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いわゆる神秘体験ーキシダの場合その1

あれは私が30代の頃。
屋外で足元の小さな草花を見ていた。するとその小さな白い花が、なんだか光りながら迫ってくるような感覚(アリス症候群に似てるかもしれない)があって、周りの景色がやけにキラキラして鮮やかに見えて、自分がその景色の中に溶けていくような感じがあり、すべてが繋がっているんだという実感があった。
そのときは何が起こったのか分からず、たまたまそのとき恋をしていたので、ああ、恋をすると世界が薔薇色に見えるってこういうことかーと思っていた。ほんの数秒の出来事。今思えば、あれはワンネスという意識が拡大した体験。

その後だったか前だったか、アーティストが持ちがちな深淵な問いを投げかけたことがある。「人はなぜ生まれ生きるのか」
「感情の体験のため!」というどこからともない紋切りの返事。でもそれはすっと腑に落ちて、ああ、そうなんか、成長するためとか修行とか、そういうのじゃないんだ?なんだ、だったらせっかくだから、いろんな感情をただ味わっていけばいいわけねと納得した。

次は同じ頃、恋愛に悩んでいた私は「愛って結局なんのさ。私が聞きたいのは男女間のそれじゃない。愛ってそもそもなんなのかってとこよ。愛ってなに!?」そう誰ともなく問いかけた時、「愛とは、全てそれでいいということ。」という返事があった。誰だよって話なんだけど、それよりも聞くチャンス!と思ってすかさず質問を続けた。それはちゃんとした言葉ではなくて、忘れないよう口語訳しながら聞いたのを覚えている。

私「全てそれでいいって言ったって、だめなこともあるじゃん。戦争とかさ、人を恨むとかさ、だめなことってあるでしょうよ。」

?「それもおっけー。」

私「ええええ?!いいの!?・・・せ、戦争もいいのか・・・。」

?「戦争も殺人ももちろんあっていいものだよ。存在するということは、すでにそれは愛というものにその存在をまるっと許されて、愛という裏打ちがあって存在するんだ。存在してはいけないものは、そもそも存在しないんだよ。
例えば今あなたは、恋人が嫌いだと思っているよね?その嫌いなその人も、どこかの殺人犯も、すでに愛されて、完全に許されて存在してるんだ。あなたがちょっと嫌うくらいどうってことないんだよ。
あなたの中に生まれる嫌いだっていう思いもまた同じように愛され許されてる。だから、わざわざそれを否定する必要もないんだ。まぁ否定してもいいんだけどね。それも同じく許されている。」

私はその恋人を愛せないことを気に病んでいたのだった。そして私に話しかけるその存在に、自分は確かに愛され許されているという感覚があった。まさに降り注ぐ愛を受けて、ああ、私はこんなに愛され、完全に許されてるのか、と思って泣きじゃくった。マジかよ!愛ってなんて懐が深いんだ!
いやまて、じゃあ私が苦しんでるのに助けてはくれないわけ?

?「そりゃそうだよ。その悲しみも苦しみも同じく愛されてるからね。勝手に奪ったりしないさ。すべてのものは、愛そのもであり、文字通り愛の結晶なんだ。そうではないものなんて、ひとつもあり得ないんだよ。すべてそれでいい、そういうこと。」

ここまできて、いったいこれは何が起こってるんだと。こ、これはもしや神の啓示というやつなのでは?・・・にしては地味じゃね?天使がラッパを吹き鳴らすとか、荘厳な音楽が流れるとか、菩薩や天使が七色の雲に乗ってやってくるとかの、そういうわかりやすい派手な演出はないわけ?地味すぎない?

その問いはまさかのスルー。

派手な演出を期待して窓の方見ていた私の目に、見慣れた外の景色が見えた。霧雨の降る深夜、街灯に照らされた小さな雨粒と、雨に濡れて瑞々しい植え込みがキラキラと静かに光り、素直にきれいだなと思ってしばらく見とれていた。
ああ、・・・そういうことか。派手な演出がなくても、それ以上にこの世界はこんなに美しかったんだ・・・・。

その後短編のアニメーションを見せてきた。
私は探検家となって世界中に愛を求めて探し回るのだ。あの遺跡にあるらしいという噂を聞けばそこへ行き、こっちの遺跡にあると聞けば出向き、ありとあらゆる遺跡やありそうなところを探し回るが、一向にこれだ!というものはみつからない。
とうとう探してないのはこの砂漠のみとなって、砂漠中の砂を掘り返す。砂漠のバラは出てくるけど、愛は見つからない。そして最後のひと掬い。
ないわ・・・・。愛なんてどこにもなかったわ。あーあ。

大きな落胆と、ある意味サバサバした諦め。わかった。ないんだ。納得した。もういいわ、と私は空を仰ぎながらポケットに手を突っ込んだ。長く着古したそのポケットの底には、縫い目の隙間に砂やら木屑やら入っている。ポケットに手を突っ込むといつも指先に当たる小さな石の感触に気づいて、ああ、こいつとも長い付き合いだったなと、初めて取り出してみた、ら、それはアップになって、マジックのちょっと下手くそな字で「愛」と書いてあった。

その瞬間、私は愛に気づいたのだった。それこそが探し求めた本物の愛だった。なんだよなんだよ、ずっと持ってたじゃんよー私よー、なんだよもー・・・。ずっとここにあったじゃんよー、もー、言えよーーーー。
血眼汗まみれで探していた私の肩の上にいつもその存在はいて、それはちいさな天使のような妖精のような姿で、ただただにこにこと一緒にいたのだった。

号泣する私の目に足元の砂が映る。
その小さな砂粒のひとつひとつに、同じ書体で「愛」と書いてあった。

ありがちな物語。それでもそれを見終わった私は、安心して眠りについた。


ま、起きてから思ったよね。あいつ結局誰だったん。聞き忘れたわ。それでも肩の上の妖精とそれは同じ存在に思えた。
そしてひとつの不思議を抱えたままその後の15年を過ごした。

なんで、あれは思い出すってのに似てたんだろう。今晩のおかずなんにしよっかなーって思ったとき、ああ、冷蔵庫に鯖があったわ、と思い出すような感覚で答えはやってきていたのだ。私の人生では到底捻り出せない答えだったのに。


そして15年後、その答えがわかったのだ。

つづく

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