駆け抜ける郷愁と一条の郷愁 第13話

【前回の話】
第12話 https://note.com/teepei/n/n751d67be6ab2

鰐男。

 紛うことなき怪人である。
 急に本気を出すのは如何なものだろうかと思う。
 しかし物語にかこつけた俺への当てこすりならば、自業自得と言われても仕方がない。いかに理不尽とはいえ相手は作者なのだ。立場上の力関係は、ひとまず飲み込むことを性質とする。もちろん逆襲を前提としているから、いや、そうであることを糧にして現状の打開を試算してみる。
 弾ける金属音が響き、固く閉じられた錠が開く。心の中で舌打ちする間もなく、そいつは突進してくる。目標が俺であれば物語はここで終わりだ。
 教会で生き返るような特殊な機構が組み込まれた世界なら話は別だが、もしかして作者は物語を終わらせようとしているのか。
 雇ったものの文句しか言わない社員に閉口してペナルティ覚悟の免職を実行するような、いわば一蓮托生とも言える選択を強行するのではなかろうか。
「ごちゃごちゃうるさい。お前の言葉数も物語を停滞させる要素だと知っていたか。何も俺のせいばかりではないのだからな。それに安心しろ。鰐男を直接ぶつける無茶はしない」
 人の思考を覗いておいてうるさいとは勝手な話だが、まず餌食になったのは蛙男だった。
 単純な突進ではあるが、立ち直り切れていない蛙男は素直に受け止めてしまう。先ほどよりも深く壁にめり込み、崩れる瓦礫から身を起こしたのは鰐男だけだ。
 素早く飛びのいていた俺と亀男は、ちょび髭たちの仕切りを背に様子を窺う。
 蛙男と同じく知性的な静けさは勿論ないが、それ以上に獰猛な渇えが激しく脈打つ。前に突き出た口が開かれ、ぬらりとした腔内で幾重もの鋭い歯が残虐な事後を思わせる。
 既存の怪人二人の攻撃力も捨てたものではなかったはずだが、合致の妙が有り余る鰐と怪人の組み合わせの前では歯が立ちそうにもない。
 そして俺は、臆面もなく言ってしまえば心底震えた。震えた自分を露呈させないことに忙しく、打開の試算にまで手が回らない。
 不意を突き、果敢に蛙男が背後から飛びつくも、何気ない腕の一振りで横に飛ばされる。間合いが詰められ、間髪を入れず亀男が正面から襲撃を企てる。しかしこちらも腕のひと薙ぎで終わる。
 浮かれた笑い声がやや品性を欠き、スピーカーからちょび髭の声が響いた。
「驚いたろう。そいつの凶暴性は先の二体をはるかに凌ぐ。人間を基礎にしていないからな。鰐そのものがヒト化している。つまりヒトのように理性的なブレーキなど最初から持ち合わせていないのだ」
 理性が人間だけに許されたものとするのは人間が人間のみを理解するが故の傲慢が作用しているようにも思え、しかし力の振り切り方には歴然とした差が生じるだろうとも思う。具体的に言えば初心者と熟練者ほどの違いはありそうだ、と、ここで己の思考が説明を促すために利用されている可能性に警戒した。停止することで抗い、そもそも震え慄くことに忙しかったのではないかと訝んでみる。そして未だ見えてこない打開の糸口に苛立った。
 蛙男が再び背後から掴みかかり、同じように振り払われる。彼に建設的な思考が内在するのか知らないが、愚直とも言える繰り返しには恐怖の片鱗が見られない。

 恐怖。

 今、俺を縛り付けているのはそれだ。
 打開の糸口から遠ざけているのは俺自身であり、恐怖だった。
 鰐男は恐怖そのものだ。恐怖が人を縛り付け、動けなくなることで新たな恐怖を引きこむ。だとするならば、まずは動くべきだ。
 鰐男めがけて駆け出す。
 亀男が、やめろ、と叫ぶのを聞く。
 当然だろう、誰がどう見たってかないっこない。
 それでも俺は、足を止めなかった。
 鰐男が口を開き、最も強力なその武器をとうとう攻撃に使用する意思を見せる。
 迷いなく、そこめがけて飛び込んだ。

***


 何故、鰐男に飛び込んだ。

 蛙男の動きに触発されたからか。しかし待て、書いているのは俺であって、飛び込ませたのも俺だ。しかし、だとするのならばこの後どうするつもりで俺はこの記述を進めたのだ。
 
 やはり違う。
 これは、あいつの打開策だった。

 鰐男を直接ぶつける無茶はしない。確かに俺はそんなことを言い、奴を殺す気がなければ、つまり物語を終わらせる気もない。
 そこに賭けたのではないか。
 そうとは言え、残虐な事後さえ連想した鰐男の口である。
 俺の書く物語、つまりあいつの次元の世界では紛れもない現実であり、『残虐』と表現されるほど生々しい恐怖だ。それは血塗られた湿り気と肉の潰れる触感であり、肌感覚にひりひりと染み入る。その全てに抗い、自分を取り巻く世界以上の存在に賭けた。
 その判断は、今こうして書き出しているほど安易ではないはずだ。

 次元の裂け目。

 ここに来て、自ら記した冒頭の言葉が頭をもたげる。
 次の段階へ、その扉をあいつが叩いている。

(第1部 完 第2部へ続く)
【次の話】
第14話 https://note.com/teepei/n/nd280d23251bc

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