羊文学の雨乞い

本当なら今年の2月頃にやるはずだったライブの延期公演で、その後払い戻しやら何やら色々と案内や手続きがあって、電子チケットだともはや自分がチケットを持っているのかどうかさえわからなくなる。紙のチケットならそんなことはないだろうけど、でもたぶんこんなに時間が経っているとなくしちゃいそうな気がする。

感染症時代のライブも慣れてきたもので、ここで歓声上がるよね、ここで一緒に歌うよね、ここで激しく踊るよね、という約束ごとをステージとフロアで無言で確認し合いながら、静かに淡々と演奏だけが続く。

ステージの羊文学を眺めていると、なんだか雨乞いの儀式みたいだった。今までに何百回とライブを観てきたけど、そんなふうに思うのは初めてのことだ。この人たちは何のためにこれをやってるんだろう、と考えちゃうぐらいに熱しきれない空気のせいでもあるけど、ライブを観るときはけっこういつもとりとめもないことを考えている。

この人たちがこの狭い箱でギターをかき鳴らすことと、ローリングストーンズがどデカいアリーナで演奏することの違いは何だろう。違いと言うか、共通点は何だろう。と考えていたら、これはきっと雨乞いなんだ、という考えに至った。

かつて、確実に雨を降らすことができる雨乞いの霊媒師がいた。要は、雨が降るまで雨乞いを続けるだけの話なんだけど、この話がけっこう好きだ。

羊文学もチャーリーを失ったストーンズもヒップホップのおっかない人たちも石川さゆりも長渕剛も、みんな雨が降るまで雨乞いをしているのだ。通夜の晩にろうそくの火を絶やさないために、みんなが順番に寝ずの番で火を灯し続けるように。

こういう時期のライブだもの、そんな気分にもなるよ。ミュージシャンのみんな、ありがとうね。恵の雨が降るまで一緒に待つよ。

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