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『メガネ・モラトリアム』~子どもの心を聴く~

~息子は、遠視&乱視メガネくん。「もうメガネはいらないよ」という母の言葉に激怒。その心とは?

1.手さぐりの遠視&乱視メガネ生活

今日は、3か月に一度の、息子の眼科検査の日。
息子は小2のときから遠視&乱視のメガネくん。

学校の健診の時点では、近視か遠視かわからないので、健診結果をもって近所の眼科を受診した。その眼科が、すごくよかった。もっと言うと、その眼科の視能訓練士の方が素敵な方だった。

「手元の作業に飽きやすくないですか。今の眼の状態だと、教科書を読んだりノートを書いたりという作業で、眼が疲れやすいと思うんですけど」

最初の声かけで、母としては思い当たることが満載。たしかに宿題をしていても勉強を教えていても、嫌がって集中できず、すぐに疲れてしまう。

(えー?遠視のせいなんてことがあるの)
(いやいや、むしろそうあってほしいかも・・)
とにかくびっくり仰天で、視能訓練士さんの話を真剣に聴いたことを覚えている。

(この子のせいじゃなかったんだ)
なんだか、急に申し訳ない気もちになった。

視能訓練士さんに度数を合わせてもらった仮のメガネをかけて、息子は自信満々で待合室の母のもとに戻ってきた。私は、小学校時代はド近眼で、あの仮のメガネ姿が恥ずかしくて憂鬱なタイプだったのだが、息子は「おれ、メガネするからさ」と得意げである。

それから3か月ごとに、私たちは律儀にメガネの定期検査に通った。遠視は身体の成長とともに見え方に問題がなくなることも多いため、どのタイミングでメガネ矯正が要らなくなるかというタイミングをはかっていたわけだ。

2.とうとうメガネを卒業?・・と思いきや。

今春の定期検査で、視能訓練士さんが言った。
「夏の定期検査の頃には、メガネは要らなくなると思います。身体の成長でピントが合うようになって、このメガネがむしろ見にくくなる。でも、ごくまれに心理的な面でメガネを必要とするお子さんがいます。もし、彼がそうだったらそのとき考えましょう」

心理的な理由でメガネ?なんとなくぴんとこなかった。そのときが来たら息子はすんなりメガネを手放すだろうと、勝手に思っていた。むしろ、心理的な理由でメガネを手放せない子だったら、ちょっとイヤだなという気もちもあったかもしれない。

その予感は当たった。

小4の初めの学校の眼科検診で、息子が妙な結果を持って帰ってきた。矯正視力が、まったく出ていない。

(いよいよ、そのときがきた)

なぜか私は、すみやかにメガネを卒業させなくてはならないと焦った。合わないメガネをかけつづけるなんて、かえって害になるだろうと。

予想に反して、いや、予想通り、息子はメガネに固執した。「メガネはもう要らないんだよ、身体が成長したから、メガネがなくても見えるんだよ」なんて説得めいたことを言おうものなら怒り出す始末。困り果てて、2か月後に入っているメガネの定期検査まで結論は保留としたのだった。

そして今日、かの視能訓練士さんから、メガネが要らない状態になっていることを告げられた。
「もう矯正は必要ない状態になっています。遠視のほとんどの子が、成長とともにメガネをかけている方が見にくくなって、視力検査のときに思わずメガネをずらして裸眼で見ようとする仕草をするんだけど、彼はまったくそれがなかった。多分、彼はメガネが必要なんですね」

なぜ息子がメガネにこだわるのか、母にはわからない。困った。
メガネがいらない話題になると、息子はもうすでに全開で不機嫌。

しばらくして、視能訓練士さんから代案があった。
「これは、おうちの方に相談になるんだけど、メガネをかけつづける選択もあります。若干ですが遠視や乱視はあるので、それに合わせてレンズをもう一度処方する。時間も手間もお金もかかってしまう選択肢ですが」

そうか、彼はもう選択したんだ。「今は、メガネをかけつづける」と。
そして、私がその選択に対して決断を迫られているわけだ。

正直、その代案があるとは思っていなかった。でも、そんなやり方で猶予がもらえるならそうしたい。なりゆきを見守っていた息子が、不安そうに「今のレンズは、捨てる?」と聞いてくる。視能訓練士さんとほぼ同時に、「捨てなくていいよ」という言葉が口をついて出た。

「今までありがとうって、取っておけばいいよ」

3.息子とメガネの知られざる絆

コロナ対策下の、眼科の廊下に並べられた待合椅子で、なんだかこみ上げるものがあった。
息子は、同級生と同じように見えないことで、よくわからない不快や不安や不一致を感じていた小1時代を経て、レンズ一枚へだてた世界は、まさに魔法のように感じたに違いない。

このレンズさえあれば、皆についていける。
このレンズさえあれば、堂々とできる。
このレンズさえあれば、がんばれる。
このレンズさえいてくれれば、大丈夫。

レンズは、この2年間、息子と外界を橋渡ししてくれるものだったわけだ。
そんな大事なものを、理屈や常識によってもぎとられるように失いたくはないよね。

鈍い母は、ようやく気づいたのだった。
はあ~、ごめん。ほんとさ、いつもこうなんだけど。

メガネを失わずに済むとわかった息子は、機嫌よく一日を過ごした。お手伝いと称してお風呂の準備をし、「おれ、いつから一人暮らしできる?どんな仕事しよっかなー」と、将来のことをキラキラ思い浮かべている。

そんなもんかあ。
いやあ、そんなもんだよなあ。

次々と課題をクリアできるように追い立てたり、できないことに焦点を当ててグリグリと迫るんじゃなくて。
少し遠回りのようでも今のありのままを認め受け入れることで、逆に前に進める。

そういうことって、あるよね。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。


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