よそはよそ、うちはうち。

当たり前のこととして全員が認識できるものって存在しないよなと思う。人は殺してはいけないとか、こどもや動物は虐待してはいけないとか、それが当たり前のことだと思っているけど、テレビのニュースは殺人やら虐待やらの事件が連日流れている。
これまで生きてきた経験で、自分の中では普通だったことも他人からすれば普通じゃないことなんて山ほどある。だから普通はこうだよね〜と言われるのも、自分が言うのも嫌いだ。分かる〜と共感されることも同様で、私じゃないんだから分かるわけないだろと心の中でいつも思っている。
色々なことを理解してきている我が家の活発娘も、友達との時間が増えて他人様の家との差に疑問を持つことが多くなった。
〇〇ちゃんはひとりの部屋があって、5時半まで遊んでいいって言われてて、友達だけで公園に行ってよくて、最近スマホを持ち始めた。とご丁寧に報告してくる。
報告されるたびによそはよそ、うちはうちだ!とテンプレートの様に自然と発してしまうのは、日本の肝っ玉母ちゃん達が何世代にも渡って言い続けてきた名言フレーズだからだなと思う。昔と今は育て方も遊び方も変わっているはずなのに、相変わらず母は同じことを子どもに言っているのかとなんだか笑える。
子を育てる親の考え方も本当にひとりとして同じ人っていないんだなと最近思うようになった。周りの様子を見て聞く限りだとうちは過保護寄りなのかもしれないが、こんなに物騒な事件が多発するこのご時世で、目の届かないところでフラフラ遅くまで遊び回っている子を見ると自分の子でなくても心配になる。
そんな話を母にしていると、あとで後悔したくないんだよね、と言われた。まさにそれだ。娘の身に何かあったときに自分が後悔したくないのだ。
だからと言って自分の思い通りに言う事を聞く年齢はもう過ぎていることも理解している。様子を見ながら子どもを信じて少しずつ制限を無くしていくのもこれからの親の役目なんだろう。
公園遊びを解禁し、連絡をよこせば多少の帰宅時間の交渉は受けてやると伝えると、行動範囲が広くなった娘は親の目がない友達同士だけで何かをすることに喜びを持つ一方で、まだ少し怖いとも思ったらしい。
5時までに帰ってくればいいよと伝えても15分前には家に帰ってくるし、何か問題が起こったときには必ず電話がかかってくる。解禁したての頃は5分おきに電話がかかってくることも日常茶飯事だった。大抵は誰々が喧嘩してるだの服に泥が跳ねただのすこぶるどうでもいい話ばかりだった。
それが数ヶ月も経てば学校で勝手に約束してきて、帰って宿題を終わらせたらさっさと自転車に乗って遊びに行ってしまうのだから子どもの順応性というのは素晴らしいなと思う反面、やっぱりどこかで心配になっている自分がいる。
そんな話をまた懲りずに母にしていると、小中高なんて可愛いもんだわと言った。遊び呆ける程のお金は持ってないし夜飯作っとけば腹減ったら帰ってきてたと。
あの当時、娘だった私は中高は部活に明け暮れ夕方はとにかく腹を空かせて、友達が誘ってくる寄り道を全て断って真っ直ぐ家に帰ってご飯を食べていた。まさに母のおっしゃる通りだ。15年近く経った今でも当時の友人からは付き合いの悪いやつで通っている。
そう考えたら昔と今では働く人が増えたからなかなか難しいかもしれないけど、それでも家でご飯を作ってくれる人がいるって大事なのかもしれないね、胃袋を掴むって言うのはあながち間違いじゃないんだね、という結論に至った。あくまで我が家の場合。
赤ちゃんのときとは全く違う心配要素が小学校入学と同時にやってきて、これって普通なの?うちが過保護すぎ?もうみんなスマホ持ってんの?と内心ブレそうなことは多々あるけれど、よそはよそ、うちはうち。の精神を忘れず、色々とゆっくりめな娘の成長に見合ったやり方でこれからも向き合っていきたいな〜と思っている。

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