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ROMっていた場所で他者操作性を発揮して参入のきっかけを作った話

わたしがずっとROMりながら参入のきっかけを伺っていた、交流が主目的っぽい大きめコミュニティで、そこに投下するにしては些か議論的姿勢寄りの"素朴な疑問"って感じの文章が湧いてきたところから話は始まる。

交流と議論は必ずしも排反ではないにせよ、たとえば日常会話に突然"政治的"話題が持ち込まれたときの動揺のように、交流的姿勢の集団に持ち込めば規律違背となる種の議論的姿勢というのは存在する。今回もその例に典型的な反応に違わず、「"素朴な疑問"に対して誰も議論としての反応はせず、曖昧な発言や連想された感想を述べる」という状況になっていた。

さてさて自分にとっては得な状況がやってきた。

おれは議論的姿勢は大好物だ。
同時に、議論的な内容を交流的姿勢に潜り込ませるのも大得意である。
だってわたしの生存の上では、自分のセクシュアリティや性自認や女性性や発達障害的特性の説明をいかに聞いてもらうかということが超重要で、でもそういう話題は普通に提示すると"政治的"扱いされちゃって「まあ色んな人がいるよね」みたいな聞いてもらえない反応が返ってくることになる。だから交流的姿勢にせっせと潜り込ませながら伝えていくのだ。
わたしが洗脳と呼んでいるやつである。 

つまり考えたのは:

  • みんなが困っている場をうまくまとめる

  • ここで交流的姿勢を示すことで、わたしが交流的姿勢を取れる人間だということを人々に強烈に印象付け、後日うっかり議論的姿勢を出してしまったとしても怖がられる可能性を減らす

これで、自分は味方ですよシグナルを出して、参入に繋げるということだ。

しかも、大抵の人間は議論的姿勢が持ち込まれた場に気まずさを感じて適当に離れたくなるらしいが、議論的姿勢が大好きなおれにそんな心理的コストは必要ない。お得。

あと、「"素朴な疑問"に対して誰も議論としての反応はせず、曖昧な発言や連想された感想を述べる」空気はかなり嫌いなので、ちゃんと議論として反応したいという思いもあった。
幸いにも、話題には少々の知識を持っていたし。

ということで、実行に移すことにした。

まずは交流的姿勢を取る他の人々に擬態して参入する。
つまり、議論的姿勢を持ち込まれた交流的集団の一員として、議論としての反応はせず、曖昧な発言や連想された感想を述べる。

ここで自分の発言に一工夫。相手の主張を少々露悪的にそれでいて的確で簡潔にまとめ、それに対して悪気はないかもと思いつつ感情的になってしまった自分を演出する。
こうしとけば議論的姿勢を取っている人は往々にして食いつくので、わたしが議論に仕方なく参入する理由になってくれる。
同時に周囲はわたしに同情的になってくれる。

結果は上々だった。
つまり、周囲からはわたしに共感的な反応が得られ、同時に"素朴な疑問"の投下者はわたしに議論的な反応を返してきた。

名目が整ったので、あとはお気持ちという名の自分の主張を少し柔らかめの口調で述べるだけだ。

仕上げに、自分の発言が議論的になっちゃったことを自覚していますよ~、というメッセージを付け加えることも忘れない。
これは投下者に対して態度が議論的すぎるとほのめかす意味もあるが、実は別に投下者に伝わる必要はない。むしろ周囲に、わたしが議論的姿勢の中和をしようとしていることが伝わればよいのだ。「わたしが交流的姿勢を取れる人間だということを人々に強烈に印象付け」である。

ついでに場全体の議論的姿勢を弱めたいと思っていた人たちが簡単にそれを表明できるよう、ちょっと細工もした。

これからどうなるかな。


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