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夏じゃん

夏じゃん。
春通り越して。

毎日更新すると書きながら、気づいたら4か月経って大嘘つきになっていた。

とりあえず近況報告といこう。1月に更新した記事の中で少しふれていたが、2月に公募展に応募した。結果は落選。入選にも引っかからなかった。悔しい思いも抱えつつ、作品自体も満足のいく出来ではなかったため、なんだかモヤっと終わってしまった。

こうして書いていてふと、高校時代に出した全国的な美術部の作品展のようなもので、全国推薦を逃した時のことを思い出した。当時高校2年生だった私は、前年全国推薦からの藝大現役合格を決めた先輩に対し静かなライバル意識を燃やしており、もし全国推薦をもらえたら藝大を目指そう、と決めていた。展示の初日、会場をドキドキしながら進み、自分の絵の下に全国推薦のリボンが下がっていないのを見て、静かにショックを受けた時のことは、今も鮮明に思い出せる。

出来る限りのことはしたものの、作品の出来は実力以上の120%というようなものではなかった。絵に対して、全力で向き合うとはどういうことなのか分かっていなかった。(今もわかっていないが)
全力出せていないから、届かなくても当たり前。そう思ってしまう自分が心のどこかにいて、悔しさに浸ることもできず、帰り道に無理やり悔しい気持ちを作って、泣いて、自分をごまかしてしまった。

結局、自分を全力でさらけ出すということができないままなのかもしれない。全力、というのが間違っているのか。私に必要なのはもっと肩の力を抜くことかもしれないが。

とにかく、初めての公募展はそんな感じでヌルっと終え、3月と4月は自主企画の展示の運営に大忙しだった。自分の作品を発表することよりも、キュレーションやマネジメントの方にやりがいを感じるのかもしれないと思いながらも、自分の作品も出していたので反響があれば嬉しいし、スルーされれば悔しいというのが、中途半端だなあと思った。
いっそ作家としての矜持のようなものを捨てられたら、思い切って舵をきれるのに、とも思う。

昨年に立ち上げた企画や運営のしごとが評価され、今年は2つほど画廊から依頼されるような形で展示企画を受け持っている。評価されているのは嬉しいが、作家としての自分と、企画運営を頑張っている自分との間に揺れている。向き不向きで言ったら後者が向いていると思ってしまうのは環境のせいだろうか。しかし、前者のために支払ってきた代償や、時間が大きすぎる。作家とキュレーターの二足の草鞋は、自分にとってはおそらくキャパオーバーだし、中途半端な仕事はしたくない。私は器用ではないので、意外とすぐに限界が来る。梅津庸一や坂口恭平のようなマルチな仕事は憧れるし、文筆と作品制作を両立するのは、まさに私の目指すところのような気もしている。しかし自分がそうなれるのか?と考えると、自信が無い。

5月は本格的に課題制作が始まり、またじっくり作品と向き合う時間が増える。悩みつつも、進むしかない。





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