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「竹刀は竹刀であり、刀ではない」剣道人口減少問題で理解しなければならない警告:「理念」と「規則」

今回の記事は、剣道の理念はこうであるから、このように剣道しましょうという剣道内の観念的な話ではなく、そもそも、剣道界が抱えている「理念の認識」と「現実」との間にあまりにも開きがあることにより、剣道人口が減少しているというという警告記事である。

竹刀は刀じゃない、竹刀は竹刀

全日本剣道連盟をはじめ多くの剣道指導者や権威者たちは「竹刀は刀である」と繰り返し唱える。私も「刀の理念で剣道をしなければ、他のスポーツと差別化されず、そもそも剣道が面白くない」と考えている。稽古・試合・昇段審査の指導と評価も「竹刀を刀のように扱っているか」という観念的な根拠によって基準化されているが、そのことによって剣士たちの意識と現実の間には、さまざまな齟齬が生じている。そもそも剣道家が実際「刀」で人を斬った経験を持っているのか。それは、恋愛経験のないものが「恋愛はこうあるべき」と語っているレベルではないだろうか。長時間鍔迫り合いをしている試合をみると、刀であんな鍔迫り合いしてたら指切れてる。しかも、刀は、右手主働で竹刀剣道の構えより足を広げるのがオーソドックス。竹刀は、そもそもヒトを斬ることを目的としておらず、完全に「打つ」という技術である。

現実問題として、勝負決着の判定や審査における評価基準を武士道のように求めること自体、その基準が抽象化され、意味不明になっている。剣道を教える側が普及する際にこの問題を説明できなければ、新規獲得が難しくなる。

「有効打突」の厳密化

コロナルールに乗じて、暫定的に鍔迫りになった場合は、互いにすぐに遠間から仕切り直す。更に、ガードしながら鍔迫りにもってくなどの時間空費と防御姿勢による反則が追加されるようになった。

これによって、剣道の試合時間、鍔迫り合いの時間短縮と中段で構えた状態の攻め合いという形式に変わった。これがもし「暫定」ではなく「確定」のルールと化せば、剣道の理念である「竹刀は刀のように扱う」ものとしての「規則」を一定の基準として明確化する第一歩になることであろう。

それでも、剣道の「竹刀を刀のように扱う観念」に沿っているせいで、あまりにも曖昧なまま残っている「規則」が存在する

剣道の有効打突「充実した気勢、適正な姿勢をもって、竹刀の打突部で打突部位を刃筋正しく打突し、残心あるものとする」

現実問題として「誤審」だったり観客からすると「今の1本じゃないの?」と、有効打突の基準が高段者しか判断できない、ましてや、高段者さえも意見がわかれたりするなど、各1本の有効打突の基準が明確化されていないのだ。国民体育大会は、地元優勝が保証された出来レースなのか、地元民の歓声に乗じて審判もついつい旗をあげるようになっている。

この有効打突の基準、「竹刀の打突部で打突部位を打突」しか素人が見た感じわからず、「刃筋正しく」「充実した気勢」「適正な姿勢」「残身あるもの」は主観的判断による。有効打突には「技の完結性」が大きなポイントとなりそれは「攻め」ー「打突」ー「残心」の一体的な連なりや質のことをさしているがそれは様々であり、試合においてそれを一瞬で判断しなければならない。しかし、剣道家の間では「これは仕方がないこと」と解釈される。何故なら「竹刀は刀のように扱う」のだから。これは、宗教に洗脳されているのと同じだ。

剣道家は有効打突について全日本剣道連盟が取り組まなければならない課題を共有しなければならない

有効打突基準の研究とは、

①理念とともに規則を一体的に捉えること、規則への理念の浸透と矛盾を分析すること

②そのうえで打突基準の抽象性の意味を文化的特質として腑分けし、さらに基準としての厳密性や具体性の欠如を補うこと

③この打突基準とその他の規定との整合性や矛盾を吟味検討すること

④腑分けされた特質を評価できる具体的な方法を検討、開発すること

このような部分は、我々が馴染みのある剣道といえば、剣道なのであるのだが、「剣道を普及する」という観点からすると、剣道をやっていない一般人からみたらどう思うだろうか「剣道とは、専門家しかよくわからんもの」として捉えられる。だが、剣道史において剣道が普及できた要因としては現実として「誰でも打ち合いができる」

