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アメリカにいた日本人の話

物件の契約書のサインが終わりました。ていちょうです。

今回はアメリカにて出会った日本人2人についてお話しします。私と違って自分の判断でアメリカに来て、アメリカに住んで、なんなら市民権も取った人です。バイタリティがちげえ。

国外に出るバイタリティを持った人は当たり前ながら国外にいるので、日本では出会えません。そういう意味で、アメリカで出会う日本人は、日本にいる私が知っている日本人像とはだいぶ違いました。

不動産仲介のエージェントさん

内見の移動中、暇なのでエージェント(男性)とお話していたのですが「なんでアメリカで働くことになったんですか」と聞いたらこう返ってきました。

「高校出た後にアメリカで事業を起こして、まぁうまくいかなかったんですけどそのままこっちで働いてます。」

私はあまりの情報量の多さに「……????」としばらく混乱しました。
高校を出た後にアメリカで事業を起こすってなんだ……?

詳しく聞いたら高卒で就職して、仕事でアメリカ人と知り合い、一緒に事業をやろうとなって渡米、そのアメリカ人の地元で事業を始められました。その後事業がうまくいかなくなって解散、その後アメリカの大学に入り、その後色々あって今の職業だそうでした。

なんだそのバイタリティは。

「彼と出会わなかったら、まだ日本にいましたか?」と聞いたら「いや、きっと日本からは出ていたでしょうね」とのことでした。

カッコいい。エモい。俺は一生日本から出ない自信ある。

「何十年も前で、しかも田舎でしたからアジア人は全然いなくて、電車やバスに乗るといたずらされたんですよね。それが辛かったです。車も買えませんでしたし。」

なにそのお手本のようなエピソード。本当にあるんだそれ。

「ちなみに一緒に事業をしていた彼は今はそこそこ成功してお金持ちらしいです。あの時私が出資したお金、返してくれても良いと思うんですけどね。」と笑っていました。いまでも交流はあるようです。ええことや。

ちなみにエージェントさんもええ車に乗ってらっしゃったし、物価が馬鹿高いシリコンバレーに定住している訳ですからまぁ彼もそういうことです。

知り合いの知り合いの日本人

会社のすぐ近くに、奇跡的に知り合いがいました。
知り合いと言っても、私の母の友だち(以下Aさん)の友達(以下Bさん)です。つまりは年齢としては母と同じ位の女性の方です。実際私と同い年の娘さんがいらっしゃいます。

私の母の友達(Aさん)は(私の母の実家から百メートルくらい歩くと彼女の実家に着くのですが)アメリカ人と結婚しアメリカに住んでいます。(あの九州のど田舎から太平洋を越える人が出るとは……)

小学生の時にアメリカ旅行に行ったのですが、その時にホームステイさせてくれたのがAさんです。

ちなみにAさんには息子がおり、私と誕生日が数日しか変わりません。つまりはかなり厳密に同い年です。その息子はアメリカで私と同じような進路を辿った後、今は起業して社長をやっているらしいです。なんてこった。
それについてはまたの機会に。彼も実は近くにいて、そのうち会いにいくのでそのあとに書くことにします。

で、話を戻して、あるときAさんが「私の友達の息子(ていちょう)がカリフォルニアの〇〇って会社に行くらしいです。」と言ったらBさんが「〇〇って会社?……うちから数分なんですけど。」となり、連絡先を交換するに至りました。世界狭すぎだろ。

Bさんの歴史

ちょうど先日、一緒に御飯を食べてきました。あとお家にお邪魔してお茶もいただきました。そこで色々聞いてみました。

留学して、そこで結婚して、巡り巡ってのカリフォルニアらしいです。まぁそこまではまだ私でも想像できます。しかし問題はお家の中身にありました。

現在Bさんは一人暮らしなのですが、そのお家にはグランドピアノ(の中でもコンサートに使われるガチなグレード)が置いてあり、ガレージにはガチの卓球台とお高い球出しマシーンがありました。趣味に全力過ぎる。

一部屋潰して防音室を作るような私は確信しました。「同じ側の人間である」と。

気づき

アメリカに暮らしている日本出身の女性の話し方は、何故か似ます。Aさんも、Bさんも、会社にいるアメリカに定住している日本人の方も、かなり話し方が似ています。決して日本語ネイティブじゃなくなるわけではないのですが、「アメリカナイズされてるな」と何故か分かるんですです。英語なまりの日本語と言うのでしょうかね。ちなみに男性は今のところそれは感じませんでした。

まとめ 地球人であるということ

こちらにいる日本人の方の話を聞いていると、彼らは「アメリカにきて今の性格・ライフスタイルになった。」のではなく「日本が合わなくてアメリカに来た」という感じでした。いわゆる「ステレオタイプな日本人」とは違う人であり、同時に国境を突破するだけの行動力を持っていた人々だったのだと感じました。
そこで改めて思いました。

ああ、合わないなら国境を越えてでも離れるという選択肢もあるのだ。と。

これが視野を広く持つとか、そんな感じの感覚なんだろうなと思います。私たちは日本人であるまえに、地球に住む人間です。地球上で人間がいるところならだいたい生きていけます。そう考えると、取りうる可能性は思っているよりもずっと多いのだと思いました。

まあ自分側を変えることで大体の文化圏に適応できる私にとっては割りとどうだっていいんですけど。

最後に私が言いたいことは、「日本の国籍を持っているならば、国境のハードルは案外低いぜ。可能性は割りと広がってるぜ。」ということです。

まあその代わり日本人にとっては言語のハードルが高いんだけどなぁ!!!

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