駆け抜ける狂騒と一条の郷愁 第9話

【前回の話】
第8話 https://note.com/teepei/n/n8a703ed9546a


「…というわけだがね、どうだろう、君がこれから乗り込むべき船は、いや、戦艦と言っていい、もはや世界を制圧していると言っても過言ではない状況にあるのだ。さあ、同志よ。我らが靴下のもと、世界をこの手に」
 そう突き上げられた拳を眺め、靴下のもと、とはよほど低い位置だなと想像しつつ我に返っていたことを知る。そしてもちろんなにひとつ聞いてないわけだが、言うべき科白はこうだ。
「くそくらえ」
 一切の文脈から解き放たれた唐突な一言ではあるが、一切を暴力的に破壊するには十分だった。ちょび髭の唖然とした顔。拒絶されることなど微塵も考えていない、突き上げられた拳。行き場所を失った文脈は自ら着地点を求めて彷徨う。
「排泄物に対してそのように振る舞う文化が私にはないのだが…それはつまり、そうしろ、という意味で…そのまま捉えるべきかね」
 恐るべき回答を以てして対抗してきたと言える。そして勿論、そのままの意味で捉える馬鹿、というよりこの場合は変態という分類に振り分けるべきだろうか、この場面で歓迎されるわけがない。
「まどろっこしいな。拒絶の意でお願いしたい」
「なるほど。よかろう。しかし拒絶の意を示すために私に排泄物を摂取させるというのは」
「そこはもういい。あんたの計画を全否定した俺をどうするのか、そこから始めてくれ」
「なるほど。よかろう」
 バグのように繰り返された台詞が、俺への処遇の切り口になるようだった。
「計画の全容を知った者に残された道は二つ。我らと思想を共にするか。自主的にここを辞めてもらうか」
「自主的に辞める、だと」
「そうだ。会社都合で一方的に辞めさせるわけにいかないからな。あくまで本人の意思で辞めてもらう」
 まるで本性を現したかのような悪い笑みが、ちょび髭を覆う。なるほど、あくまで本人の口から辞職を引き出すように、あの手この手で誘導するつもりか…とまで考えてから、いや待て、そういうことではない。何をさっきから真っ当なことを言ってるんだ。いや、本来良くないことではあるが違うのだ。あいつは一体このくだりから、何が得られると思ってるんだ。
「ちょっと弱くないか」
 何がだ、と返すちょび髭を差し置いて、記述を進めるあいつへ問い掛ける。
「ここはいっそ俺の命を奪うくらいのくだりにしてもらわないと」
「まあ、それはそうなんだが、しかしそれはそれでこういう場面ではベタ過ぎる」
 突如噛み合うちょび髭の会話に、向こう側のあいつを見出す。
「だけど自主的に辞めるってなると、ここから先は俺への地道な嫌がらせの描写に入らざるを得ないわけで、そもそも俺はここにいたいわけじゃないし、孫はどうなるんだ」
 沈黙。沈思黙考というよりは、一時停止に近い。微動だにしなくなったちょび髭だが、構わず俺は続ける。
「ここはおとなしくベタな非日常に落ち着くべきだろう。非日常に意外性を求めて差し挟んだ日常に意外性はない」
 露呈された矛盾があいつに響くのか、それは分からない。一時停止に近い場面は次第に息づくものが戻り始める。
「よかろう。そういうことならば、ここで死んでもらおう」
 悪い笑いがようやく馴染む。何事もなかったかのように、二つの目の選択肢は書き換えられたようだった。さて問題は、その方法だ。
「ちょうど良かったよ、世界征服の足掛かりとして開発した兵器があってね。テストがまだなんだ」
 それらしい科白を言ってくれるじゃないか。奇妙な安堵と感心に揉まれ、本来抱くべき危機意識に靄がかかる。歯車がきしむ音を立てる。左手に聳えていた壁の存在が意識に割り込む。機械的な直線は、それまで存在していなかったはずの境目を示し、壁向こうに備わる空間を仄めかした。もったいぶるように引き摺り、重い響きと共に壁が引き開く。

 何かいる。

 人影ではあるが、標準的ではない異質さがここかしこに見られる。それは大きさであり、構成するパーツの太さであり、遠目でも贅肉ではなく筋肉に裏付けされていることが伝わる。丸みを帯びた頭の影。スキンヘッドの厳つい筋肉野郎のイメージが脳裏を過る。ゆっくりとこちらに歩み出すそれは、しかしそのイメージを越えたものだった。
「紹介しよう。亀男だ」
(続く)
【次の話】
第10話 https://note.com/teepei/n/n6f152c3670f0

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