江戸時代:実は「竹刀剣道」だから全国に広まった

1791年:『剣術義論』著:山崎金兵衛利秀

「竹刀打ち込み稽古」が普及して50年の月日。この時代は、武士以外の人々は『刀狩り』以来、剣術をやってはならないことになっていたが、1800年代をつうじて幕府がたびたび庶民の剣術の禁止令を出していることから、剣道の普及は明らかだった。

木刀による稽古をしていた時代は、師匠から弟子への「1対1」の教習によっていたが、「竹刀打ち込み稽古」が武士階級のみだけでなく町民や百姓たちを夢中にさせた。

その理由としては、木刀による形式的教授や師弟の個人的関係から脱し、人々は「われ好きな剣道」として、自由に打ち込み、大汗を流すほどにそれが楽しいものと認識されていった。木刀などの試合では本気の撃ち合いができず、どちらが勝ったかもよくわからなかったが、道具をつけて、竹刀で撃ち合うことにより、当時の認識としては、どちらが勝ったか負けたかもはっきりわかるし、竹刀と道具による剣術こそ安全であった。このように「竹刀打ち込み稽古」は一般庶民が愛好できる文化的性質を獲得した。

だが、元々「竹刀打ち込み稽古」は1751~63年の間に、中西忠蔵の一門が、「木刀だけの稽古では、本気の撃ち合いができないので、技は弱くなり、気合が道の、禅の言葉や境地がどうのと、剣の実力ではなく観念や理屈が多くなり口達者になってしまうばかりである」として、考案したもので、勿論竹刀と道具による方法では、相手から痛みを感ずるほど強く打たれないと自分がやられたと思わないから心得としては「相手から打たれた場合は軽くてもやられたと思い、自分が打った場合は充分に強く打ち、木刀で稽古している気持ちで練習すべきだ」という持論を弟子たちに強調していて、彼は竹刀を刃引きや木刀の「つもり」で使うことによって実践を目指していった。しかし、竹刀と防具による打ち合いに夢中になってしまった一門たちのあり様をみて、中西は自分が一刀流の本当の実践的な力や極意に導こうとしても、それを習得する者は一人も出てこないであろうと嘆いていたという。

剣道黎明期、剣道は正しく普及されなかったが、間違って普及されていなかったら、今の剣道の形はない。現実問題、剣道を人口を増やす入り口としては「打ち込み」の面白さである。

何故、全日本剣道連盟は動かないのか

20~30年ぐらい課題にしていた鍔迫り合い、試合時間の長期化、攻め合いの問題をコロナという状況をきっかけにやっと踏み切れた全日本剣道連盟であるが、恐れていることは規則を明確化にすることによる剣道の「スポーツ化」である。元々は「刀」を扱うための「竹刀打ち込み稽古」なのであるから、その伝統を継承していきたいという理念が現時点では保守的になっている。オリンピック種目となった柔道、「柔よく剛を制す」「乾坤一擲」という技の醍醐味がなくなり、重量性やポイント制によって日本の武道の精神性や美しい技が変質させられていった。このような不安要素を考えるとその気持ちはしょうがないし、私自身も剣道がそのようになったら剣道をやれなくなってしまう。しかし、日本剣道が世界剣道として昇華する道を自ら閉ざしてもよいということにはならず、実際、剣道人口は減り続けている。少なくとも、剣道を世界に誇りうる普遍的文化として発展させていくためには、世界の人々が理解し、納得できる理念や規則を新たに創り、実践しなければならない。そうでなければオリンピック種目化など柔道の二の舞で話にならない。そのために、「竹刀は刀である」という「観念」から自由になることは、日本に生まれた剣道を世界文化として豊かに発展させるためには必須の要件である。

まとめ

「刀のように竹刀を扱うこと」という建前と現実問題の竹刀が一致することは不可能であり、この二重構造が、非常に曖昧である。剣道の理念の分析吟味して、規則をより明確化しなければ、剣道の普及は現実問題として厳しい。コロナ暫定ルールはその改良の一歩で前進はしているが、特に「有効打突基準」はより明確に改良していかなければならない。そのためには「竹刀は刀である」という束縛から自由になる必要がある。この問題というのは「剣道家一人一人が考えること」というのではなく「今、剣道界が抱えている問題」を共有できたらと思います。