私と社(やしろ)と寺(てら)と

寺社巡りが趣味になった。
私は祈るために用意された場所にパワーを感じるし、それが整備されている寺社教会モスクが好きだ。
その条件が整えば、宗派とかは関係ない。

まず、私は教典や教義が好きではない。
宗教によって思想や行動が制約されることを嫌っている。
決まった曜日の決まった時間に何かをやるとか、決まった体勢をとって祈らないといけないとか、そんなことに従いたくない。

以前、私は神さまを真面目に信じていなかった。
お祈りするのは、年末年始とお願いをしたい大事なときだけ、という感じ。だいたいの日本人ってそうじゃない?

変わったきっかけは19歳。
初めてヨーロッパに行ったときにカルチャーショックを受けた。
誰も働かない日曜日。
荘厳で静かな教会。その前に広がる広場、カフェのテラス。
ヨーロッパの人たちは、神様と生活をしていた。
ヨーロッパを観光するにあたって、その文化をに触れるとキリスト教が必ず関わってくる。

そんなことに驚きながら、モン・サン・ミシェルを訪れた。
人生で初めての衝撃を受けた。

修道院に入ってその空気を吸ったとき、畏敬の念を超えた、いままで感じたことのない気持ちになった。

ずっとここにいたい

と思った。

身を捧げてもいいかもしれない

とも思った。

俗に言うパワースポット、の一番すごいやつといえばわかりやすいだろうか。
一緒に行っていた姉は普通にしていたから、
私とモン・サン・ミシェルのあの空気がたまたまあっていたのだと思う。

3年後、同じ気持ちを別の場所で味わうことになる。
場所はトルコ、イスタンブール。
アヤ・ソフィアと呼ばれるモスクで、全く同じ衝撃を受けた。ここで日本語通訳として働けないかな、なんて考えてしまったくらいだ。

共通しているのは、「人々が祈る場所」ということだった。
私は自分が、そういう建物の空気感をとても好きだということにここで気づいた。

大学卒業前に、今度はアンコール・ワットに行くことにした。
アジアで一番有名な寺院の一つ。ここならまたあの衝撃を味わえるかもしれないと思った。

結論からいうと、アンコール・ワットでは同じ気持ちにならなかった。アンコール・ワットは遺跡であり、観光地だ。外国人たちが写真をパシャパシャとるような空間では、「人々が祈る場所」特有の空気感を味わうことができないのだ。

また、日本の寺社でもなかなか同じ気持ちになれなかった。日本の寺社は巨大な建物ではなく、境内という屋外の空間に建物が点在するような構造のものが多い。
開放的で、教会やモスクのような、神々しく密閉された空気感を味わうことがしにくいのだ。

しかし社会人になって、日本の寺社をめぐるうちに、以下の条件を満たす場所は私にパワーをくれることが判明した。

・自然に抱かれた祈りの場であること
・悠久の歴史があること

この2点である。
特に、海の中や山の前、丘の上や平原の真ん中など、自然の中に鳥居がある風景は素晴らしい。

また、古くからあるお寺さんは、よく手入れされている庭の花園を持っていることが多く、季節の花が咲く光景は四季を感じて楽しい。本堂の中に入れるお寺では古木の匂いがかげる。私の大好きな匂いの一つだ。

時折、ここにずっといたいなと思える場所に出会える。
その経験は、私の人生の財産だと思う。

#寺社巡り #神 #仏 #教会 #モスク #モンサンミシェル #アヤソフィア

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