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誰かのせいにして生きていく

こんなこと書きたくないけれど、自戒の念を込めて。

新卒で入った会社は大手のハウスメーカーだった。
サービス残業、休日出勤は当たり前。ノルマも毎日厳しく課せられ、上司から怒られる日々だった。

2年目の秋に埼玉から名古屋へ転勤になった。埼玉の支社では売れない、アポも取れない、役に立たない、若手らしいフレッシュさも明るさもない、そんな社員だった。支社の業績が悪化し、私以外に3人のおじさんが同時期に異動を言い渡された。
完全に、飛ばされた4人だった。


名古屋では心を入れ替えてまた新たな気持ちで頑張ることを決意した。
新しく上司になった人とは馬が合い、気に入ってもらえた。埼玉時代には存在しなかった「同期」というものにも初めて出会えたが、同性という要素もあってか私が上司に気に入られていることを良く思わなかったらしく、あることないこと吹聴された。
何だかよく分からないところまで、私の噂が広がっていた。

新入社員のときから名古屋で働いている同期や後輩は、既に仲の良い先輩たちがたくさんいて、私はとてもその輪に入っていけなかった。それでも、何とか仕事だけはと思い張り切っていた。

上司のサポートもあり、運良く契約を取ることもできたが、社内のルールが埼玉と違い過ぎてスケジューリング等で何度も怒られた。埼玉支社の3倍の規模を誇る名古屋支社では、設計・工事・営業の連携は全て社内の回議システムに則って行われ、フラッと担当者の席に行って相談する、なんてことは全くできなかった。

契約者と現場監督との行き違いでミスが発生し、工事課長のところに謝りに行ったら、
「女だからって泣きそうな顔してればいいと思ってんじゃねえぞ」と言われ、完全にブチ切れた顔をしてしまい上司に宥められたこともある。

そんな風に、契約までは何とか持っていけてもその後のフォローが上手くいかないということが続いた。
上司も忙しく、さすがに契約後は自分でやれよ、という感じで埼玉でもやったことのなかった業務を、慣れない地の慣れない社内で行うことになる。


相談できない。話しかけるのが怖い。
報告しなければならないことはたくさんあるのに、全部後手後手に回ってしまい、とうとう抱えきれなくなった。

契約者、設計担当者、工事監督、コーディネーター、銀行、外構屋、社内外あらゆるところから電話が鳴り止まない。
「今度の打ち合わせの日が、」
「キッチンの場所なんだけどさ」
「カーポートの見積もりを…」

頭がおかしくなりそうだった。
会社用のガラケーが怖くて仕方なかった。

ついに私は体調不良で休むということだけ上司に連絡して、会社携帯と自分のスマホの電源を切った。
次の日も、また次の日も会社を休んだ。
契約者とのアポイントの日を勝手にずらし、社内の連絡は全て無視した。

カーテンも開けず、電気も付けず、たまにフラフラと起き上がってはキッチンで水を飲んだ。
目を閉じてベッドに横たわり、寝ているのか起きているのか分からない状態が何日も続いた。何度か金縛りのようなものにも遭った。


引き渡しを直前に控えた家が、2軒あった。
その2軒を、2家族を残して私は退職した。
まとまっていない大量の資料を上司の机にドサッと置き、怖くて挨拶もできないまま逃げるように会社を辞めた。

最低だ。
全部自分が引き起こしたことなのに、全部押し付けて勝手にいなくなった。
契約者にも社内にも、どれだけの迷惑をかけたか。想像すると吐きそうになる。


それでも、私の履歴書には大手企業に3年ちょっと勤めた経歴が残る。職務経歴書には、何千万もする物件を何軒も売ったことが書ける。
「厳しい環境下で頑張っていた感」だけを身に纏い、自己防衛に自己防衛を重ねて生きている。
確かにパニック障害という厄介な病もお土産として付いてきたが、当然仕事のできなかった自分、相談できなかった自分が悪く、上司も会社も悪くない。

全部自分が悪い。そんなこと自分が一番分かっている。
だけど、なぜ会社を辞めたのか聞かれれば身近な人には体調を崩したと言い、面接では「転勤先が慣れない地で…」とか「女性営業は先が見えなくて…」とかそれっぽいことを言っている。
嘘ではないけれど、言い訳でしかない。

仕事ができなくて。
色んな人に迷惑をかけて。
責任を押し付けて。
勝手に会社を休んで。

そんなこと、誰にも言えない。
だって、全部自分のせいになってしまうから。
誰かのせいにしないと生きていけないから。
確かに厳しい会社ではあった。だけど退職まで追い込んだのは自分だ。

頑張ってた。良い経験をした。
辞めてから毎日毎日、思い出を美化して誤魔化している。自分がどれほどの迷惑をかけて辞めたかなど1ミリも考えず、良いように良いようにだけ考え自分すら騙している。


だって簡単には死ねないから。
生きていくしかないから。
そんな重荷を背負って、歩けないから。

何とか生きていくために、全部人のせいにすることにした。最低なのは重々承知だ。私のした過ちは、全て心の中にくっきりと刻み込まれている。
だけど表面上は、人に見せる部分だけは、或いは自分が簡単に見られる部分だけは、綺麗にしておきたい。

もう謝ることすらできないから、こうやって時々思い出しては懺悔している。

ごめんなさい。
でもきっと、これからも誰かのせいにして私は生きていきます。





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