飽きたわけではない
いしいしんじさんのエッセイの中で、自分の中に釣り糸を垂らしてみたら、いろんな記憶や感覚が釣り上がるという記載があります。
私もそんな試みをしながら日々過ごしていますが、そんな時ふと、昔好きでやってたことは、案外今でも好きなもんなんだな〜と思いました。
例えばコーヒー焙煎。
例えばウクレレ。
例えば着物。
いずれも今から10年くらい前に頑張って取り組んでいたのですが、だいたい2年くらいで飽きてしまって、今は焙煎機もウクレレも着物もほとんどスリーブ状態です。
でも「飽きた」という表現はあまり正確ではなくて、どちらかというと「続けるのがしんどくなった」という感覚だったのかな〜と、今になって感じます。
「いや、それが飽きたって感覚やろ?」と総ツッコミが入りそうです。
実際飽きっぽい性格なので、自分でも結構あやふやな所はあります。
本当に飽きて、切り捨ててしまったこともたくさんあります。でも切り捨ててないものは、たまーに箱から出して、眺めてみてはまた片付けるを繰り返しています。
飽きたものとそうじゃないものの違いは、そんな感じなのかもしれません。
いつか「続けるしんどさ」が消えて、また再開することがあるのかどうか。
正直それはわからないのですが、でも「縁」だとか「機会」だけに任せてたら、多分今とそんなに変わらないんだろうな〜と思います。
そんなわけで、ほんのちょっとだけ能動的に動いてみようと、まずは手持ちのウクレレをメンテナンスに出してきました。
弦を全部交換。あと本体の傷のチェック。
数日後に戻ってくる予定です。
お店にウクレレを持って行く時、ウクレレが本当に小さくて軽くて、なんて愛おしい楽器なんだと思いました。
来週の鎌倉旅行に連れて行こうかと、半ば本気で思いましたが、それはちょっと無理っぽいです。
☆おまけ
今年神戸マルシェというイベントに、ハンドメイドウクレレのお店がありました。
そのお店のウクレレが、もう本当に素敵で!
お店の人に「弾いてみますか?」と声をかけられましたが、もう長い間ウクレレを触ってなかったので、固辞してしまいました。
今回ウクレレを触ってみようという気持ちになったのは、それが心残りだったからかもしれません。
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