じいちゃんは死ぬ_20230911
じいちゃんは死ぬ。
癌で死んでしまう。
生き物はいつか死ぬことだけが決まっているのだが、不思議と人生の大半を「そんなこと私には無関係です!」みたいなスタンスで生きる。
映画を見て、漫画を見て、人の死に涙をするが、実は自分にもそれは必ず訪れるのだ。
とはいえ、20代後半となると、死について思い出してしまうことが増えてくる。
今まで何回か死に触れ合ってきた。
最近よく触れ合うのが前述の通り、じいちゃんの死だ。
…………
死に直面しているのは、母方のじいちゃんである。
母方のじいちゃんの家と、実家はかなり近い位置にある。
父方の祖母の家は東北にあったため、なかなか会いに行けなかったが、母方の祖父母は近くに住んでいるのでよく世話してもらった。
じいちゃんとは色んな思い出がある。
子供の頃は、ベタに庭でよくキャッチボールをしたり、将棋を教えてもらったりした。
今、振り返ると、将棋は一勝もできた記憶がない。スパルタ教育だった。
大人になってからは、コーヒーを淹れてお菓子を摘みながら数時間話すというのが定番になっている。
じいちゃんの家までの道中でコーヒー豆を買って行くのだ。
じいちゃんは、ばあちゃんと二人暮らしなのになぜか数十個のコーヒーカップを持っている。
「どれを選んでもいいよ」と毎回言われるのだが、毎回同じのしか使わない保守派なところが僕の悪いところである。
帰り際、じいちゃんは毎回文明堂のカステラを一斤分くれる。
カステラは好きだが、一人暮らしの僕にとってカステラ一斤は地味にきつい。
冷蔵庫を開けるたびにカステラが「こんにちは」してくるのである。カステラハラスメントである。
じいちゃんの家を去る時、いつも「頼む…カステラはヤダ、カステラはヤダ」とハリーポッターくんの入学初日みたいになるのだが、気づいたらカステラをリュックに詰めて帰宅している。
一度、カステラがさすがにきつくなってしまい、袋もあけずに実家に置いてきたことがある。
後から母から「袋を開けたらカステラじゃなくてバームクーヘンだった」と知らせを受けた。
ややこしいことしないで!!!!と心の底から思った。
同時に、死に際の爺様にひどいことをしてしまったと思った。
これが最後のプレゼントだったら、後悔しか残らないじゃないか!!!
カステラを見るたびに悲しい気持ちになるのはヤダ!!!
とカステラをもらわなくても、ハリーポッターくんの入学初日みたいになってしまったのだが、またしばらくして無事会うことができた。
人生は選択の連続。
皆さんも気遣いの心を持って生きてほしい。
…………
じいちゃんは絵が上手い。
夏休みの美術の宿題のほとんどで、じいちゃんがゴーストライターとして暗躍した。
アドバイスを聞いてたつもりが、気づいたらじいちゃんが完成させていた。
建造物のスケッチも、山も海も川も全部じいちゃんが描いた。
もちろん意図的ではない。
面白いことに、じいちゃんが絵がうまいことが発覚したのは、僕と弟が生まれた以降だった。
母は一人娘なのだが、絵を描いてもらったこともないし、絵が上手いなんて全く知らなかったらしい。
つまり、孫が生まれて覚醒したのだ。
じいちゃんは、"とても良く"言うと自分を貫き通すところがあるので、隠してたというよりも「絵を描いて言われなかったから描かなかった」といったところだろう。
能ある鷹も爪を隠くしすぎは良くない。
(ちなみにじいちゃんの爪は割と長い。)
この自分を貫くスタイルは、社会人生活でも遺憾無く発揮していたようで、定年まで定時退社を貫き通したらしい。
「必ず同じ時間に車の音が聞こえてきた」とよく母が言っていたので、じいちゃん"本物"である。
どこかの誰かさんの定時退社マインドも、血のせいでなのである。
なら、仕方ないよね!!
