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アメリカで使われているヤードポンド法について

ヤードポンド法滅ぶべし。ていちょうです。メートル法に包まれて過ごす日本人にとって馴染みのないヤードポンド法についての説明記事です。成り立ちの歴史から、なぜ滅びないのかについて飲み会で話す雑学くらいのレベル感で書いていきます。完全に雑学をまとめただけの記事です。

何故これを書くのか

アメリカでの体験記を書いている最中ですが、アメリカでの生活の中で避けて通れないもののひとつにヤードポンド法があります。これについて書かずにはいられないが、体験記の中の補足として書くにはとても長くなるので個別に書きます。

そもそもヤードポンド法とは

ヤード(長さ)、ポンド(重さ)を基準単位とする単位系を指します。

これに対して日本や大抵の国(というかアメリカ以外の全ての国)では「メートル法」を採用ないしメートル法への移行を進めています。ヤードポンド法はもはやアメリカしか使ってない単位系と言っても良いと思います。

このヤードポンド法ですが、基本的に唾棄すべき対象として主に理系の人々から多大なるヘイトを集めています。Google検索のサジェストを見ればどれだけ嫌われているかが分かると思います。(もはや半分ネタとして扱われていますが)

ヤードポンド法のサジェストキーワード

ここで日本でも良く聞く(と主観的に思っている)ヤードポンド法の単位をさらっと紹介します。大量にあるので詳しくは調べてください。

長さの単位

  • インチ 27型のテレビは対角線の長さが27インチという意味。

  • ヤード ゴルフで使われる。

  • マイル 海底2万マイルとか。大谷翔平の球速とか。

面積の単位

  • エーカー アメリカドラマで畑の広さの単位としてよく聞く。

体積の単位

  • ガロン 水の単位とかでよく聞く。

  • バレル 原油の単位でよく聞く。

重さの単位

  • ポンド 材料を1ポンドずつ使うから”パウンド”ケーキ。

  • オンス ボクシングでよく聞く。

その他

  • 馬力 鉄腕アトムや自動車のスペックで。

  • 華氏温度 アメリカの温度計の数字がやたら大きい原因。

意外と日本でも使われていることが分かると思います。まあこの「使っちゃっている状態」がヤードポンド法を根絶できない理由でもあるのですが。

なぜここまで嫌われているのか

「めんどくさいから。」これに尽きます。

メートル法への変換がめんどくさい

全世界のスタンダード、「SI単位系」はメートル法です。その中でヤードポンド法を使われると、メートル法と単位の相互変換が必要になります。

直感的には通貨の話が良く似ています。
板チョコが3ドルと書かれていたとき、日本人から見て高いか安いかがパッと分かりませんし、日本円で払おうとした時にいくら出せばいいのかわかりません。レートを調べて、変換して、「ああ〇〇円か、高いな」という手順を経る必要があります。これがヤードポンド法の全ての単位で必要になるのです。

ヤードポンド法の中での変換もめんどくさい

1kmは1000mですし1mは100cmですよね。簡単です。
1マイルは何ヤードだと思いますか?

1マイルは1000ヤード?違います。1マイルは1760ヤードです。
1ヤードは10フィート?違います。1ヤードは3フィートです。

……正気か?
ヤードポンド法の中での単位変換ですら一筋縄ではいきません。アメリカの小学生の算数、難易度大丈夫か?

単位の正確な識別がめんどくさい

例えば「馬力」ですが、「英馬力(イギリス版)」と「仏馬力(フランス版)」があり、大きさが違うのです……これは後で述べますが、ヤードポンド法が「身体尺」の考え方をベースとした単位系であることに由来します。日本でも江戸の1畳と京都の1畳のサイズが異なることは有名ですが、それと同じようなことがヤードポンド法では起きまくります。

