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剣道の審判に「公正」を期待するな。審判の「偏向」と地元圧倒的有利の国民体育大会について

こんにちは、久々の剣道記事です。基礎とか打突については、前にやって、ネタも尽きてきた昨今だったのですが、やっていきます。今回は、「審判の特性を理解しよう」という話です。

長文を読みたくない方のために、結論から先に申し上げますと

・応援は、多くなれば審判は微妙な判定の場合旗を揚げる可能性が高い

・審判は、重要な場面ほど地元のチームに有利なジャッジをする。そうでもない状況ならば、公正を釣り合わせるために地元外のチームに有利なジャッジをする。

・審判が人である限り「偏り」が発生する。剣道に個性の優先度は低い、審判が旗を揚げやすい剣道(正統派)を逆算して目指す必要がある。

では、まず、各スポーツのホームでの地の利を紹介します。

ホームチーム勝率、地の利:統計期間(1993~2009)

引用:「オタクの行動経済学者、スポーツの裏側を読み解く」

サッカー

MLS(アメリカ)69.1%
セリエA(イタリア)67%
中央アメリカ 65.2%
ラ・リーガ(スペイン) 65・2%
南アメリカ 63.1%
プレミアリーグ(イギリス) 63.1%
ヨーロッパ 61.9%
アジアおよびアフリカ 60.0%

バスケットボール

NCAA(アメリカ大学リーグ) 69.1%
NBA 62.7%
WNBA 61.7%

クリケット 60.1%

ラグビー 58.0%

アイスホッケー NHL 59.0%

フットボール

NCAA(アメリカ大学リーグ) 64.1%
NFL 57.6%
アリーナフットボール 56.0%

野球

MLB 54.1%
プロ野球 53.3%

剣道

国民体育大会 剣道大会 ∞%

スポーツが同じなら、地元の地の大きさも基本的に同じであり国が違っていても関係ない。日本のプロ野球における地元の利は、アメリカのメジャーリーグにおける地元の利とほとんど同じ大きさである。

地元の方が敵地よりも勝ち星が多いチームをとるとNBAでは圧倒的98.6%。プレーオフで「地元の利」を与えるのも無理はないのだ。こんな格言もある「地元では負けないプレーをしろ。敵地では勝てるプレーをしろ」

では、今回とりあげる「国民体育大会剣道競技」についてはいかがだろう

第8回(1953年)より正式競技として実施されている。近年では開催県に対して明らかに旗が軽くなるのが半ば暗黙の了解となっており、毎年開催県がほぼ全ての部門を制する。(引用:wikipedea

開催の都道府県がどれかの部門で優勝できる確率は100%を誇っている

地の利どころではない。

試合の勝敗である1本の判定は全て審判に委ねられているのだから当然と言えば当然である。まず、剣道は審判一つで勝敗が変化する競技であり、他のスポーツのような「公平性」を求めてはいけない。

それほど剣道では審判一つでどうにでもなる競技(武道)といってもいいのである。

と、このように審判のバイアス(偏り)は常に存在するといってもよい。審判のバイアスをどのように測ればいいのかは非常に難しい問題であるけれども、バイアスは存在することを前提に試合に挑んだ方が取り乱したりはしないだろう。

接戦の時にバイアスは発生する

サッカーのスペインリーグでの調査によると、接戦している状態でホームチームが先行する展開だと、審判は決まってロスタイムを大幅に短くし、試合を早く終わらせる。ホームチームが追う展開だとロスタイムを長くとり、試合を長引かせる。

野球では、地元と敵地の一番の大きな違いは、敵地よりも地元の方が打席あたりの三振が少なく、四球がずっと多い。バッターが見送った投球がストライクと判定されたかボールと判定されたかをみると、ホームチームの選手の方がビジターチームの選手よりもずっと少なかった。プロ野球ではセーフ、アウトの判定に対して「リクエスト」が導入されて、観客も一緒に確認できるため、バイアスはかからないが、重要な場面でのストライクかボールかの判定に対してバイアスがかかるようになっている

特に決定的な場面・重要な場面で観るとその確率の差は、バッターが見送った投球がストライクと判定される割合の差では、ホームチームとそうでないチームでは0.5%ほどの開きがあり、ホームチーム有利となっている。しかし、実はどうでもいい場面に対しては、逆にビジターチームが有利となっている。そうでもしないと公平性に関してフェアかそうではないか露骨になってしまうからだ。

重要な場面ほど、審判はホームチームに有利なジャッジをする

審判はバイアスを持っている前提

1935年心理学者のムザファー・シェリフのは「同調」に関する実験を行った。暗室で「光点」を一つ輝かせる。人間の目癖で光は動いているようにみえるが、その動きの大きさは人によって様々だ。観察者はそれぞれの自分で基準を決めて、動きの大きさや方向を判断する。だから個人はそれぞれ違った「動き」をみるし、動きの大きさも違っているはずである。実験の参加者たちはそれぞれ光点がどれだけ動いたか推定するように言われる。すると、予想通り彼らの答えはバラバラになった。

それから、参加者たちを3人ずつの集団にまとめ実験をやり直した。集団の構成は意図的に作られていて、一人で行った光の動きの推定結果がとても近かった人が2人、その2人全く違う推定を行った人が1人だ。参加者はそれぞれの集団の中で、光点がどれだけ動いたと思うか、はっきり宣言しなければならない。実験を何度も重ねると、各集団内の推定値は1つに収束していく。集団内の他の2人の推定値が大きく異なっていた被験者は、多数意見に同調するようになる。もっと重要なのは、実験後に面談すると、最初の実験で他の2人と大きく違った意見を持っていた被験者は、この段階では自分の当初の推定値は間違っていたと「信じていた」ことだ。つまり、被験者は社会的圧力に屈して自分でも信じてもいないことを口にしたのではなかった。不確実な状況に置かれると、人は指針や情報を求めて他人をみる。そうやって「正しい」判断を行おうとする。

