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タダではもらえない自由

ぼくらは自由でありたい。これが近代以降の人間の最大の希望の一つである。この自由を否定する者がいなくもないが、説明責任は否定する方にある。ぼくらが自由を欲するのは人間が本来自由なものであるから。そういう考えは自明なものとして多くの人に受け入れられている。

だが、この「自由」の意味内容について問われると、多くの人は答えに窮する。自分の自由が侵害されたと感じることができる以上、何らかの自由の観念があるはずであるが、それを厳密に言語化することはむずかしい。

それもそのはずで、自由という言葉自体は古くからあるが、その意味内容については大きな変遷を経てきた。社会の形態が変われば、問題化される自由の内容も変わる。

よく知られた類型であると、古代の自由と近代の自由の区別がある。近代の自由は「⋯⋯からの自由」とされる。外的な強制を受けてない状態をもって自由とする。これに対して、古代の自由は「⋯⋯への自由」。何かをなす権利や能力のことを指したとされる。ゆえに消極的自由、積極的自由とも呼ばれる。

この区分は有用であるが、歴史的には少し誤解を生むものでもある。自由の観念はやはりその自由を阻害するもの「からの自由」を含むから、自由の敵、自由ではない者と無関係には決まらない。その変遷を説明するには本一冊でも足りないから、ここではあまり一般には認知されていない二つの自由に限って話をしよう。今日の自由思想の本家であるリベラリズムで想定されている自由とはだいぶん違うのだが、ぼくらに関係ないとは言えないような自由である。

貧乏では自由になれない

近代人は多くを古代ギリシアの遺産に負っているが、自由の民であることをもって誇りとした先駆者もまたギリシア人である。だが、彼らにとっての自由は、まず「必要からの自由」であった。

人間は生きるために労働しなければならない。それはもろもろの生理学的必要を満たすためである。この必要を満たすのが経済の領域で、やらなければならないことをやるだけの領域である。ひとたびやることが決まってしまえば、そこに議論の余地はない。つまり、そこには自由はない。

だから自由というのは経済の外にある。それが政治の領域である。しかし、この政治に参加するためには経済的必要からの自由を得ていないとならない。生活の必要を満たした者だけが市民と認められ、政治に参加する資格を持つ。要件というわけではないが、普通、この経済的自立は奴隷(と女)という不自由な人々の労働の上に築かれている。つまり家父長的支配権と自由は固く結びついていた。

自由技芸(リベラル・アーツ)の「自由」も、元来この意味である。自分自身は働く必要のない者が身につける教養である。そんな教養は何かの役に立つから求められるのではない。それ自体が快いものであるから求められるのである。別の言い方をすると、教養とは経済的利得やその他の目的のための手段としては考えられない。そうではなく、それ自体が目的である。だから、逆手にとって、自由であることを見せびらかすための標識にもなる。

ちょっと脱線するが、その意味では、今日の「経営者のためのリベラル・アーツ」と呼ばれるようなものには語義矛盾があるのでなければ、相当皮肉な用法である。他人の不自由の上に自由を築いて、ビジネス以外の領域について知って、自由な人間としての完成を目指そうという意味であれば自由技芸と呼べるが、ビジネスに役立つ教養という意味であれば「自由」でない。

それはともかく、古代人にとっても自由は「⋯⋯からの自由」の側面がある。しかしそれは他我ではなく、自分の持つ必要からの自由であった。その必要があるから、他人に従属することになるのであって、その逆ではない。これは今日においても真実であり続けている。今風に言うと、ただ死なないために生きるのでは自由とは言えないというような考えの元祖がギリシア人である。

こういう意味での自由人というのは政治に参加する市民という具体的な存在であり、その対照物として奴隷や女子どもという自由ではない者がいた。人間の本性は自由であるが、すべての人が自由になれる(=人間性を完成する)とは考えなかったのである。もう一つ自由人ではない人たちとして、ペルシア帝国の臣民がいる。しかし、それは今日でいうところの意味と少し違う。アジアの専制君主の下で生きる人々は今日的な意味でのもろもろの自由を持ちうるが、政治という領域を持ってない。だから自由ではないのである。

神様がいたんじゃ自由になれない

必要からの自由は今日までその意義を完全には失っていないが、近代の曙であるルネサンス期には別の意味での自由が現われる。それはやはり必要からの自由であるが、この必要 necessity がただ身体的、生理学的必要でなく、神の意志とか自然の摂理の「必然性」という意味にまで広がった。この世界で起こることはすべて造物主の意志と彼が定めた自然の法則に従っている。すべてのことは起こるべくして起こっている。それでは人間の「自由意志」というのはいかなる意味があるか。

この神学論争から近代的な自由の概念が徐々に表れてくる。すでにダンテの『神曲』では自由意志の問題が取り上げられている。そこでは、神は世界を創造されたのちに天高くに引っ込んでおり、地上の事どもは運命の女神に任せている。だから、地上において起こることは、神の定めた法則の範囲内ではあるが、女神の気紛れによって移り変わる。それゆえに地上は有為転変、諸行無常の世の中なのであるが、そこに人間がつけこむ余地が生じる。

この自由を尖鋭な形で示したのがマキャヴェリである。彼は『君主論』において、運命の女神(フォルトゥーナ)を手籠めにするという怪しからん比喩を使って、この自由を表現している。

