30歳になってガンになった話

色々あったので日記のように書いてみる。時系列的につらつらと書いているので見にくいかもしれない。

いきなりシモの話で申し訳ないが、事のはじめは6月末に玉が腫れて痛くなったことだった。次の週、7月には痛みは引いていて、人生で初めてという痛みでもなく「なんかよく分からないけどバイ菌でも入ったか」位に考えていた。しかし、その週末の木曜辺りになんだか違和感を感じてよくよく見てみると少し大きい、そして触ると歪な形をしているように感じた。その瞬間「あっこれヤバイやつだ」と背筋がヒヤッとした。友人とオモコロさんの記事「【精巣ガン】クリスマスにきんたま取ってみた」を見て盛り上がったりしたので不安が高まり病院に行くことを決意した。

次の日会社を中抜けして泌尿器科に。この時点では「まぁ言っても10万人に1人だし、別の病気で薬飲んだら治るだろ」と楽観的だった。特に混んでもおらず直ぐに呼ばれて状況説明。その2日前に親知らずを抜いていたこともあって抗生物質やらを飲んでいることを説明すると「抗生剤飲んでるのに腫れが引かないのか……」というちょっと怪しい雰囲気に。そのままエコー検査、恥ずかしいような気持ちで検査が終わると開口一番「これ取らないとダメです」と言われた。「マジっすか?」を連呼していた。それ以外言えなかった。「エコーでみる限りでも明らかに腫瘍があり、ガンとは言わないけど直ぐに取る必要がある。これを放置するのはヤブだ。」とまで言われたらもう取るしかないんだろうと思ったが、わりとヘコんだ。片玉は残るから生殖機能は大丈夫という話は、子供ももういるのでそこまで気にしてなかった。その日中にできたら手術してくらいの勢いだったが、その病院が連携できる大きな病院はもう受付が終わっていたので、自宅近くにある大学病院の紹介状を書いてもらった。

中抜けしたので会社の上司や同僚にタマがガンになりまして……と説明しつつ暫く手術と入院で休む旨を伝え帰宅。帰って奥さんに説明したが泣いたりとかはなく、「取り敢えず病院行ってしっかり検査受けて手術もして治そう!」という感じ。自分も不安だったから助かった。まだ自分も奥さんも実感が薄かったこともあるかもしれない。その日は寝た。自分は結構なゲーマーだが流石にゲームをやる気が起きず、早めに寝たと思う。

次の日、病院が開く午前8時に総合受付に行った。紹介状を渡して説明をすると直ぐに泌尿器科の受付へ。暫く待っていると診察室へ呼ばれた。前日の病院で検査してもらった話とかをして再度検査。ここでも間違いないと言われ、今日手術しましょうということに。昨日見つけて今日切るのかぁ早いなぁという気持ちと、「やっぱり本当だったか」というどこか楽観的だった自分に呆れる気持ちの半々という感じだった。その後、手術前の検査として転移がないか血液検査やX線、CTスキャン、より詳しいエコー検査等を受けた。これだけでわりと疲れたが検査が終わった後の診察では転移は今の所無いという形で説明を受けた。これが一番ホッとしたがその直後の「手術は半身麻酔で〜」という話でめちゃくちゃ動揺した。怖すぎる。それと入院が二日で済むという話を聞いて「腹切るんだがホントに大丈夫か??」と驚いたし不安になった。

その後1時間もしないうちに手術の説明、同意書のサイン、入院の説明などなど盛り沢山で頭が追いつかないなぁと思っていたころに手術着に着替えて移動となった。荷物運びを奥さんに頼むことになって大変だったので、次に手術が直ぐに行われそうな時は荷物持ってこようと思った。手術着で隠しエレベータみたいなのに乗って手術室のある階へ。そのまま担当のお医者様と挨拶してそのままの流れで歩いて手術室に。勝手なイメージだがストレッチャーに乗せられて入ると思っていたから「え?ここホントに手術室?」みたいな感じで手術室に入った。

手術は玉を袋から直接取り出すのではなく、鼠蹊部という足の付け根あたりを切ってその辺りの血管やら何やらごと引き抜くようなイメージ。最初に脊椎に麻酔を打ち、下半身が痺れてきた辺りで剃毛とか点滴とかカテーテル入れたりとか色々されていた気がする。余りにも手術が怖かったのでよく覚えていない。先生方が怖くないように音楽掛けてくれたり色々してくれていたが、死がより近くに感じるというか、よく分からない恐怖からずっと体がガタガタ震えていた。実は半身麻酔の話の辺りで怖すぎたので鎮静剤を入れてもらうことにしていたのだが、「手術中眠くなる薬ですよ」位のニュアンスの説明があったので全然目がぱっちり開いてたらどうしようかなとかそんな事ばかり考えていた。しかしそれは杞憂で「ハッ!寝てた!」と思った時には「縫合しまーす」みたいな話が聞こえてきたので怖いことはほぼなく手術は終わった。筒状の瓶に入った摘出した玉を見せてくれたが、真っ赤になった液体に浸っていてよく分からなかった。「ガンってこれどこかわかります?」って聞いたら「いや、中切って見ないと分からないですね」って言われて笑ってしまった。ここで玉とはお別れ。

