#4 わたしのじんせい あれやこれ

まあ、誰も送ってこないよなぁ…なんて思いながら、このマガジンを始めるにあたり新たにGmailのアカウントを作って、メールボックスを開けっ放しにしていました。
解放して以来、初めて動きがあったのは先週の土曜日。いつも素敵な文章を書かれているしょうこりんさんからでした。
以前書いた記事を寄稿してくださるという内容で、飛び上がるほど嬉しくて、非常識極まりない、朝5時半に返信しました。すみません…。

過去の自分にそっと声を掛け続け、それも優しさで満ち溢れた内容で思わずぐっときてしまいました。失敗も恥ずかしさも全て認めているのに、蔑むでも、嘲笑うでもなく、少し前方から微笑みながら語りかけているようで、そうそう、何も否定することなんてないんだよね、と気付かされました。
自分を許せる人は他人を許せる。優しく、そして正しい人だと思います。

就職活動をしている時期というのは、人生の中でもとりわけ特別で異質な時間だと思います。大抵は学生時代に含まれるけれど、この時期だけ抜き出して「就活時代」として括っても差し支えないくらい。
生まれてから20数年、自分が何をしてきたのか、どういう人間なのか、そしてこれからどうなっていきたいのかを考え、それを僅か数分間で他人に伝えなければならない。こんなことって、後にも先にも就活をしているときにしかやらないことだと思います。

就職活動で落とされるというのは、イコール自分の人生を否定されること。そんな風に思ってしまうのも仕方ないくらい、ちょっと精神状態もおかしいんですよね。

浅はかな憧れ。
無謀な理想。
盲信。妄信。猛進。

自分自身に振り回されて、極端に視野が狭くなってしまう。でも、就活を経験した人なら、絶対そんな自分を鼻で笑うことなんてできないんです。どれだけ間違っていたとしても、あの頑張っていた自分を、必死に走る自分を否定できないと思います。

21歳の、目をキラキラさせたり絶望の淵を歩き回ったり、毎日一喜一憂していた一人の少女を想うと強く抱きしめてあげたくなります。母心か、はたまた老婆心か分かりませんが、大丈夫、あなたは3年後とっても素敵な女性になっているから、と言ってあげたくなります。


就活時代のことは、私もいつかちゃんと書こうと思っていました。
私も私でおかしくなっていたのか、落とされてもへこまない、面接では緊張しない、圧迫面接に至っては喧嘩腰という、ちょっとした無双状態に入っていました。
かつてない自己肯定期に入っていて、今思うとなんだったんだあれは?という感じですが、そんな風に就職活動を乗り越えてきました。


最後、『夢見がちなせいで、夢見がちなおかげで』と自分に語りかけていて、すごく良いなあと思いました。
「せいで」と「おかげで」は紙一重だと思います。
「あの時のせいで」と笑いながら小突いてやればいいし、「あの時のおかげで」と頭を撫でてあげればいい。そう思うんです。


素敵な記事を、本当にありがとうございました。

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#エッセイ #コラム #わたしのじんせいあれやこれ

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