…………
母はゴールド運転免許女王なので、父がいない日に遠出をするときは、じいちゃんが運転をしてくれた。
中学の時に歯列矯正をしていたので、毎週土曜日はじいちゃんに歯医者に連れていってもらっていた。
連れていってもらっておいて申し訳ないのだが、じいちゃんの車に乗ると、結構な確率で酔った。じいちゃんが乗ってた車が、マニュアル車だったのも原因の一つだろう。
ジェットコースター大好き三半規管最強マンを自負しているが、じいちゃんの車だけは油断すると酔ってしまう。
乗車前に紙パックのレモンティーをがぶ飲みしてしまったせいで、一度だけ耐えきれず吐いてしまったことがある。
その時のことをよく覚えているが、なぜか「酔って吐いた」とは言わなかった。
じゃあなんで吐いた?って話なんだけど。
僕も僕で変に意地っ張りなところがあるのだろう。
あれもこれも血のせいである。
(こんな孫を許してくれ、じいちゃん)
…………
じいちゃんの癌が発覚したのは、一年半前くらいのことだったと思う。
同時期に、父もなんやかんやあって死にかけていたので(この話はまた今度書きます)、割と冷静に受け止められた。
一報を聞いてからは、しばらく検査が続いた。
結果的に手術等はしないことになった。
父は手術をして良くなったのが、じいちゃんは父と違って体力がないし、本人も苦しみたくないとのことでこの選択となったらしい。
この話を聞いた時、動揺した。
ここではじめて、「じいちゃんは死ぬのか」と思い知らされた。
じいちゃんが死んだら、残されたばあちゃんはどんな気持ちで過ごすのだろうかと考んこんでしまう夜もあった。
じいちゃんの癌が発覚してから、しばらくしてばあちゃんと話す機会があった。
数ヶ月の余命宣告を受けているのに関わらず、ばあちゃんは変に希望を持っていて、逆に心を締め付けられた。
「もうすぐいなくなる現実を受け止められてないな」と感じた。
何十年も寄り添った仲であるし、仕方ないことではある。
じいちゃんとばあちゃんの関係は、完全にばあちゃん上位となっている。
ばあちゃんはかなり小柄なのだが、恐ろしいほどパワフルである。
「たくさん兄弟のいる中の、下の方だったから食料を確保して生きるためにこうなった」と本人は言っていた。
ばあちゃんが時々じいちゃんにぶちかます低空飛び蹴りは素晴らしいので、皆さんに見てもらいたいくらいだ。
空手有段者の父が褒めていたので間違いないと思う。
ばあちゃんにも変なところがある。
自分の意思で天皇を見に行ったのに、なぜか旗を振らなかったため、悪目立ちして、SPに目をつけられたエピソードは、意味わからなすぎて大好きなお話だ。
そんなパワフルばあちゃんでもパートナーの死には勝てない。
僕だって悲しいし、勝てない。
誰も勝てない。てか勝てなくていい。
………
なんだかんだじいちゃんは、宣告された余命を乗り越えている。
でも段々弱まっているのは明らかである。
昨日、今日と実家に泊まる予定があり、昨日じいちゃんとも会ったのだが、食事もろくにしていない状態だった。
歩行はできるし、会話も全く問題なかったが、誰がどう見ても長くはない状態だった。
今までは「長生きしろよ」とか言えたが、生きろと伝えるのもちょっと迷ってしまった。
だから「苦しまずに死ねたらいいよね」という話をした。
これは僕の中でまだどこか見て見ぬふりをしていた死の中に更にもう一歩踏み入れた瞬間だった。
老衰で死にたいと言っていた。
冗談ぽく言っていたが、本音だったと思う。
じわじわと死が近づいてくるなんて、怖いに決まってる。
僕を無条件に愛してくれた人には、苦しまないでほしい。
ニュースで流れる死には、どこか他人事なのに都合がいいかもしれないが、とにかく苦しまないでほしい。
…………
今朝、実家を出る前に、じいちゃんの家に寄って痩せ細ったじいちゃんと写真を撮った。
幼い頃の記憶と異なり、骨だけになった肩に手を回し、笑った。
本当は悲しい気持ちだったけど笑った。
これを書いてる今も泣きそうだけど、泣くのは最後だけでいいからやめておく。
じいちゃんはよく写真を撮る。
死が近づいてきてからは、更によく撮るようになった。
本人の中でも長くないのはわかっているから、少しでも多くこの世を切り取っておきたいのだろう。
じいちゃん愛用のデジカメには色んな時代の僕らがいる。
あと何回写真を撮れるだろう。
毎年、年始に撮る家族写真に、来年じいちゃんはいるのだろうか。
今年の年始に撮った写真にはいないものだったと思っていたが、いてくれた。
もしかしたら今朝撮った写真が最後だったかもしれない。
今日じいちゃんの家を去る時、カステラはもらえなかった。体力がなく、もう家の外にはまともに出れていないということである。
だから、本当に最後だったかもしれない。
いや違う。
最後なるか、ならないかは僕自身が動けばどうにでもできる。
もう食べれないと思うけど、カステラを持っていこう。
今度はこっちがカステラハラスメントをする番だ。
次に伝える言葉は、まだサヨナラじゃない。