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【在宅つまみテク】業務スーパーの『牛赤身スジ肉』で、煮込みながら”宅立呑”を

会社の人間で回していくnoteのリレー連載ですが、私のところで2週間ほど止めてしまった関係で、大変な遅延が発生しております。TEKIKAKUのみんな、もう本当にゴメンナサイ。そして、にも関わらず何か大きな仕込みがあるわけでもなく、いつもと変わらない内容で、二重にゴメンナサイ。

立呑屋さんというのが非常に好きで、いつでも気軽に入れて、気兼ねなく飲んで帰れるラフさが性に合っていると思っていたんですが、やっぱりこういうところも、残念ながら行かなくなりました。職場や取引先の最寄り駅とか、乗り換え駅とかにあると、なんというか物理的に吸い込まれてしまって「実は行くつもりじゃなかったんだけど、つい来ちゃったんだよなあ」とかつぶやくことになるのですが、そこも含めての立呑体験なんだろうと思っています。

駅から駅への移動がなくなると、立呑屋さんに行く機会はぐんと減るわけですが、この立呑体験的なるものは、自宅に居ても発生することを発見しました。つまりこの「飲むつもりじゃなかったのに、つい飲んじゃったんだよなあ」と言いながら、コップにお酒を注ぐ行為。これが、特に長く煮込んだりする料理の最中に発生しているわけです。

お酒は、料理中が一番捗ります。

業務スーパー『牛赤身スジ肉』でつくる!普通の牛すじ煮込み

<材料>
・『牛赤身スジ肉』__2パック(2キロ)
・玉ねぎ__大2個くらい
・焼酎__1リットルくらい?
・大根__1/2本程度
・こんにゃく__2パックくらい
・焼き豆腐__2丁くらい

調味料
 ・醤油__200mlくらい
 ・味噌__大さじ2くらい
 ・三温糖__お好みで50グラム程度 ※なければどんな砂糖でもOK

<調理用具>
・でかい鍋
・包丁
・下茹でした肉をゆでこぼすザル

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<準備(下茹で)>
1.牛すじ肉を買ってくる。業務スーパーの冷凍パッケージ商品「牛赤身スジ肉」が安くて扱いやすいのでおすすめ。脂や血もちょうどよく落ちてるし、最初からカットされている状態なので手間取りません。

2.鍋で湯を沸かし、沸騰したら冷凍のすじ肉を全部投入。

3.再度沸騰したら、一度ザルに茹でこぼす。
※気になる人は、蛇口から熱湯を出して、洗いながら脂やヌメリを取ってもいいですが、『牛赤身スジ肉』だったら必要ないです。

<手順>
1.玉ねぎを適当に切る。煮込んでる最中に溶けるので、大体でOK。

2.下茹でしたすじ肉と玉ねぎを鍋に入れ、全体がかぶるくらい焼酎を注ぐ。焼酎と同量程度の水を入れる。30分ほど強火で煮込む。

3.大根、こんにゃく、焼き豆腐を切る。

4.30分以上経って、鍋の水分が半分以下になったら、すじ肉の味見をして固さをみる。焼酎(容量外)を一杯やったり、醤油(容量外)を少したらしたりしながら、味見をする。

5.すじ肉がある程度柔らかくなってきたら、大根、こんにゃくを投入。再び、具が全部浸る程度まで水を入れる。沸騰したら弱火にして、また30分ほど煮込む。
 川柳川柳『ガーコン落語一代』を読む。川柳川柳は、三遊亭圓生の二番弟子で、一番弟子の円楽とは3ヶ月違い。圓生によって三遊亭を破門されているので、川柳を名乗っている。
 なんでも酒の失敗の多い人で、各所で語り草になるような事件をさんざんしでかしているらしいのだが、しかし根っこの部分が明るくて、恨みを買わないどころか、結構いろいろと慕われているらしい。談志から何度も破門されている快楽亭ブラックなどは、『川柳の芝浜』なんてネタを作るほどで、自分の催しにはよく川柳を招いてトリを取らせたりしている。
 実際、『ガーコン落語一代』は全編に渡ってからっとしている。三遊亭一門と立川談志が引き起こした落語協会脱退事件についても、弟弟子の円丈が『御乱心』であれだけ愛憎たっぷりに描いたのとは対照的。気持ちよく歯切れよく進んでいくが、読み進めているうちに、そのからっとした語り口のなかに、諦観めいたものが見え隠れする。暗い展開になっていくところも、あるいは明るく楽しいエピソードも、常に第三者な感じがすごくいい。
 ある意味で無責任とも言える態度かもしれないけど、当事者であることを徹底的に回避しようとすることへの、一種の覚悟みたいなものがあって非常に好きだ。高座の川柳の、明るいことも暗いことも、いつも口角の上がった明るい声でしゃべってしまう様子が思い出される。

