AIと宗教論争 ─ 人類と知性の未来
六年の昔、家の中で書物を開くことに苦悩を覚える私は、近くのモスバーガーという場所へ足を運び、そこで学びを深めることを試みた。やがてその店の中に目に留まるフリーペーパーがあり、手に取り記事を読み進めると、あるメディアアーティストが人工知能に関して、次のように述べていた。
「AIの進化をたどると、人類はかつての原始時代へと戻るであろう。弥生の世に生きた人々が卑弥呼のごとき巫女が伝える神の言葉を信じたように、人類はやがてAIの言葉を信じるであろう。」
私はこれを、宗教と科学が融合した現象と考えるのである。
原始時代より、人々は神々を畏れ敬い、キリスト教や仏教、イスラム教といった宗教へと発展させていった。それらの教えを逆らう者たちは、権力者たちにより罰せられた。しかし17世紀、産業革命が訪れるとともに科学技術が発展し、人々は宗教の教えに偽りがあることを知るようになった。道徳的な意味を除けば、宗教よりも科学を信じる者が大勢となったのである。
AIとは科学技術の成果であり、人々が思考する以上に妥当な推論を出力する力を持っている。このことから、人々はAIの言葉を信じるようになるだろう。この現象は、まるで宗教のようではないか?
人工知能は脳神経を模倣したアルゴリズムであり、導かれる答えはあくまで推論である。その答えは重み係数によって変化するため、正解であるとは限らない。それでもなお、思考を放棄し、この宗教を信じる人々がいるだろう。AIを教祖のごとく扱い、その知識を深めるべく企業へ寄付をする人々が、幸福を求める姿が描かれる。
現在、AIに関しては論争が絶えない。「AIは既に人類の知能を超えている」とする論者たちと、「AIはまだ人類の知能を超えていない」とする論者たちが激しく議論を繰り広げている。まるで、AIの宗教論争が勃発したかのごとく感じられるのである。どちらの主張が正しいのか、それを決めることは我々自身の判断に委ねられている。そして、その判断もまた、所詮は推論であるのだ。
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