見出し画像

パンを焼く

ここのとこ、結構コンスタントにパンを焼いている。
ご飯を炊くより手間なのに、ご飯を炊かずにパンを作り、たまに手打ちのパスタをつくる。どっちもかなりの時間がかかるのに、めんどくさがりの私が、なぜこんな手間のかかることをとも思うのだが、これらは料理の中でも工作に近い部類なのだ。

パンはこねない。手がベタベタになるのが嫌だから。粘土だって手につかないのを選ぶもの。塗料が乾くのを待つのと、小麦粉ががグルテンを形成するのを待つのとなんら変わらない。パン作りは、私にとってほとんど工作だ。コーヒーのお湯を沸かす間にひっくり返して折りたたむとちょうどお湯が沸く。

昔パン教室に通ってた時がある。さすがにパンは教えてもらわにゃできんやろと思ったからだ。だがしかし、だ。私が作りたいと思ってるパンと、教室で習うパンは違う。私の中の理想のパンは、ドイツパン寄りなのだ。

ドイツパンに寄せる私の郷愁にも近い感情は、まんまドイツへの郷愁なのだろうとも思う。ドイツにいた転生がある。それは私にとって珍しく幸せな転生だった。知能遅れだった私は親に捨てられ、森に住む変わり者の老夫婦に育てられた。彼らに愛されたわけじゃない。でも彼らは私が生きるための知恵を授けてくれた。薬草の見分け方、その加工技術、それらを老夫婦に教わった。
成人するころには、すでに老夫婦は他界したのであろう。私はひとり質素な小屋に住み、薬草やキノコの採取と加工をして、近くの村に売りに行っていた。村人たちは私のつくったものを、コンスタントに買ってくれて、信頼してくれていた。村人たちには知能遅れだという認識はあったものの、それが原因で排斥されることもなかった。薬草を売ったお金で必要なものを買って森に帰るというルーティンを一生涯続けた。
単調なその日々に、私は喜びや充足感を感じていた。
森で出会う動物たちとも適度な距離を保ちつつ、お互い尊重しあっていた。夜には星を見上げ、生きていることに感謝した。寂しさや嫉妬を感じるほどの知能を持ち合わせていなかった私は、いつも充足していた。そして知能遅れだったが故に、一番明晰性をもった転生だったと思う。

村のパン屋にときどき木ノ実も持ち込んでいた。クリスマス前にはパン屋がシュトーレンをプレゼントしてくれるのだ。

私の従兄のお兄さんは、ドイツ菓子をつくって売っている。彼の焼くパンは絶品だ。クリスマスには毎年、ジンジャークッキーでできたお菓子の家とシュトーレンをくれた。あのドイツのパン屋の主人は、この従兄だったかもしれない。


そして私は今日もパンを焼く。

とても満たされた気持ちで。

まるで儀式のように、工作のように。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?