6.醤油、味噌、三温糖(なければグラニュ糖でも可)を入れて味を調えたら、最後に焼き豆腐を入れて、さらに30分〜60分ほど煮込む。
 ECD『いるべき場所』を読む。こちらは、さっきの川柳『ガーコン落語一代』から、冗談やペーソスを引いたような平成音楽一代記。ECDもまた、当事者としてあらゆることに関わっていながら、常に第三者の視点を獲得してしまう人だと思う。
 川柳のガーコンというネタは、本当は『歌で綴る太平洋戦史』というタイトルで、開国後に流入した平均律の音楽から、戦時中の軍歌を経て、終戦直後に流入したジャズ(グレン・ミラー『茶色の小瓶』の口演がある!)に至るまでの流れを、ひとつのネタのなかで巡るという離れ業をやってのける。
楽理的な知識も相当あるんだろうけど、なによりその身体的な音楽解釈に、なんというか、これまで読んだ批評のどれとも違った感触を味わってしまう。大好きだ。
 恥ずかしながら不勉強で、自分はガーコンというネタで初めて『空の神兵』という曲のメロディを知ったのだが、ここで川柳は扇子で拍子を取る。
そのときの拍のとり方が早めの8分音符で、かなり細かめのビート感覚を持っていることがわかる。意識的かはわからないけど、ある意味サゲへの伏線にもなってると思う。

 開国以後から終戦明けのスウィングジャズに至るまでを語るガーコンだけれども、その少し後を引き継いで、フォーク、パンク、ニューウェーブ、そしてヒップホップに至るまでを語るのがECD『いるべき場所』。
 この本が扱う1960年から2007年までの間には、安保闘争も阪神大震災も地下鉄サリン事件もアメリカ同時多発テロもあったけれど、そこにタッチするときの語り口も川柳ばりにさらっとしている。
 ECDは、1960年に生まれた川柳に違いない。なにしろ、この本で一番最初に出てくる音楽は『空の神兵』なのである。川柳よりも先にECDが亡くなってしまったことは、あらゆる意味で信じられない。

7.煮込み具合をみるために、お酒とともにちょこちょこ味見をする。ちょうどよく酔っ払ってきたらできあがり。

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ECDのいない2020年

今年は、ECDだったらなんて言うのかな、と思うことが多い年です。

音楽や笑いといった芸事のなかから、なぜか政治という要素を抜き出して考えたい人がいるんだそうですが、私は政治というのは、自分たちの生活をより良くすること、つまり過ちがあればそれを改めたり、守りたいものを具体的に守ったり、正しさをなんとかして探し当てようとしたりといった、ひとつひとつの生活上の努力のことを指していると思っていたので、こうした発想にひどくびっくりした記憶があります。

音楽や笑いといった芸事は、私達がいま現在認識している世界を、作品の力によって押し広げようとするものです。逆から言えば、世界が現在、どのようなものであるかを認識していなければ、作品がその力を発揮することもありえません。私達がどのように暮らしているのかを認識しなければ、作品鑑賞さえできないと思っています。

音楽や笑いのなかに政治を持ち込んでほしくない、という発想は、嫌な現実から目を背けさせてほしいとか、生活のことを忘れさせてほしいという欲望の現れなのだと思います。そうしたなかにおいて、音楽や笑いというのは、作品ではなく、一種のドラッグとして機能することが求められているのかもしれません。

ドラッグの投与ではなく、作品を鑑賞できる状況になることを望みます。

文&写真:安藤賛

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