見出し画像

最終日

小田原18:00発。既に神奈川の領分。日本橋まで残りわずか90km程度なので、割と余裕かましていく。この90 kmという数字は初日に進んだ距離なので余裕綽々としているのは本来よろしくない。これまでの3日分の疲労が蓄積していたためか、日が沈む頃まで快活を出られないでいた。すぐに帰宅せねば。

平塚で晩飯。今日は個人商店に入れた。こういう店こそ旅の醍醐味である。夜のインドカレーはそこそこ値が張るものの、「飯と風呂はケチってはならない」が自転車旅の鉄の掟である。

ここは美味かった。カレーはマトン。これまで食べてきたマトンで最高に歯応えが良い。インドカレー屋で食べるナンは間違いがない。値が張るとはいえナンをおかわりしてしまった。運動前の満腹はよろしくないが、抗えないものは仕方がない。

腹ごしらえを済ませれば、あとは後顧の憂なく日本橋を目指すのみ。さすがは横浜への道、追い抜く車は多く、夜道がテールランプで明るい。戸塚にも来れば、これまで名古屋・静岡くらいでしか見ることのできなかった駅前デパートという景色が、高校時代の通学路を思い起こさせる。実家では圧倒的電車民だったので、デパートという景色だけで郷愁を感じる奇特な体になってしまった。あの頃は5 km離れた隣の街へ自転車を走らすのも遠出だった。それが見よ、500 kmも走り続けて。あらまぁ、こんなに立派になっちゃって。

横浜、川崎と進んで多摩川を渡れば、ついに東京である。信号が多い。500mも進まぬうちに引っ掛けられる。神奈川までとは圧倒的な差である。頼むぜ、警視庁さんよ。こんな夜中に交差点渡る人なんて、たかが知れてるだろ?

24:30ごろ、日本橋着。

広場にあるのは戦前の道路元標だが、現在のは日本橋のど真ん中、首都高の間に挟まれるようにして据わっている。

「日本橋の上は空を」とはよく言われるが、どちらかというとかくも狭苦しい場所に五街道の起点がちょこなんと置かれている方が不憫でならない。

北詰(三越側)で車道の工事をしていたので、整理する車もなく暇していた交通整理のおっちゃんに頼んで写真を撮ってもらった。別にここで見せる気はない。

全体で3泊4日、31時間520 km 3306 up。二度とやらん。ちなみに実家への帰り道に迷ってプラス50 kmを走る羽目になるとは、思いもよらなかった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?