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この日本でもクリエーターが生き抜く為に

僕はクリエーターが好きです。それはどの分野でも構いません。絵でも彫刻でも文章でも、音楽でもデジタルコンテンツでもなんでもです。VRSNSの世界だとワールドやアバターもそうですね。その人たちはとても素晴らしい才能や技術や発想力をもっているのにも関わらず、日本国内では辛酸をなめる思いで活動してる人が多いように感じます。

僕はその状況をどうにかして変えられないかと色々考えてきましたが、いかんせん一人の力ではアイディアも行動も足りないと思いました。

そこで、僕がなぜその思いに至ったか語らせていただくとともに、もし賛同して頂ける方がいれば嬉しいので、コメントやメッセージなど積極的にお待ちしております。一人では無理でも、皆で手を取り合えばこの状況は変えられると思っています。

なんでそんなこと思ったの?

僕自身過去にミュージシャンになろうとして挫折した人間です。十代の前半から十数年音楽活動をし、その後十年弱遠ざかり、今再び音楽活動をしています。

その音楽を積極的にやってこなかった十年間、ずっと何かしっくりこないものがありました。それはいわゆる合理主義とか経済主義とか資本主義とか、そういったものに順応しようとしていたのかもしれません。ひたすら仕事ではやりがいよりもお金を追い求めていました。趣味も音楽から遠ざかり、といってもギターで弾き語ったりはしていましたが、主に他の趣味に没頭するようになっていました。

そこで今年の一月、インターネットで色々な人と親しくなることが多くなりました。特にインターネットを利用したクリエーター達とです。

彼らは創作活動にとても真摯に向き合い、切磋琢磨し、人によっては時には病みながらもモノづくりをしています。なんと不器用で素敵なんだろう。そう感じました。そして、忘れていた僕の中のクリエイティビティも呼び起こされた気がしました。

ありがとう。そんな気持ちでいっぱいでした。

今まで色んなことに理由をつけて、時には誤魔化し、今に至ります。多分、逃げていたのでしょう、自分の理想から。そしてその理想を追い求めている人たちの姿はなんと美しいことか。僕は自分が恥ずかしいと思いました。ドイツという国は日本に比べ芸術家のみならず、人が人らしく生きていける国です。そんな自由が担保されているドイツという国にいながら、僕は自分に嘘をつき続けていたのです。音楽で何かしたいという気持ちに。

そこで僕は、似たような気持ちを抱えるクリエーターという人達と共に生きていける道筋を探す、という選択をしました。

お金

クリエーターとして生きていく、というと、もの作りにより収入を増やすとか、そういった事がまずは思い浮かべるのではないでしょうか。でもこれも容易ではありません。一つ一つの作品はもちろん素敵ですが、需要と供給の世界で商品として扱われるような物を作っている人が全員ではないからです。

消費者側の立場でもし今から出来る事があるのなら、好きな作品の作者に積極的に消費者自身お金を払うことでしょう。それは100円でも良いと思います。作品でお金を得る、という満足感はそれでしか得られない多幸感があるのです。もちろん、経済的余裕がある範疇での話ですので悪しからず。その数が増えれば増えるほど、クリエーターは生きやすくなるのでは、と考えます。クリエーター同士でそういった形になっても良いですね。

もしくは、コンテンツを売りやすい形を作る、つまり案件を積極的に拾ったり、広告をうったりと、所謂今の経済合理性の上に成り立つ市場で「正攻法」と呼ばれているやり方をする、でしょうか。

コストを下げる

違うアプローチもあります。生きていくうえで必要なコストを下げる、ということです。生きる上で生活費が必要です。それを下げることが出来れば、相対的に豊かになると言えるでしょう。福岡の八女には「天空の茶屋敷」というゲストハウスがあります。ここは該当するクリエーターは宿泊費が無料になります。

このような形で経済的にバックアップするということもできるでしょう。

そして精神的なコストを下げる、というアプローチもあります。これは前述の話にも繋がりますが、案件とかそういうものを意識せずにもの作り出来る環境を作る、ということ。

中にはそのような形でもの作りすることが問題なくできる方も居るでしょう。それがなければ作品が出来ない場合もあるかと思います。

しかし、それがプレッシャーになっている人がいるのも事実。それによって潰れてしまうならそれはその人の能力で、もの作りする資格がない、と言って切り捨てることもできますが、それでは今までの日本のあり方と一緒ではないでしょうか。自分で選んだ責任かもしれませんが、そこに責任を負わなければならないのは外部からの圧力ではなく、作品に対してではないでしょうか。

ならば、そのストレスを緩和できるような、緩衝材になるようなやり方、存在があればまたそれはもの作りのし易い環境が整うのでは、と感じています。

ピラミッドの頂上にいる人にしかそれが許されないとするのならば、そんな社会、僕はお断りです。

僕が思うアプローチ

参考企業

いいかねPaletteという施設をご存知でしようか。福岡県田川市にある、廃校を利用した施設です。

廃校を利用した宿泊施設で珍しく長期滞在者がおり、そこで住んでいる人達が、地元企業や自治体からこのいいかねPalette通じて案件を貰ったり、一緒にプロジェクトを敢行したりと、さらにその活動が地域創生に繋がっているようです。音楽スタジオやラジオブース、ワークスペースなどの空間も併設しています。

そのような形で、もっとクリエーターが集って、活動しやすい形を作ることは可能だと思います。

僕ができそうなこと

上記の天空の茶屋敷やいいかねPaletteの様に、宿泊施設兼住宅のようなものがあるのはいかがでしょうか。

そうなると大都市ではなく、最低でも地方都市以下の規模の地域でやることが重要になると思います。地方の生活費は都市部よりも相対的に少なく、もし都市部でクリエーターとしての案件がある人が地方でも生きていける術があるのなら、それがまたコストの削減となり豊かさに繋がると言えるのではないでしょうか。

例えばそこの施設には一般客も来るのですが、クリエーターは家賃無料とか、格安になるとか。もしくはそこに併設の飲食店を作り、そこでの食事は無料になるとか。で、案件のみでやっていけない場合はそこでも働くことができるとか。

クリエーターが働きやすい環境を作ることは僕の日本とドイツでの経験上から、可能だと思っています。

さらにクリエーターではなくても、自分の強みを発揮したい人がそこで発揮できるような場が同時に出来ると思っています。事務が得意な人は事務を、営業が得意な人は営業を。

それでもやっぱりどうしたらいいんだろう

クリエーターがクリエーターとして生きていくには、今の日本には選択肢が少なすぎます。クリエーターに関わらず、社長でもないのに責任や仕事に追われ疲弊し、疲れた体でうっぷんを晴らすように物を作る。それは時には良い衝動になるでしょう。しかしそれが常であるならば、心身ともに壊れてしまいます。僕はそのような形は望んでいません。そうやって朽ちてしまった人たちを知っているからです。どれだけ素晴らしい人たちが諦め、淘汰されていったか。もし何か、そういう人たちをすくい上げる、共に歩んでいける世界があるならば、僕はそれを望んでいます。

そしてそれに共感してもらえることが出来れば、今は何も出来なくても、何かに繋がるのではないかと僕は期待しています。

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