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【東海道自転車旅】初日

以下、1ヶ月以上も前の話である。

昼過ぎに起床。大学生の日常ってそんなもんでっせ。13:30から大学で課題演習の発表会。半年かけて理論ゼミと実験を一通り行うというもの。前期は7月で終わるはずですが、実験の進みが遅すぎて8月までずれ込んでしまった。いやー、ブラックブラック♪。演習の集大成として指導教官の前で発表をするわけですが、欠点があれば即座に指摘されます。ピアノの発表会なんかと比較されちゃ困るんですよ。会社のプレゼンってこんなもんなのかな。自分は昔から経験があったので慣れていましたが、一般学生には耐え難いものらしいですね。それ相応のダメ出しを受け、同時にフォローもされつつ、発表会自体は無事終了。

帰宅ののち、宅急便で送る服やパソコンなどをまとめます。自転車旅の荷物は少なければ少ないほどいい。かといって帰省の主目的は自転車旅ではなく、その後の研修にあるので、必然荷物は多くなります。研修のテキストやパソコンはもちろん、積読を実家で消費しなければならないので。特に日常的に持ち歩いているカバンがキャリーケースに入らず、特大段ボールに詰め込む形に。なお実家に連絡は入れていません。

荷物を配送したら、1週間以上溜めていた皿洗いとゴミ出し。いつもは「必要になるまで家事はしない」がモットーですが、今回は放っておくと害虫に家を乗っ取られるので仕方なし。

これで準備は終わりました。いざ出発。大学生協でとりあえずの食料を揃え、起点の三条大橋に向かいます。せめて起点と終点では写真を残しておこうと、ここは本気を見せます。個人的には自分が写っている写真なんてつゆほども興味ないのですが、知人が欲しがりなので仕方なしに人に頼んで撮ってもらいます。過度な人見知りが発動して、10分くらい人に写真をお願いできなかった。まあみんなこんなもんだよね。

これを超える良い写真期待してもらっちゃ困りまっせ

逢坂の関から大津へ。途中山科で荷台のネジが緩みガタガタ言わせていたので、ワークマンで修理。無骨な夫婦が経営してるのはポイント高かったですね。

そこからは順当に草津を東に曲がって国道1号を鈴鹿峠へ。サークルのヤンキーによると斜度5%までは平地らしいですね。5%は平地の法則に従えば、鈴鹿峠への坂道は真っ平ということになります。甲賀市に入ってから10km以上、延々と、延々と坂改め平地を登り続ける。峠の頂上鈴鹿トンネルを抜ければ、そこから先はお得意の下りオンパレード。控えよ控えよチャリが通る。

意気揚々とカーブをこなすと、左の陰からガラガラッ、ガラガラッ、ガラガラガラガラ車体の両脇、わずか5 m、鹿が二頭、蹄を鳴らして並走してくる。あぶねえあぶねえ。

二頭が視界から消えると、スピードダウンを促すオレンジの凸凹が続く。ガタガタガタガタ心地よい足鳴り。注意喚起のオレンジの起伏が消えてもガタッガタッと規則正しく足鳴りがする。あれ?なんで?

そうこうしてるうちにライトも消えた。こんなところで電池切れるなよ。このまま街灯も乏しい山道を下るほど向こう見ずでもないので、開けた場所を探して自転車を止める。まずはライトの充電。自転車旅にはモバ充必須やな。持ってきて正解やったわ。ガタガタ言ってたのなんやったんや?後輪さわればフニフニ。チャリのタイヤってこんなに柔らかくなるん?

