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【エッセイ】中学からの友人に会ってみた

中学からの旧友Aに会ってきた。お互い三十を過ぎたオッサンだが、彼はあまり体格も変わってないように見えた。

「おひさー」

「おひさー、元気か?」

「まあ、前よりかは全然元気。」

前回会ったとき、私が休職から明けて出勤練習をしていた頃なのでまだ暗い陰が見えていた時期だと思う。あれから約一年が経ち、やっと私は胸を張って友人に会えた気がした。

私達はお互いの近況を語り合った。まずは転職について。Aは転職を考えていると言っていた。

「職種も変わるの?」

「コンサルタントになりたいんだよね。自分の頭でビジネス勝負したい。」

「おお〜、すごい!」

コンサルタントかあ。コンサルタントはみなさんご存知の通り激務な職種である。私の友人も鬱で倒れたり、土日返上で働いているであろう別の友人も知っている。

人気職種というのは高い給与を得て社会を回しているカッコイイ人達のように映るが、その実態は過酷な仕事に耐えられる忍耐力あって初めて成り立つ。そのような忍耐力を持っているであろう東大を初めとしたエリート、もしくは大会で何らかの実績を持つ若手達を企業は採用する。その中に混じって生き残るだけでもハードなのは、今や人気職種となったエンジニアの私が身をもって体感している。私の無様な姿を見てもAがそのような職種にチャレンジするという心意気が素晴らしいと感じた。

一方で私はもう仕事に対するチャレンジ精神は失せてしまった。適応障害になってからどうにも仕事に対するモチベーションが維持できない。休職中に再開したダイビングや読書に精が出てしまい、全然業務に関連のある勉強ができない。そして自身を制御するためのタスク管理がこれっぽっちもできなくなってしまった。Aの話を聞きながら頑張りたいのに頑張れない気持ちが私の中で燻り続けていた。

「てふなむは将来どの辺に住むの?」

「順当にいけば川崎周辺になると思うけど、結婚相手次第かな。」

「そうか、結婚か。」

「Aは決めてるの?」

「オレもこの辺かな。さっき転職の話したんだけど、今の会社にいると九州とか四国に転勤する可能性があるし、今住んでる地域からでたくないんだよね。子供の世話しなきゃいけないし、親の介護もこれからあるだろうし。」

「家とか買うの?」

「買うよ。」

「戸建て?」

「戸建て買うよ。都内に。子供がいると、そっちの方が便利だよね。」

Aは三歳の息子を育てながら、今後の人生設計を組み立てていた。未だに独身を謳歌している私には、言葉の端々から父性が現れる友人が眩しく見えた。見た目の変化は見られないが、同じ高校を卒業してから十数年経たAの精神的な強さが確かにそこに光り輝いていた。

Aを見てるとこんな事を考えてしまう。私はもしかして人生の選択を間違えたんだろうか?誰かと付き合うこともなく、ただ自分への劣等感を埋め合わせるためだけに恋人を作らず大学四年間の時間を勉強に当てた。私は頭が悪いから、それでもギリギリで大学を出て国立大大学院の受験をし、今の会社に入ったが結局適応障害で倒れてしまった。今までの努力は全てムダに感じた。

社会に出たらどれだけ努力したかは大して関係ない。エンジニアならどれだけ早く正確なアウトプットを出せたかで勝負が決まる。どれだけ苦しそうな顔をしたところで、それを見てる同僚は腹を立てるだけだ。

一回ダメになったらどうしたらいい?

また仕事につながる種を蒔くしか無い。今のところ、今度自分は誰になるのかわからない。私のキャリアプランは舗装されてない線路みたいだ。

でも、どうせ過去には戻れない。自分の身体的特徴、思考プロセス、周りの環境が今の自分を作り上げたが、これらの要因を修正するのは難しい。きっと何回人生を繰り返しても同じ結果にしかならないような気がしてる。だから、どうせ過去に戻ってやり直したとしても今の自分と大して変わらないだろう。それと、人生の選択は失敗したかもしれないけど、選択したおかげで出会えた人達がいた。それだけでも貴重な人生を送れてるんじゃないか。

三十過ぎて、責任能力の無い私だけど、またゼロに一を足す作業を始めていこう。今度は、ゆっくりと。生きてればまた良い人に巡り合えるさ。

気づきを与えてくれたAに感謝します。また今度も市ヶ谷の日高屋「とんこつラーメン チャーハンセット」食べながらお話しましょう。

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