとは言えない。ここで、もう一つの帰結が明らかになる。「日本」が可能になるためには、民主主義を見切るのではなく、強化しなければならない。

 実はこんなことを考えたのは日本人ばかりでない。ドイツやロシアのインテリさんたちは、英仏の覇権に反抗して、やはり同じような問いを発した。日本の後にも、欧米や日本の植民地主義の犠牲になった人々のなかでもこのような問いが発せられた。もし、日本が上記のような形で特殊な歴史への一歩を刻むことができれば、それはまた他の地域の人々の模範にもなりうる。そうすることいよって「日本」は偏狭な例外主義ではなく、より普遍的な世界史にその場所を見いだすことができる。これは蛇足ではない。

(2019年3月10日。追記:自分は柳田国男と向き合ううちにこういう考えに達した。だが知らなかったのであるが、自分は京都学派を追ったいわゆる「歴史修正主義者」からそう遠くない道を歩んでいた。言ってみれば、自分は柳田を京都学派的視点から読んでいた。歴史修正主義者というとネトウヨの親分みたいに思われがちだが、戦後史観は見直されるべきと考える人という意味であれば、どうも自分なども立派な歴史修正主義者であるようである。)

コーヒー一杯ごちそうしてくれれば、生きていく糧になりそうな話をしてくれる。そういう人間にわたしはなりたい。とくにコーヒー飲みたくなったときには。