生憎予備のチューブも持ってきてない。タイヤ交換できないし、このまま乗って降りようかな。でもパンクは放置するなってよく言うよな。このまま走ったらどうなるんやろ。一応ネットで調べてみる。パンクしたまま走らせればホイールがやられてしまい、数千円で済むはずの修理代が1万は下らなくなるらしい。さすがにそれはあかんな。これは手で押してくしかない。

予定じゃ5秒で過ぎるはずだった距離を、1分かけてトボトボ下る。それまで上り坂(じゃなくて平地)でも軽快にペダルを漕いでいたのが、ただの荷物になると途端に足取りが重くなる。チャリなんて乗れなきゃただの鉄塊なんよ。

2kmくらい歩いたころか、普通にしんどいので休憩を入れよう。あれ?パニアバッグ片っぽねーぞ?中身を見れば、よりによって財布が入ってた方がない。これは洒落にならん。どこで落としたかなー。せっかくきたはずの下り坂を登っていく。5分10分登ったところ、先程ライトを充電していた場所に片っぽおっこってた。さっきライトで確認したはずだけどなー。片っぽのパニアバッグを抱えて降りていく。パニアバックはチャリの荷台に括り付けることしか想定されていないせいで、人間が手で持ち運びやすいようにできていない。なんでもうちょい持ちやすい形にしてくれないかな。

放置していた自転車と合流して峠道を降る。麓にコンビニ。ありがとう、ミニストップ。街灯すらない山の麓に照明が灯っているだけでも現代人には癒しになる。腹も減っていたのでソフトクリームを食べて休む。油が多いからカロリーは高いはず。腹もたつくけど、疲れているからやろな。これが爆弾となって後で襲いかかることを、予見できなかったのは痛かった。

さて、下り坂も終わり高速のインターを超えた頃。どう見ても自動車専用道路の入り口。しかしそんな標識どこにもなかったはず。じゃあいけるな。そう思って勇み足で車道の左、坂を登っていく。坂を登り切ったら目の前、高速となんも変わらんやんけ。どうせ数キロ歩かんと出口もないんやろな。両壁は10mはあろうかという垂直な崖。片側3車線で60キロ制限。はい、アウトです。一応ヘルメットにバックライト点滅させていたのでことなきを得ましたが、通報されてたらバイト先に首飛ばされてた。でもしょうがないじゃん、標識見あたらないんよ。

やっとのことで高速道路もどきから出ると、爆弾が腹を襲う。ソフトクリームで腹下す体になってもうたか。俺も歳やな。どこを見渡しても街灯がない。野糞は流石にあかんなぁ。かすかに残る理性を保ってコンビニを探す。5キロ先。遠い。チャリならまだしも、俺歩きやぞ。ここらへん住んでる人たちどうやって生きてるねん。じいちゃんばあちゃん足悪くしたら何にもできへんで。

やっとのことでたどり着いたコンビニを前に、あれ?マスクなくね?どこ行った?ミニストップで爆弾食った時はあったよな。捨てたんとちゃうし。仕方ないので剣道部時代に頭に巻いていた手ぬぐいを口に巻いてマスクの代わりとする。あの手の手拭いってでっかく文字が書かれてて、今回は無心って書いてた。いや、せめて真っ黒なら「この人危ないから一応目をつけとこう」ってなりますよ。でも深夜3時のコンビニに無心って書いた腹面の男が入ってきたら、どんな反応すればいいかわからんじゃないですか。マスク・グラサンよりおっかないわ。間の悪いことに店員がレジで他の作業をしてた。案の定おどおどされてしまった。あれは悪いことをした。

腹の虫を落ち着かせて、あとは一帯で特に大きな都市、鈴鹿を目指す。鈴鹿峠つってるんだから鈴鹿近くに持ってこいよ。なんで峠から20キロも離れてるんだ。ブツクサしてる間に日がのぼってきた。マズい、気温が上がる。Twitterで誰かが言ってたが、夜の民にとって「日はまた昇る」は絶望の詩である

鈴鹿に入るとまずはイオンがあって、旭化成の工場がある。サランラップでも作ってるんかな。でかい。宿は快活としていたが、鈴鹿に入ってから重い足取りで30分もかかる。遠い。もうこんな旅はしてなるものか。

第1日である。

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