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【私の好き嫌い】助詞と助動詞<追記あり>

二十三.助詞と助動詞


 日本語でもっともむずかしいのは助詞である。つぎに助動詞。とはいえ助動詞はずいぶんと簡単にはなった。

◇助詞

 文章のキモは「て・に・を・は」という。これらは助詞である。子どもとか日本語を学習した外国人に文章を書かせると、一番直しが必要なのは助詞である。

私はあなたを会うことにとても楽しみにしています。

外国人からもらった手紙

 これは外国人からもらった手紙である。日本語が変である。直すと。

「私はあなた(と)会うこと(を)とても楽しみにしています。」となる。

 助詞の使い方は、日本人でも難しい。これをある程度マスターする方法は、まともな文章(が)書ける人の書いた文章を読むとよい。たとえば(あくまでたとえ)、夏目漱石とか太宰治、小沼丹、池波正太郎、大城立裕などの書いた本。この中から三冊ばかり選んで、これらをそれぞれ百回繰り返し読めば大体助詞の正しい使い方が分かるようになる。

 助詞の使い方が分かれば、日本語は楽勝。動詞、形容詞、形容動詞、名詞、副詞、連体詞、接続詞、感動詞などなどは、あとは覚えればいいだけ。英語の勉強をする(させられた)とき単語覚えたでしょう。あれといっしょ。

 助詞の使い方は、覚えることができない。慣れるしかない。読んで、書いて、慣れる。これな。

◆助動詞

 助動詞というのはずいぶんと簡単になり、堕落した。

きのう、カツ丼を食べ(た)。

例文:過去

 上記の(た)が助動詞である。過去をあらわす。

カツ丼を食べ(た)。

例文:完了

 上記の(た)が助動詞である。完了をあらわす。完了というのは「いま食べ終わった」というニュアンスなのだが、過去と完了が同じ「た」なので、正直わかりにくい。

 これは過去・完了をあらわす助動詞が現代では「た」しかないので仕方ない。

 平安時代ごろは、過去・完了は「き」「けり」「つ」「ぬ」「たり」「り」「けむ」といろいろあった。その前(奈良時代とか)はもっとあったらしい。

 なので。

食ひき。食ひけり。食ひつ。食ひぬ。食ひたり。食へり。食ひけむ。

過去・完了 平安時代ごろ

 など、いろいろな言い方・書き方があり、それぞれニュアンスは全部違う。「食ひき」は、「食べた、きのうおれが食べた」。「食ひけり」は「そういえば食べたなあ、おととい」とか「叔父さんが食べたそうだよ、まえに」。「食ひつ」は「食べ終わったよ」とか「いや、マジで食べたし」とか「食べながら~(これは並列)」などなど。

 このように多様な過去・完了があったのに、現在では一個という(の)は、何故だと思いますか?

 私が思うに、昔の人というのは「思い出す」という行為をよくしたのだと思います。現代人にくらべて。夜とか暗いし、やることないし、「きょうこんなことがあったなあ」とか「そういえばまえあんなことがあったなあ」とか、ひとりで思い出したり、だれかと語り合ったりし(た)と思うんですよ。暇だから。

 現代人てあんまり思い出さないじゃないですか。記憶力も悪いし。夜も明るいし、ティーヴィーとかインターネットとか、どんどん新しい情報を寄こしてくるし。なのであんまり思い出したりする時間がないんだと思います。

 私はこの風潮は嫌で、助動詞が簡略化し堕落したことに対して非常に苦々しい思いを抱いています。

 せめて「き」と「けり」は復活しないかなあ、と思っています。

 ふたつが無理なら、「けり」だけでも、復活したほうがいいんじゃねえかなあ、と。

 はい。

<追記>
 助詞というのは、平安時代からほとんど形を変えていない。というか古文は助詞を省略する(主語も)。助詞の使い方は現代の方が複雑化している。これは西洋文明の影響だと考えられる。

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カウントダウン

本稿つづく

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