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写真
最近、写真について考えるようになった。
フィルム写真から感じる「エモさ」、もうええて!みたいな風潮がある。多分、「エモさ」は結局道具として使われていて、ほとんど記号的で写真の本質では無いから、つまらんという事だと思う。そして、そういう考えを頭の隅に置いておくと、例えば散歩の際に写真を撮るとしても、写真家みたいに慎重に写真を撮らなければならなくなっている。めんどくせいー。
ここで表現と独自性の話になってくる。工夫を凝らして他と被らない独自の写真でなければ自分を表現することは出来ないのか!というか、写真の目的が表現だけではない。
となると独自性を放棄している「エモい」写真はどうなのか。「エモさ」を演出している自分を表現するだけであれば目的が達成されているはずだ。ここにぼくの目的はないし、自己表現が自分の目的なのかと言われても全然ピンとこない。
というか創作全般における自己表現が全然ピンとこねえ。バンドやってるのはデカい音をみんなで一緒に出したいからです。(そうですか。)
多分なんですけど、FUJIFILMのカメラを使っているうちはこういう事をずっと考えてしまうと思います。フィルムシュミレーションに関する自分の中の哲学が、出てくる画に対して弱くて(結局自分の目が肥えていないというのと、写真を見ると納得させられてしまう悔しさと嬉しさ)とても難しかった。
すみません。要は自分の中で、技法で固めた写真の良さとそれにかける時間と意味がまだまとまっていないという事です!
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