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「大事なことなんて自分で見つけるよ」

 TVアニメーション「エルドランシリーズ」第1作、’91年度にテレビ東京系にて放映された『絶対無敵ライジンオー』の最終話は、作品の存在そのものをも危うくする異色のものでした。

~最終話前話までのあらすじ~

 全次元の征服をたくらむ5次元世界のジャーク帝国、彼らの侵略から地球を守るために地球の守護神・エルドランが作った巨大ロボットがライジンオー※1であり、疲労したエルドランに代わりライジンオーを操縦するのが、パイロットである仁(じん)・飛鳥(あすか)・吼児(こうじ)の3人をはじめとする陽昇(ひのぼり)学園5年3組の18人、人呼んで【地球防衛組】である。

 ジャーク帝国の戦士ベルゼブの度重なる失敗に業を煮やした皇帝ワルーサは、自ら地球に侵入し、ライジンオーだけでなく失敗続きのベルゼブをも始末しようとする。怒ったベルゼブはワルーサに反旗をひるがえし、ライジンオーはベルゼブの操縦するジャークサタン※1 の協力を得て、ついに皇帝ワルーサを倒したのだが…


~最終話:展開と解説~

①ベルゼブの戦い

 皇帝ワルーサを倒し、地球に平和が訪れたかに思われた。しかし帰還しようとするライジンオーの前にベルゼブのジャークサタンが立ち塞がり、最後の戦いを挑んできた。

「戦士の誇りにかけて貴様を倒す!」

 ライジンオーに攻撃するジャークサタン。防戦するライジンオー。しかしロボットの性能で劣るジャークサタンの敗色は次第に濃厚になっていく。

 前話にて皇帝ワルーサを倒し、ベルゼブが正義の心を取り戻し、3次元(地球)と5次元が仲良くなって大団円!といった形で最終話を迎えても何らおかしくはありませんでした。ここまで地球防衛組の18人を1人1人丁寧に描くことによって、オーソドックスながらも人の心の動きとふれあいをメインテーマに据えたこの作品にとってふさわしい終わり方と言えましょう。しかし、敢えてもう1度ライジンオーとジャークサタンが戦う。このとき、「何かあるな。」と思いました。そしてその後の展開は、ここまでオーソドックスだったこの作品がうって出た一世一代の大バクチだったのです。

②ジャークドリーム(その1)

 ライジンオーの必殺技【ハイパーサンダークラッシュ】を受けたジャークサタン。相当のダメージを受け、動くのがやっとのはずにもかかわらず、ベルゼブは不敵な笑みを浮かべるのであった。

「3次元人が我々5次元人より優れているはずがない!」

 最後の力を振りしぼったベルゼブが叫ぶ。

 「ジャークドリーム!」

 ジャークサタンから異様な閃光が放たれ、仁・飛鳥が気絶してしまうなか、吼児が叫ぶ。

「やめてーっ!」

 吼児がふと我に返ると、そこはライジンオーのコクピットではなく、いつもの5年3組の教室だった。だがしかし、1つだけ決定的な違いがあった。誰に聞いても、ライジンオーのことなど知らないと言うのだ。

「アニメの見過ぎじゃねーの?」

「いくらU.F.O.マニアでも、現実と空想の区別がつかなくなったらおしまいよねえ。」

 皆大笑いして吼児に冷たい視線を送る。それどころかライジンオーの操縦に必要なライジンブレスを仁に奪われてしまう。仁に飛びかかる吼児。そこへ5年3組の担任・篠田先生が現れ、ケンカの原因を尋ねる。 「最初に手を出したのはどっちだ!仁か?吼児か?」

「吼児くんでーす!」

 ほとんどのクラスメイトが嘘をつき、仁の味方をしてしまう。叱られる吼児。ショックの吼児はブレスを奪い取り、屋上へ走り去る。

 吼児を責めるクラスメイト、その一方で気の弱いクラスメイトは仁たちを止めることができません。現在問題になっている【イジメ】の構図そのものと言えましょう。

③ジャークドリーム(その2)

 屋上の吼児のところへ、仁と飛鳥がかけ寄る。

「ライジンオーの隠し場所を教えてやろうか?」

 喜んでついて行く吼児。だがそれは吼児からブレスを取り上げるためのワナだった。吼児を囲む篠田先生、仁・飛鳥・あきらなどイジメっ子たち。だまされた吼児は、それでもかすかな望みをこめて仁に尋ねる。

