過去の自分と対話した話

あなたは過去の自分を覚えているだろうか。
私はもの覚えのあまり良い方ではないので、過去の自分について覚えていることは少ない。特徴的なイベントや出来事ならまだしも、過去の自分がどのような日常を送る少年であったかについて客観的な視点から語ることはおおよそ不可能だと思われる。しかし、この前なんとなく思い出したことがあった。それは、自分が中学生だったある日に起こった、あまりにも日常的な出来事であった。

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中学2年。長かった梅雨も過ぎ去って、ちょうどこれから本格的な夏に入ろうかという頃のある日。学校から帰ってきた私は、いつものように手を洗おうと洗面所に向かった。我が家の洗面台には沢山の収納があり、その中にはもう長いこと開けられていないような、使う頻度の低い収納スペースもあった。普段だったら何も気にならないような収納だったが、その時の自分は何故かその収納の中身が知りたくなって、なんとなくその引き出しを開けてみることにしたのだった。

収納の中身がなんだったかはよく覚えていない。使う必要があまり生まれないような強力な洗浄剤とか、そういう類のものだったと思う。ただ、そういった容器の立ち並ぶ中に一つだけ、明らかに異質なものがあった。

それは、ぷっちょだった。ぶどう味のぷっちょである。

何故?と思った。何故ぷっちょがここにあるのか。洗剤ばかりの空間には明らかに似つかわしくないパッケージ。開けて何粒か食べた形跡があるのに何故か最後まで食べきっておらず半分以上残っている中身。これは一体どういうことなのだろうか。思わず自室にぷっちょを持ち帰って、少し考えてみたが、ぷっちょの謎は晴れないままだった。

ちょっと、食べてみることにした。何故だか分からないが、とりあえず食べられていないお菓子を見つけたのはラッキーである。もしかしたらそのまま食べられるかもしれない。僕はぷっちょの銀紙を外し、その中身を口に放り込んだ。

あまりにも不味い!どんな味だったかは今となっては覚えていないが、とにかく不味かった。そして、その味覚を認識した瞬間、ある一つの記憶が僕の中に怒濤のように甦ってきた!!

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幼稚園のころの記憶。よく歯磨きをサボっていた自分は、たまに虫歯になっていた。当時は虫歯をすると、虫歯になった部分を削り、削った部分に代わりとして「銀歯」「金歯」と呼ばれる銀や金の詰め物を詰める治療法が主流で、自分もいくつかの銀歯持ちであった。

銀歯持ちにとって、ぷっちょやハイチュウは天敵である。ああいったベタつく食べ物を食べると、それにくっついて銀歯が取れてしまう可能性があるのだ。そのため、私の親はいくらねだっても私にぷっちょやハイチュウの類を買ってくれることはなかった。

しかし、その日は違った。いつものように親とコンビニに行き、私がぷっちょを買ってくれと母に頼んだら、なんと母がぷっちょを買ってくれたのだ。絶対に歯の詰め物を取らないと親に誓い、私はぷっちょを一つ手に取り、食べ始めた。なんと美味なことか!

幼い私は嬉しかった。こんなに喜びがあふれる食べ物があっていいものか。これを今の時点で一気に食べきってしまうことは、あまりにも損失ではないか。一粒ずつ、長い時間をかけてゆっくりと食べきったほうが、長い幸福を味わえていいのではないか。

一つ問題だったのは、幼い私は決して辛抱強い性格ではなかったということだ。このまま、ただぷっちょを目の前に置いておいたら、数日と経たないうちに我慢できず食べきってしまうだろう。私は考えに考えた。そして、思考を巡らせた結果、ある一つの結論に辿り着いた。

隠してしまおう。

普段はなかなか思い出さず、あんまり目の付かない家の中の何処かへ、ぷっちょを隠してしまおう。そして、思い出した時にそこから取り出して食べればいいじゃないか。こうすれば、目の前のぷっちょをより長いスパンをかけて食べきることが出来る!

そうしてぷっちょは忘れられた。
幼い記憶を閉じ込めた、洗面台の収納の中で。

私は中学生のこの日になるまで、終ぞぷっちょのことを思い出したことはなかった。しかし、長い年月をかけてゆっくりと不味くなっていったぷっちょを食べた瞬間、本来なら忘れ去られた筈だった幼い自分の、なんでもない一日の記憶をこうも鮮明に思い出すことができた。これが私には不思議だった。

あの日の幼い私は、確かに喜んでいた。ぷっちょを洗面所に隠す時の高揚感は、今でも覚えている。その日の夜は嬉しくて眠れなかったことも。ぷっちょの隠し場所は家族には絶対にヒミツにしようと誓ったことも。今まで忘れていたはずなのに、なぜか鮮やかに思い出せるのだ。

今思うと、あれは確かに過去の自分との対話だったと思う。成長と共に捨て去ったはずの幼い自分。不味いぷっちょを通じて、あの日の私は確かに彼と対話していたのだ。まだ幼かった過去の自分が遺した不味いぷっちょは、私に雄弁に何かを訴えていた。「やっと思い出したのかい?」と問うていたのか、あるいは。

***

成長するにつれて、僕らは些細なことに喜べなくなっていく。自分の身の回りにあるものは、どんどん「当たり前」のものになって、いつの間にかその有り難さを受け取れなくなっている。過去に比べて幸せの感度が鈍ったのか、それとも。

あの日のことを今でもたまに思い出す。「ぷっちょ」ごときで新鮮に喜べていた幼いあの日を。忘れていたその喜びを取り戻した中学生のあの日を。そして、私はぷっちょを買いに行くのだ。あの頃の喜びを、忘れないようにしながら。


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