結果として2時間程度で玉は取れ、生き残ったが入院生活もなかなかキツかった。最初はどうという事もなく、直ぐに駆けつけてくれた友人のお見舞いと奥さんと子供に迎えられて「いやー余裕だったわ」みたいな雰囲気を出していたが、夜になると切ったあたりに激痛が……。とにかく外も中も痛いし何ならカテーテルも痛くてわけがわからない状態だった。ナースコールで痛み止めを入れてもらったが痛みは引いたかもよくわからない状態で、もう一度呼んだが「この薬一回打ったら3時間おかなきゃいけないから」と言われ結局我慢するしかなかった。余りに痛いのでTwitterやらYoutubeやらを見る余裕もなくなり痛みを我慢しながら3時間、今までこんなに苦しい待ち時間があっただろうかと思いつつナースコール。効かなかった旨を伝えると前とは違う種類の痛み止めを入れてもらった。これが暫くすると効果が良く出て疲れから暫く寝ていたが、痛み止めが切れる頃にまた痛くて起きるような感じだった。

結局、痛みは実感できるほど段々と和らいでいった。3時間間隔で痛み止めを打ってもらっていたが、次の日の朝には痛み止めが切れてもあの恐ろしい痛みはもう襲ってこなかった(痛いは痛いが)。検診では傷口も綺麗だしもうカテーテルもとって歩いていいよという感じだった。昨日まであんなに痛かったし玉はないしホントかよって感じだったが、大丈夫と言われるのは嬉しかった。そしてカテーテルを抜くときは痛いというのは本当だった。担当した人は綺麗な人だった気がするけどそんなの気にしてる間も無くズルっと抜かれて摩擦熱と痛みと若干の尿意を我慢しているうちに居なくなっていた。暫くおしっこの時には激痛が走った……尿意は普通にあるからこれが地味にきつかった。

カテーテルを抜く前に一度立ち上がってみたのだが、全然余裕だと思っていたら立ちくらみが起きて暫く動けなかった。貧血か……と思っていたが半日くらい寝てたのが原因なだけで別に貧血とかでは無かった。その後3時間くらい上半身だけ起こすようにして過ごしていたら直ぐに良くなった。

二日目の夜は夢も見ずにぐっすり寝れた。痛みも動かなければ大したことはない程度になった。朝起きるとおっかなびっくり着替えもした。シャワーも浴びて良いと言われたが怖すぎたのでタオルで体を拭いて終わった。暇ができたし何かプログラムでも書くか!という程の暇も余裕も無かったので結局やっていたのはSNSとYoutubeだった。何だかガンだったっていうのに何も変わらなかったな、という感覚だけが残ったまま退院となった。普通に歩いて帰ったけれど、傷が少しひきつるのと少し痛みを感じたので未だかつて無いほどゆっくり歩いた。家に帰ると汗臭い気がしてきたので勇気を出してシャワーを浴びてみたが怖すぎて傷の辺りは石鹸を少しつけてサッと流して終わる程度にした。

長くなったけれど、私の精巣がんは発見された次の日には玉ごと無くなり、その二日後には生活に戻ってこれた。転移とかが無かったことも大きいと思うが、玉一個取るくらい訳無いんだなぁという感じだった。あれから2、3週間経ったが痛みは傷を押したりしない限りは大丈夫になった。お風呂も入るけど傷口はいまだにおっかなびっくり洗っている。先日の病理検査の結果はセミノーマのT1ということで、専門的なことは良く分からないが、まぁメジャーな治りやすい奴で段階もかなり初期で転移もないという感じだった。

ガンになったら生き残る確率がかなり減ると思って最初の頃は意気消沈していたが、病院の手際の良さと経過の良さから落ち込む間も、言うなれば治って喜ぶ間も無く現実に帰ってきた。実際、大きな病気だったのにいつも通りの生活に戻ってこれたのは良い事だと思う。これからは検査も定期的にやることになるから、逆に普通に過ごしていた時よりも病気が早期発見できて長生きできるかもしれない。

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