「ウソだよね?仁君。ライジンオーは本当にあるよね?」

 だが、そんな吼児の願いを砕くかのように仁は言い放つ。

「バーカ、1人でライジンオーごっこやってろ!」

 打ちひしがれ、その場にへたりこむ吼児。

「みんな僕の夢だったんだ。ライジンオーも、地球防衛組も、何もかも僕の夢の中の出来事だったんだ…」

 吼児の涙がブレスに落ちる。するとその時…ブレスはまばゆいばかりに光りだした。そして吼児の心には、ある声が聞こえた。

「地球の子供たちよ、今日からは君たちがこの地球を守るのだ。」

 その声は、1年前ライジンオーを地球防衛組に託した地球の守護神エルドランであった。

「僕たちが…守る?」

 吼児はそうつぶやくと、ゆっくりと立ち上がった。

「僕、やっぱり信じるよ。ライジンオーは本当にあるんだ。この世界は悪い夢だって。お前なんか本当の仁じゃない!お前も、お前も、お前たちも!僕は絶対にライジンオーを信じるよ!」

 するとブレスは光りだし、仁たちの姿は悪魔のようなものに変わった。その光景に驚く吼児を助けたのは仁と飛鳥だった。

「何びくついてんだよ!」(仁)

「僕たちは本物さ!」(飛鳥)

 吼児は今までのことが全てベルゼブによって仕掛けられた幻影であったことを告げられる。正気に戻った3人はジャークサタンを倒すのだった。

 言ってみれば【夢オチ】であります。ただ、ここには【夢オチ】 につきまとうイメージである【責任回避】はありません。むしろ、今までの話にきっちりと落とし前をつけようとする、作り手の意志の現れだったのです。

④さらば、ベルゼブ

 敗北に涙し、落胆するベルゼブ。しかし、そんなベルゼブに仁(ライジンオー)は右手を差し出すのだった。

「ベルゼブ、これが地球での仲直りの証(あかし)なんだぜ。」

 戸惑いながらも右手を差し出すベルゼブ(ジャークサタン)。握手する2人(2体?)。立ち上がったベルゼブは、仁たちに最後の言葉を残す。

「子どもたちよ、邪悪獣※2 は人間の心の隙間から生まれるものだ。だが、お前達ならこの邪悪な心、邪悪な力にも打ち勝つことができるだろう。」

 そう言ってベルゼブは、分身であるファルゼブとともに5次元へと帰って行くのだった。

 その後、戦場であったジャーク帝国の要塞が爆発を引き起こしますが、仁の「俺たちは、絶対無敵だーっ!」の全身全霊をかけた叫びとともにライジンオーは最後の力を振りしぼり脱出、エンディング曲である「地球防衛組応援歌」の合唱とともに、この1年間の作品の終わりを迎えるのでした。


~最終話:その意味とは~

 さて【夢オチ】、いや【ジャークドリーム】です。アニメ誌を見ると最終話についての投書が多少あり、内容はおおむね次に要約されます。

「純粋な心、友情、そして人を信じることの大切さを教えてくれた。」

 もちろんこれらの意見はまっとうなとらえかたと言えます。しかし、これだけならジャークドリームを使うことなく、前話をもって最終話として終えることができたと思います。つまり、他にも何かの意味があってこの最終話となったのではないでしょうか?では、【他の意味】とは一体何だったのでしょうか?

 ところで、この最終話を私はリアルタイムで見ていました。見終わったときはショックでした。ちなみにこの文章を書くためにもう1度LD※3 で最終話を見直してみましたが、正直言って直視できません。早送りして、このジャークドリームのシーンを飛ばしてしまいたい、と何回も思いました。

 この私の気持ちは、ジャークドリームの中の吼児と同じ類のものでしょう。そしてこの最終話を見ていた人のほとんどが吼児の、「(ライジンオーは)僕の夢の中の出来事だったんだ。」というセリフにショックを受けたことでしょう。そりゃそうです、何しろ『絶対無敵ライジンオー』という作品自体をも否定するかのようなセリフだからです。恐らくこの作品にのめり込んでいた人全てがショックだったことでしょう。かく言う私がそうであったように。

 ジャークドリームの中では、ライジンオーは架空のロボットでした。このことはつまり、【私たちの世界にもライジンオーは存在しない】ことも意味します。そして『絶対無敵ライジンオー』という作品自体、人間の作った架空の物語であることも。

