見出し画像

Bonnie Raitt "Just Like That" のグラミー受賞に向けられた悪意に寄せて

日本時間2月6日に催された、第65回グラミー賞。賑やかに華やかに行われたショウタイム終盤、主要部門の1つ、Song of the year発表において会場及びSNS界隈がどよめいた。


ボニー・レイット、『Just Like That』。

大きな瞳をさらに大きく見開いた73歳の大ヴェテランは、受賞スピーチでも閉会後のプレス・カンファレンスでも、無邪気な喜びと配慮、慈しみに満ちたスピーチを披露。その偉大なキャリアにまた1つ、栄誉ある勲章を加えた。

カリフォルニアの芸能一家に生まれ、名門ハーバード大学の女子校で『ある愛の詩』の舞台にもなったラドクリフ大学で社会学を専攻、在学中の活動が目に留まり1971年にメジャー・デビュー。以降、流行り真っ盛りだったシンガーソングライターとしてはもちろん、Guildのアコースティック・ギターで弾かれるブルージーなバッキング、女性として当時はかなり珍しかったエレクトリック・ギターを持ち、中指にはめた重量感あるボトルネックをラージ・ヘッドのFenderストラトキャスターに滑らせて響かせる、野太くも切なさを併せ持ったスライド・ギターで評価を確立。Little Featのサポート・メンバーとして名手ローウェル・ジョージに勝るとも劣らない存在感を示し、グラミー常連のシェリル・クロウ、スーザン・テデスキを始め、此処日本でも少年時代の桑田佳祐ら数々のミュージシャン、音楽愛好家に強い影響を与えた。その実力や功績の重要さは、Fender設立50周年の年に女性ギタリストとしては初のシグネチャー・モデルが華々しく販売され、今でも高値で取引される人気ぶりからも明らかだ。

自身のシグネチャー・モデルを弾くボニー・レイット

ショウ・ビジネスにおける商業的なブレイクは1989年、ドン・ウォズのプロデュースによる傑作『ニック・オブ・タイム』まで待たされることになるが、それ以前も以降も彼女がアメリカの、世界の音楽史に50年以上のキャリアで与えた影響は計り知れない。

だからこそ、識者ぶった偽者や驕り高ぶった音楽記者が「ボニー・レイットなんか知らない」「誰もこの歌を聴いていない」などと宣っている光景はあまりに不勉強で敬意を欠いた、浅薄極まる現象であったと断じなければならない。彼女のような「変わらないために変わり続ける」活動を続けてきた存在をも無分別的に否定する、先人をリスペクトせず体制を壊すことに快感を覚える幼稚な自称進歩主義者は、この世で最も恥ずべき、芸術行為全般から距離を置くべき存在だ。

何よりも現在のパフォーマンス、録音作品自体のクオリティが素晴らしい。昨年にリリースされた18枚目のアルバムにおいて特筆すべき冒頭2曲の『Made Up Mind』『Something’s Got a Hold Up My Heart』からして、良質な楽器を熟練のプレイヤーが鳴らし、それをプロフェッショナルなエンジニアが録音しているのをありありと感じ取ることが出来る。ドラム、ベース、ギターがタッチのニュアンス豊かに、いくつも細分化されたビートを刻み、身体の芯からナチュラルにロックンロールさせてくれる。そこに伝家の宝刀、音自体にに署名がされているかのようなスライドギターが響いたとき、まさに「ワクチン接種によって集まることが出来たスタジオで音を鳴らす悦び」に突き動かされたという今作の音楽的享楽を、リスナーも共有することが出来るだろう。


Song Of The Yearを受賞した表題曲は、実際に起きた出来事をモチーフに、「黄金時代だった頃のハリウッド映画で壁紙のように扱われていた女性にスポットを当てる」という批評的なコンセプトで描かれる、喪失の悲しみを抱えた主人公の救済と再生の短編映画。


暗がりのスクリーンに浮かび上がる光のオルガン、アコースティック・ギターのモノクロームなアルペジオ、風のように寄り添うエレクトリック・ギターの音色に乗せて慎ましく描かれるストーリーに虚心坦懐に耳をすませることさえ出来れば、他のどの候補作よりも栄誉に値する楽曲であることがたちどころに理解されるだろう。

2020年4月、Covidのパンデミック初期に亡くなった盟友ジョン・プラインを始めとした、少なくなかった近しい犠牲者たちへの想いが込められたボニー・レイットの万感のパフォーマンスは、高齢者の多いグラミー会員はもちろん、多くの同じ痛みを抱える人々の心に風を吹かせただろうし、今回の受賞による注目でその数はより大きくなる。それはきっと「再生数」やら「動員」やら、「政治的正しさ」やら「歴史的意義」なんかよりずっと切実で大切で、美しいことだ。

“Just Like That”
Bonnie Raitt

I watched him circle around the block, finally stopped at mine
Took a while before he knocked like all he had was time
"Excuse me, ma'am, maybe you can help, the directions weren't so clear
I'm looking for Olivia Zand, they said I might find her here"
Well, I looked real hard and asked him, "What she's got he's looking for?"

Said, "There's something I think she'd wanna know" and I let him in the door
It's not like me to trust so quick, caught me by surprise
But something about him gave me ease, right there in his eyes

And just like that, your life can change if I hadn't looked away
My boy might still be with me now, he'd be twenty-five today
No knife can carve away the stain, no drink can drown regret
They say Jesus brings you peace and grace, well, He ain't found me yet

He sat down and took a deeper breath, then looked right in my face
I heard about the son you lost, how you left without a trace
I've spent years just tryna find you so I could finally let you know
It was your son's heart that saved me, and a life you gave us both

And just like that, your life can change, look what the angels send
I lay my head upon his chest and I was with my boy again
Well, I've spent so long in darkness, I never thought the night would end
But somehow, grace has found me, and I had to let Him in


家の周りをぐるぐるうろいていた見知らぬ青年が遂に立ち止まった
呼び鈴を押すまでにさらに時間がかかった
「ごめんください、おそらくこちらだと思うのですが…
オリヴィア・ザンドさんのお宅でしょうか」

訝しく彼を見つめて私は尋ねた
「そうですが、何の御用でしょうか?」
彼は言った
「彼女がきっと知りたがっていることを伝えにきました」
私は迎え入れた
思い切ったものだと我ながら思うけれど
彼の瞳を見るとなぜかとても安らいだ

そんなふうに目を逸らさずに向き合えば
人生は変えられる
もうすぐ25歳になるはずだった
あの子が今も近くにいるみたい
傷を削り落とすナイフは無いし
後悔を忘れさせるお酒も無い
神が平穏をもたらすと他人は言うけれど
その神とやらはまだ私を見つけてくれていない

椅子に座り深呼吸した青年は
私の顔を見つめて話し始めた
あの子を亡くしてからの。
私が行方知らずだったこと
何年も探してきて
今やっと伝えられる
あの子の心臓のおかげで
自分がこうして生きていられる

そんなふうに人生は変えられる
天使の贈り物を見逃さないように
彼の心臓の音を聴いた
あの子が今近くにいる
ずっと暗闇のなかにいた
この深い夜の闇が終わるなんて想像できなかった
だけどついに愛に包まれた私は
彼を抱きしめた

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?