見出し画像

教育研究医のヒヨコ、分からないということを教える

【前回までのあらすじ】
2020年7月、医師5年目で総合診療専攻医3年目として毎日仕事をエンジョイしていた私は内因性うつ病と診断され、長い休職を経験した。
詳しくはマガジン「家庭医のヒヨコ、療養する」をご覧頂きたい。
2022年4月から自身の初期研修先でもあった総合病院(容易に特定可能)の教育・研究専従として復職し、研修医教育や院内の研究体制の整備を行なっている。かくして、家庭医のヒヨコから教育研究医のヒヨコにジョブチェンジしたのであった。来年度にはニワトリになりたい。

初期研修医を教えるということ

今の業務についてから、ほぼ毎日初期研修医とのやりとりがあって、その多くは教育の機会になる。
「自分が研修医の時にいて欲しかった指導医である」をモットーに日々過ごしているが、それだけではもちろんうまくいかないものだと思う。

卒後7年目にもなると、初期研修(卒後1-2年目)の頃に何が分からなくて、何が辛かったかということはほぼ忘れてしまっている。それに、働き方改革や感染症対策などを経て研修環境も大きく変わっているし、現役だと5-6歳下にもなるひとたちとは価値観が異なる。本人たちに聞かなければ、ニーズは想像の範疇を出ない。

さらに、「初期」研修医と言えどもみんな若くて24-5歳のいい大人だ。何を教えるにしても、相手は既に価値観が確立し、医学部を卒業し医師免許もとった、能力とプライドを(割と)持ったひとたちであることを忘れてはいけない。更に彼らは日々現場で経験を積んでおり、日ごとに飛躍的に成長している時期でもある。研修医3日会わざれば刮目して見よって感じ。そのぶん、個人差も大きく、一つのレクチャーが全員に均等に役立つことはまずない。

要するに、初期研修医に限らないと思うが、働いている大人に有効な教育を継続して行うって大変なことだと思う。とは言え、大学で学んだことだけでは現場の医療は円滑には回らず、細かい専門的な知識や実務に即したノウハウは学び続けなければならないし、そういった業務内外の学びを管理して研修修了者の質を担保するのが臨床研修病院の責務なのだ。

モーニングレポート

当院では平日朝7:30-8:20は「モーニングレポート(略してモーレポ)」と称して、初期研修医の学びの時間が設けられている。その時間、特に1年目はなるべく学習に集中できるよう、病棟や外来からの呼び出しは原則禁止になっている。はず。

そんな貴重なモーレポの時間は、約2-3割が英語での症例ディスカッション、約1割が研修医持ち回りで行なっているプレゼンで、残りが各科の指導医や外部講師によるレクチャーから構成されている。スケジュールは研修医のモーレポ係が管理していて、私も月1回程度の指導枠を設けてもらうことになった。

分からないことを教える

私が担当した初回のモーレポで教えた内容は「臨床の現場で疑問が生じた時にどうするか」というものだった。

良い研修医とは、分からないことを「分からない」とその場で言える者だと私は思う、と着任した日から伝え続け、モーレポ当日は実際に分からないときはどうしたら良いかというレクチャーをした。

そもそも分からないことを認めるというのは雲を掴むような話なのだ。
分からない状態、つまり知識や理解の不足を認識できるということは渦中でメタ認知ができる状態でなければならず、しかも自らの不足を認めることは苦痛を伴う。だから学生の間、一度もはっきりと「分かりません」と言ったことがない者もいてしまったりする。

分からないことを認めずに周りの様子を伺いながら空気を読んでうまく立ち振る舞い、無難にその場をやり過ごすことの方が心理的負担が少ないこともある。よく分かる。しかしそれでは自身は成長しないし、そのまま医師を続けていくといつか患者さんに害が及ぶ危険性もある。

研修医が分からないことを認められるようになるために必要なことは以下の2つあると思っている。
①分からなくても攻撃されない安全な環境であること(そしてそれを研修医が実感できていること)
②分からないことを認めることによって研修医本人にメリットが発生すること(教えてもらえるなど)

つまりほぼ指導医とか診療環境の問題なのだけど、一気に全部介入することはできないから、まずは研修医側に「分からないときに調べる方法はいくつかあって・・・(割愛)、何が分からないのかが分からない状態になったらいつでも相談してください」といった旨のレクチャーを行った。

分かる分からないのゲシュタルトが崩壊しそうな記事になってしまった。
内容もフワッとしている。フワッとしたレクチャーは指導者側も受講者側も好まない。なぜなら最後に得るものもフワッとしているから。
このフワッと感、受け入れられるか否かは個人差があって、だからレクチャーも皆が「聞いてよかった!」と言えるものにはならなかったかな・・・と反省している。

ただ、そのレクチャーをしてからは研修室にいると1日1回は「今見ている患者さんのことがよく理解できていなくて・・・」などと色んな研修医から相談されるようになったから、まあ話してよかったのかなと思う。

臨床しな医の静かでフワッとした奮闘は続く。
(来年度は医学教育のコースを受講するつもりなので、さらに言語化できるようになったらいいなと思う)

トップ画像: うちの猫のフワッとしたお腹。触るとけりけりをお見舞いされる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?