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これは30歳を目前にした人間が、考えることについて考えた独り言です

私は考え過ぎるきらいがあるのか、ということについて考えている。
10代の頃はそうでもなかったと思うのだけど、20代に入ったあたりから「そんなことまで考えてたの」と周囲に言われることが増えた気がする。

そもそも「過ぎる」というからには適量があるはずで、思い返せば10代の終わりには住む国が変わって、ひいては文化が変わり、スタンダードも変わったので、もしかしたら自分の「考える度」は昔からずっと変わっていないのかも知れない。
いずれにしても、最近は自分でも「たくさん考えたなあ」と自覚することがある。

ただ、考え過ぎると言っても、いわゆる「石橋を叩いて叩いて叩き割る」様な、最悪のシナリオを想定し過ぎるが余りに二の足を踏んでしまうというタチでもない。
まず行動すると決めてから、準備中に考えて、実行中も考えて、終わってからも考えている、という描写が最も近いと思う。
どこかで常に考え事をしているので、何事も全力で楽しむことができていない気がする。

先日まで5ヶ月ほど一緒に診療していた上司に、「患者さんの話や所見から状況を判断して方針を決めるのが速い。その上で、自分ができることとできないことをきちんと分けることができている。」と、割と嬉しい評価を頂いた。
反面、「今はまだ成長過程にあるのだから、たまにはえいやっと飛び込んでみてもいいのではないか。自分の手に負えないものに直面したとき、パニックに陥ってしまうのではないか」と心配された。その通りだとも思う。自分で伸び代を制限しちゃうタイプ。

でも私はもはや、考えずに飛び込むことはできないのだ。飛んだとしても「なんとかなるだろう」ではなく「パニックになるだろうなあ」って考えながらのジャンプ、そして滞空中に想定される結果を3パターンくらい思いついていて、結果として安全着陸してしまうのだ。「してしまう」って、安全着陸はいいことなんだけど。

仕事柄、考えることが多いので、この傾向はどんどん強調されてきているのだろう。
考えるのは楽しいのでいいのだけど、反射で話したり動いたりするときにしか出ない面白さを失いつつある気もする。

記事のトップ画像は最近彫ったシャンデラというポケモンの消しゴムはんこだ。
最近少しずつハンコの技術がついてきたので、「このデザインは本で見たあの技術で表現できそう」とか「この色はこうしたらより綺麗に出せそう」とか、考えることが増えた。

ハンコを彫るときも、音楽をやるときも、常に考えている。いま私の最高の癒しとなっているポケモンも、ランクマッチに参加しようと決めてからは、めちゃくちゃ頭を使う趣味の1つになった。
いいんだけど、楽しいから。

当たり前のことなのかも知れないけど、仕事でも趣味でも何でも、続けていれば使える技術が増えて、つまり引き出しが増えて、考えることも増えるのだろう。
考えずに使っている引き出しの中身もあるのだろうけど、「今の考えずにやってたな」って後から思い出して反芻することもあるので、結局その分考えている。

あれ、でもそうしたら、みんなそうじゃないか?
「考える度」が定量化できるとして、生きることを重ねていたら考え「過ぎる」ということはないんじゃないか?
何も考えずに、全力で今体験していることを楽しめている人って本当にいるのか?
みんなあえて意識していないだけでは?
考えすぎか?

ここまで考えておいて、結局私は、単身赴任も半年目に入り、周りに気軽に話せる同世代もいないので、余計にこんな感じになっちゃってるんだろうな、という安直な結論に着陸する。考える時間がある幸せを享受していればいいか。

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