また通貨に例えますが、「ドル」と言っても「米ドル」「シンガポールドル」「オーストラリアドル」…など種類があってそれぞれ値段が違ってややこしい感じに似ています。
「いやいつも正式名称で呼べばいいじゃん」と思うかもしれませんがアメリカで使われるのは必ず米ドルで、シンガポールで使われるのは必ずシンガポールドルなので、それらを使う国民はみんな「ドル」としか言わないのです。
そしてこの状態でアメリカ人とシンガポール人がお金についての会話をした時、双方が困るのは想像できると思います。(ここでは双方とも為替に詳しくないものとする。)

要するに

例えるなら全世界で共通の通貨を使うようになった世界でアメリカだけ独自通貨を使い続けているような感じです。どれだけ厄介かが分かると思います。そしてこれだけの長さをかけて述べるということから、どれだけ私(理系)がヤードポンド法を嫌っているかも分かると思います。

実際に起きた弊害

ここまでイメージで弊害をあげてきましたが、実際ヤードポンド法のせいで人が死にかねない事故も起きています。

1999年、NASAの火星探査機が火星に墜落しました。その原因が「メートル法とヤードポンド法の混在によるソフトのバグ」です。100メートルのつもりで「100」と設定したら100ヤードと解釈されて…みたいなもんだと思ってください。無人探査だったからよかったものの……という事故です。

ちなみにヤードポンド法撲滅派の人たちは、ヤードポンド法の話をする時に100%この話を引き合いに出すはずなので、相手が「NASAの…」まで言ったところで食い気味に「火星探査機が墜落したんですよね」と言うとひるみます。

他にもヤードポンド法笑い話がたくさんあるので調べて見ると面白いです。私はPC自作をするのですが、その界隈ではミリネジとインチネジを間違えるというのがあるあるネタです。

なぜヤードポンド法は無くならないのか

ここで一旦ヤードポンド法の擁護をします。

ヤードポンド法は身体尺

身体尺とは、人間の体を基準にした単位のことです。例えばフィートは「フット」の複数形で、その名の通り足の大きさを元にした単位です。ポンドは人間の1日分の食料(パン用の小麦粉)の重さを基準にしています。
また、「馬力」は馬の力ですし、バレルは1樽の容量です。これらは身体尺ではないにせよ、当時身近だったものを基準にした準身体尺・物体尺(今私が作った)とも呼べるような単位です。

身体尺は人間にとって分かりやすい

身体尺は人間の体や生活が基準であるため、人間が生きる上でとても使いやすい単位です。足10個分の距離は10フィートですし、3日分の食料が買いたいときは材料を3ポンド買えば良いです。3馬力必要なら馬を3頭用意すればよいですし、4バレルの石油は4樽分です。非常に直感的で使いやすい単位といえます。また、原始の人間に与えられる文明スターターセットは自分の肉体と周囲の自然物のみなので、身体尺、準身体尺・物体尺は文明が最初に通る最も原始的な単位とも言えます。

身体尺のシンクロ

文明の起こりではそれぞれの文明がそれぞれの身体尺を生み出します。そして人間はほぼ同じサイズの体を持っています。ここで何が起こるか。異なる文明が別々に生み出した単位が、ほぼ同じ大きさになるというシンクロが起こります。

昔の日本は「尺貫法」でした。「尺」は「尺度」「尺八」、「貫」は「貫禄」「百貫デブ」などに名を残す、長さと重さの単位です。これらも身体尺の一種です。(厳密には物体尺かも。)

ここで、1フィート(30.48cm)と1尺(30.30cm)はだいたい同じ長さなのです。

これは偶然ではなく、どちらも足の大きさをもとに作られたからであると考えられています。(諸説あり)

(尺の長さは歴史的に伸び縮みしています。ここでの尺は明治に定義された最終版を指します。)
(漢字の「尺」は親指と人差指を広げて距離を測る様の象形文字です。明治に定義された尺とは成り立ちが異なります。)
(前腕の骨に尺骨と名前が付けられている骨がありますが、これは1尺を測るために使われていたからとかではなく、外国の文書を訳する際に「前腕の長さが単位になっていた」という古代ローマの歴史を踏まえ、当時の長さの単位の中の「尺」を当てはめたそうです。)