運命の女神というのは異教の神である。強大であるが、一神教における全知全能の神とちがって、抵抗することもできるし、服従させることも不可能でない。そして、女神は女であるから(!)、若く強い男に乱暴にされるのを喜ぶ(この女神は後頭部には毛がなく前髪しかない。この前髪を掴んで従わせるのである)。この運命の女神を手なずける資質こそが政治家に求められるものである。

マキャヴェリはこの資質を徳(virtù)と呼ぶ。この virtù という言葉は英語の virtue と語源を共にするのであるが、イタリア語であると「男らしさ」という意味を含んで、坊主臭い「徳」とは少しちがうニュアンスがある。ちなみに、もとはラテン語で、virlent (毒性の強い)という語と語幹を共にしており、昨今耳にすることの多いウィルス virus という語とも縁がある。男性的な荒っぽさを想起するものらしい。だが、男なら自然に身についてるというようなものではない。天から与えられた素質に厳しい修養と自己研鑽を積んだ者だけが身につけられる資質である。

だから、女も「男らしく」なれる。ルネサンス期には女でも教養を身につけた人が現われて学芸のパトロンとなるが、彼女らは「男勝り(virago)」と呼ばれた。この言葉は今でも使われるが(日本ではバイクの名前にもなってる)、女らしさが欠けるのをけなす否定的な意味が前面に出ている。当時はもっぱら誉め言葉であったらしい(ヤーコプ・ブルクハルト『イタリア・ルネサンスの文化』)。

ちなみに、運命の女神という比喩はマキャヴェリの独創ではなく、ルネサンス期に広く共有されていたものらしい。先に述べたように、ルネサンスに先駆けてダンテの『神曲』にも現れるし、アステカ帝国を征服したエルナン・コルテスもまた使っている。そうであるなら、マキャヴェリの功績は、この自由観を政治に結びつけ、また近代の歴史哲学の先鞭をつけたことである。

臆病者、怠け者は自由になれない

政治家というのは気紛れな運命に抗い、それを従わせるものである。具体的にはすべての障害に打ち勝って権力を奪取し、それを保持しなければならない。マキャヴェリ以降、この「運命からの自由」という意味が政治思想において重要になる。最初は君主だけにこれが適用されたが、後に個人ではなく民族が政治の主体として登場すると、民族的独立とか自治という政治的理想が生まれてくる素地にもなった。マキャヴェリは『君主論』での議論を『ディスコルシ(ローマ史論)』において共和国の人々にも説いているから、彼にすでにその萌芽がある。独裁者のハンドブックではなく、民族自治を守るためのハンドブックとしても読めるのである。

マキャヴェリというのは犯罪者扱いされながら、恐ろしく広範な影響力を持った思想家で、一つはドイツにおいて根強いマキャヴェリズムの潮流を産んだ。まだ調査中だが、今日の国際関係論の現実主義などもこの伝統の流れから出てくるのじゃないかと思う。

だから、そのマキャベリズムはドイツ的な歴史主義とも関連がある。それによれば、人間だけが同じことの繰り返しではない「歴史」を持っているのであり、それは人間が自由であるからである。身体的な必要に必ずしも縛られないし、与えられた環境を宿命として甘受したりしない。自らの理性なり知性を用いて、神から与えられた世界を作り替えていく神的(もしくは悪魔的)な存在である。

しかし、マキャヴェリは人間の自由を神からとりもどしながらも、同時に過信を強く戒めている。女神といえども手ごわい相手である。大胆でありかつ細心の注意を払わなければ、かしずかせることはできない。いったんはかしずかせても、やはり最後は女神に裏切られ捨てられる。女神は女だから(!)移り気なのである。われらの自由はつねに闘いとるものであって、その努力を怠ればすぐに失われる。そうして努力をしてても、やっぱり失われる。

だが、われらが運命にもてあそばれるだけの存在でないとすれば、つまり自由であることが人間性の本質であるとするならば、そうした努力を続けることによってしかそれは表せない。これがマキャヴェリ的な政治観の奥底にある思想であり、現実主義の現実的たる所以である。

つまり、自由人というのは自分の運命を自分で左右するだけの修養を積んだ人・民族のことである。そうして古代人にとっての奴隷に相当するのが、運命にもてあそばれるだけの「女々しい」弱虫どもである。名目上は奴隷ではなくとも臆病者、怠け者は自由になることはできない。アジアの臣民に相当するのは政治の領域を持たず、自らを治めることのできない人々である。政治的独立を勝ち取れない人々がそうであるが、果たして今日の民主国家の市民たちも政治という領域をどれくらいもっているか、議論の余地がある。えらく厳しい自由であって、それなら自分は自由でなくてもいいやと思う人も多いかもしれない。

長くなったのでもう切り上げるが、自由主義が傷ついたブランドとなったのは、「自由」の価値が下落しているからである。経済的自由とあまりに強く結びつけられすぎた。だから独裁に反対する人ももはや「自由」とは叫ばずに「弱者の権利」とか「国民の安全」などと唱えてる。一度は自由主義の枠の外で自由について考え直してみるのも悪くないのじゃないかと思って書いてみたのであるが、こんな話ももうリベラル・アーツ的教養のなかに含まれてる。所詮はご隠居の茶飲み話かもしれん。

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