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人生1周目

なんでも姉と同じようにやりたい子どもだった。

姉も私も幼い頃から近所のスイミングスクールに通っていた。普通のスイミングスクールではかなり珍しいことだが、このスクールにはシンクロナイズドスイミング(現・アーティスティックスイミング。まだ慣れないのでシンクロのままで)のコースがあった。
昇級して一番上のクラスまで行くと、競泳の選手コースかシンクロのコースに入れることになっていた。ほとんどの子どもはそのまま一番上の級でタイムを上げることを目指しつつも、小学校卒業と共にスクールも辞めていく。

3つ上の姉は小学4年の頃、シンクロコースからのスカウトを受けてシンクロを始めた。先述した通り、一番上のクラスに在籍していれば競泳コースかシンクロコースに進むことができるが、稀に競泳コースに入る人がいるくらいでシンクロコースに入る人はまずいない。

そもそもスクールでは泳法を学ぶのが目的で、競泳はその延長にあるがシンクロは全く別物。四泳法できなければシンクロはできない、という考えがあるにも関わらず小学校高学年や中学生から始めるのでは遅いという、今考えるとかなり厳しい条件がある。
始めるにはハードルが高い上に得体の知れないマイナースポーツ。想像通り、シンクロコースは万年人手不足に悩まされていた。

そこで、「スクールで一番上の級にいる、小学生の女の子」に目をつけ、当たり構わずスカウトしていたというわけだ。それに引っかかったのが、小学4年生にしてはやや背の低い、ひょろっとしたうちの姉。
運動はそこまで得意なわけではなかったが、水泳だけは小さい頃から習っていただけあり、「まぁ、できなくもない」くらいの感じだったという。

当時入るのに悩んだのかどうかは知らないが、とにかく強い勧誘によりシンクロコースに流れ着いた姉は、結局高校2年まで続けることになる。これはすごい。

一方私も例によってスクールに通っており、結構順調に昇級していた。
クロール、背泳ぎ、バタフライ、平泳ぎの順で習っていくのだが、「平泳ぎの級には小学生にならないと上がれない」というルールがあり、幼稚園の頃、その直前のバタフライの級に無駄に1年間も在籍していた。手前味噌だけど、これもちょっとすごい。

姉から遅れること一年、小学2年になったとき迷わず私もシンクロコースに入る。
スカウトなんか受けていないけれど、私の中に「姉がやっていることをやらない」という選択肢はない。

シンクロからのスカウトはなかったが、幼いながら一番上の級でブイブイ言わせていた頃、競泳のコーチから熱烈なラブコールを送られていた。今考えるとありがたい話なのに、当時の私は生意気にも「2年生になったらシンクロやるから!」の一点張りで断り続けていた。
あの後、何度「あのとき競泳やっておけば…」と悔やんだか知れない。

その後中学2年までの7年間、シンクロを通してありとあらゆる感情を経験をした。
大まかに見れば「子どもの頃の出来事」でしかないけれど、違う人の人生のように思うくらい、本当に自分のことなのかと疑ってしまう。

いつかちゃんと振り返りたい、という思いだけでシンクロのことを書き始めたものの、まだ初日も迎えないままこんな長さになってしまった。

シンクロを辞めた後の14歳からは、人生の2周目。
人生1周目のことを、これから少しずつ書いていきたい。終わりは未定。

#エッセイ #コラム #わたしのじんせいあれやこれ

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