このように、身体尺は人間が人間の構造を取っている限り、どの地域でもどんな人種でも似たようなものを作り出してしまう、原始的で直感的な単位系です。つまり私達が生きている限り、この身体尺からは逃れられません。そしてそれは同時にヤードポンド法の撲滅が難しい理由でもあります。私達も「一日分の野菜」というほぼポンドみたいな成り立ちの単位を日常的に作り出していますしね。

だがそれとこれとは話が別だ

ヤードポンド法を擁護しすぎました。避けて通れないことと、使い続けることは別の問題です。というか現在のヤードポンド方は、メートル法の単位の〇〇倍という形で定義されています。つまり完全にメートル法を拠り所にしていて、従属関係にあります。無くても全く困らないのです。もちろん文化的にヤードポンド法が残るのは、身体尺の成り立ち上避けられないことですが

国の標準単位として使うのは違うだろうが
どんだけ計算で苦労すると思ってんだ。おいUSA、お前に言ってんだぞ。

理系がヤードポンド法にヘイトを向けている理由が少しでも分かっていただければ幸いです。


ついでに

ヤードポンド法が嫌われている話は終わりですが、もう少し単位についての話をします。

文明レベルは単位を聞けば分かるらしい

「単位」をどう定義しているかでその文明のレベルが図れるようです。具体的には、単位の基準としているものが何か、ということです。

レベル1 身体尺・準身体尺・物体尺

まずは原初のレベル。自身の体、または身の回りの動物や物体を基準にして単位を作ります。人間であったり、同じ環境にいたり、または単位の基準となる「原器」(この石の重さを1[rock]とする!みたいな時の石)を共有できるならば、ほぼ同じ単位を使えます。ただし個人差や原器の経年変化により誤差が出ます。

レベル2 地球尺…単位統一を目指して

レベル1では個人や地域による誤差が多すぎるので、人類はもっと誤差の出ない、地球上で統一された基準を探しました。その結果見つかったのは「地球」でした。

「メートル」は最初、赤道から北極点までの距離(子午線の長さ)の1万分の1、kgは1辺10cmの立方体(1リットル)の水の重さ、のように決まりました。素晴らしい、これで地球上に住む人類は皆統一された単位を使えるようになりました。

と、思ったか?

これは地球を原器とした物体尺にほかなりません。地球の大きさはもちろん年々変わるため、時間に対し不変でもありません。何より問題は「どうやって毎回子午線の距離を測るんだよ」ということです。

いちいち測ってらんねえよ。ということでメートル原器やキログラム原器というものが生み出されました。「この合金の棒の長さを1mとする!」「この合金の塊の重さを1kg」とする!というものです。なんか聞いたことありますね。そうです。レベル1の方法です。
メートル法の初期はレベル1の単位からの脱却を目指し、実際にコンセプトは進化しましたが実態としてはレベル1のように運用されていました。

レベル3 原子尺…だれでもどこでも正確に

次のレベルは、ある原子がある状況で発生させる光の波長を基準とするものでした。これは素晴らしい。同じ原子に対し同じ操作を行えば、地球上のどこでも誰でも正確な1メートルを知ることが出来るのです。この再現性という面でレベル1とレベル2とは一線を画す進歩です。

レベル4 宇宙尺…いかなる場合でも不変に

現在の人類がここです。

現在の「メートル」は「1秒の 299792458 分の1の時間に光が真空中を伝わる長さ」で定義されています。これは相対性理論において提唱された「光の速さはいかなる場合も不変」という性質が重視されたものです。
(同時に技術進歩でめっちゃ正確に時間が測れるようになったからでもある。)

つまり

相手が用いている単位を聞けば、物理学の理論が相対性理論まで来ているか、そして定義を実現するための技術力があるか、というような文明のレベルを知ることができます。

そしてきっと、私達より進んでいる宇宙人たちはレベル5かそれ以上の単位を使っていることでしょう。

長くなりましたが終わりです。
お付き合いいただきありがとうございました。

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