 それを顕著に表していたのがクラスメイトのセリフです。「現実と空想の区別がつかなくなったらおしまいよねえ。」「1人でライジンオーごっこやってろ!」といった台詞が、痛烈に私たち視聴者の心に突き刺さります。なぜなら人は自分自身を非難されるよりも、自分の好きなもの、もしくは自分の希望を託したものを非難されることの方がよっぽどつらいからです。つまりこれら吼児への台詞は私たち視聴者にとっては、「テレビアニメ『絶対無敵ライジンオー』を否定せよ!」と突き付けられたのです。

 しかし吼児は立ち上がりました。それが絶対的な自信からではなく、藁をも縋る思いであったとしても、自分の夢を信じました。いや、信じたのは【自分の夢】ではなく【夢を見ていた自分】をです。たとえそれが空想であろうが幻想であろうが、その夢を見ていた自分を、正しさも間違いも含んで、【夢を見ていた自分】の存在を信じたのです。

 これは【自分のことを正しいと信じる】こととは微妙に異なります。例えるなら、「まがいものでもウソっぱちでも、そこにはそういうものを書かざるをえなかった私たちがいるのよ。」※4 と同じように、ライジンオーという夢を見ていた自分の存在の【確認】、いや【直視】です。

 先に書いたように、吼児とはすなわち私たち視聴者のことです。※4の文を置き換えると、「たとえ架空の物語であっても、その物語に大きな思いを抱いた私たちがいるのよ。」となるのではないでしょうか。そして、【物語を作ること】【物語を見ること】の意味を考えることによって、改めて【自分に対して問いかけ】をし、さらに【正しさも間違いも含んだ自分の存在を真撃に受けとめる】ことこそが最終話のテーマであったと思います。

 さて、「自分に対して問いかけた後、どうすればいいんだ?」といった疑問がわくことでしょう。その答えはありません。ただ主題歌「ドリーム・シフト」の冒頭は次のように始まります。

「大事なことなんて自分で見つけるよ」

 そう、自分のことは自分自身の手によってしか解決することはないのです。


~最後に~

 『絶対無敵ライジンオー』のテーマとは、【自分と戦う】【自分を作る】であったと思います。戦いの内容は人それぞれ異なるはずであり、だからこそ答えは自分自身で見つけなければならない。そのことを証明するために、地球防衛組の18人が必要だったのです。通常のアニメーションであれば脇役となるパイロット以外の彼らが、それぞれの自分の悩みに対して自分なりの方法で解決していく。その過程の積み重ねこそが【自分を作る】ことであり、そして1人1人異なる【自分を作る】過程を見せることによって、【自分と戦う】ことができるのは自分しかいないことを伝えるために必要だったのが地球防衛組の18人だったのです。

 英和辞典で【ANIMATE】という単語を調べると、最初に登場した訳は【励ます】【活気づける】でした。また、形容詞として【生きている】ともありました。まさに地球防衛組18人全員が【生きている】作品であり、私たちを【励まして】くれた作品でした。「人生の中で、遅かれ早かれ訪れる挫折の時。」※5 にも自分と【戦う勇気を支えて】くれる、『絶対無敵ライジンオー』は私にとってそんな作品であり、今後もそんな作品であり続けることでしょう。


(注釈)

※1:【ライジンオー】【ジャークサタン】はシリーズ後半、それぞれ【ゴッドライジンオー】【グレートジャークサタン】にパワーアップしますが、ここでは前者に統一して表記します。

※2:ジャーク帝国の兵器。その基となる【アークダーマ】は地球各地にばら撒かれ、人間が迷惑に感じるものを察知し邪悪獣に変身します。

※3:この文章作成当時(放映後から1~2年後くらいの'93年ごろ)はまだDVDもなく、VHSかLD(レーザーディスク)が販売されていました。

※4:漫画家の清原なつのさんのとある作品内でのセリフ(詳細不明)。

※5:『ニセ学生マニュアル』シリーズでおなじみの浅羽道明さんが発行しているフリーペーパー『流行神』134号に寄せられた、元(?)富山大学教授の塚崎幹夫先生の投書より抜粋。先生の文学の授業は、上記の挫折の時にも「落ち込まない勇気(『星の王子さま』)、立ち直る知恵(『イソップ物語』)、未知なるものに不意打ちされても慌てず動じない自我を築くこと。」を目標とされているとのことです。