これは、剣道の審判員でも応用できる

人間は集団に属したいと考える。自分の意見よりも他の審査員に「変な奴」と思われる方が嫌なのだ。また、多数派とは違う判断をしても自分は正しいと信じ込むことは多大なストレスを感じることがみてとれた。剣道の審判団は一種のコミュニティである、そこで阻害されたとなれば、田舎であればあるほど生きていけない。同調圧力は必須となる。

国民体育大会等などの地元の大会での圧力とは??

熱狂した地元の観客たち....そして、地元の選手が打突をする度に大きな歓声をあげる。

審判はその中で判定を下すとなると物凄くストレスを感じる。すると、すばやい判定を下すときにホームチームをひいきすることで、審判は分かってやっているにせよ、そうでないにせよ、そうしたストレスを和らげることになる。また、審判は正しい判定をする際に、観客の歓声を少なからず参考にしていることは、先ほどの実験から応用すると否定はできない。有効打突部位を確実に捉えたかどうか微妙な判定をする際に、無意識にせよ、審判たちは観客の反応を言いシグナルとして使っている。

彼らは自分が信じていたものをやっているのにすぎないのだが、彼らが「信じていたもの」それ自体が変わっているのだ。

国民体育大会においては、観客以外にも「審判団の上司」というのも外すことは出来ない。審判たちは上司に圧力を受ける。いろんな形でにおわせる程度の場合もあるだろうし、そうでないこともあるだろう。そんな中、難しくて不確かな判定を迫られた時にどちらに旗を揚げるだろうか、それは、地元であろう。

ところで、コロナ禍で開催すれば「無観客試合」となる「国民体育大会 剣道大会」ではあるが、この観客の声援に効果があるのかせっかく立証できるサンプルが得られると思った。今年は10月2日開催ならば、やるのでは?と思っていたが、中止となっている。

国民体育大会は、予選を通過して代表が出場する。一般の剣道人にとって無縁の話である成果、いままではそれが表沙汰にはならなかったが、

昨今、YouTuberからの「文●砲」やTV番組「月曜から夜更かし」のおかげで国民体育大会についての動画について剣道界で軽く物議を醸すことになったせいで、開催は慎重になっているか。

地元の利が得られるバイアスとは?

以上のことから、社会的影響によって生じる審判の判定の偏りは、確かに存在するだけにとどまらず、地元の利を生み出す強い要因となる。

・観衆の多さ

・不確実で、あいまいな状況

審判員はそのような状況下に置かれた場合、周囲を参考にする

実際、どのスポーツにおいても、観客が最も少ない試合では地元の利はほとんど消えてしまう。MLBの観客が最も少ない試合20%を取り上げてみると、地元の利はたった50.7%だった。

地元大会では弱者は強者に対して不利

また、剣道では、地元のバイアスだけではなく、有名な子や有名高校、強豪に有利に旗が上がるのも私の偏見で成立する。微妙な判定の時に優勝候補が消えるようなことがあれば、どうであろうか。優勝候補の方に旗を揚げる方が無難であろう。

残念ながら、剣道をやっている限り、君たちは偏見で審判をされることになる。地元で強い子、有名な子と1回戦でぶつかったりである。

対策はないのか?私が正統派を目指す理由

以上のことから、私の見解では「審判は人間である限り公正ではない」という前提のもと立ち回る。有効打突が、「充実した気勢、適正な姿勢をも って、竹刀の打突部で打突部位を刃筋正しく打突し、 残心ある打突」と非常に抽象的である限り、そこに明確性がない。審判はそれぞれの経験則から伝統的な「剣道」を評価することとなる。審判が「良い」と思う剣道を逆算すると、ルール内で個性あふれる技よりも正統派の「段位のある剣道」が空気を変えられることが可能といえる。

ちょっと抽象的な表現をするが、相手と合気になるだけでなく、審判とも合気とならなければならない。

剣道が伝統継承性を帯びたものである性質も考えて、個性的な技を出すよりも、オーソドックスな正しい剣道を目指した方が無難である。

相手から下がる剣道、すぐ手元をあげる剣道、発声の小さい剣道、引き技・返し技が得意など、段審査になったら評価されない剣道は結局、試合でも「みえない不利状況」が重なっていく。

私の経験則を語る。

高校時代に1本1本の状況で重要な場面で相メンになった時に、私がメンを取ったと思ったところ、相手に全部旗が上がった。相手は当時、道内最強高校の選手だった。試合後、ブチ切れて会場をあとにした。

高校は卒業して、剣道を研究してスタイルを一新、いわゆる、「大人な剣道」。一般の大会にて、完全に無名な状態で出場。構え・立ち回りで相手を圧倒する空気をつくって打突すれば、「う~ん、旗上がるかなこれ?」っと自分の感覚で迷っていたところ、審判が旗を挙げてくれた。

また、歓声的にアウェイだったり、相手が無駄打ちを連発して勢いづいている場合は、構えなおしたところで一度大きく構えて、かなり強く発声をすることで「場」を動かすこともできる

そのようにして、審判が私から1本を取るという「攻め」をしているというバイアスをかける。そのためには、「位」剣道を理解してれば、空気を変えられる多少は可能である。

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