駆け抜ける狂騒と一条の郷愁 第4話

【前回の話】
第3話 https://note.com/teepei/n/ne457fed02618
***

 振り返った先から視線を前に戻すと、少女がいた。もう一度振り返ると少女はいない。周囲は少女とすれ違う前の景色に戻る。結局、少女を起点にするのか。だったら最初から通過なんてさせんじゃねえよ、冷や冷やさせやがって。糾弾の嵐をひとまず収め、改めて起点を担うことになった少女へ向かう。
「こんにちは」
 人影も見えない朝の設定でこの挨拶なのかと再び糾弾が顔を覗かせ、それでも半ば諦めに近い形で設定に対する放棄はある程度見過ごすことにした。あいさつを口にした少女へ意識を戻し、俺は自らが口にすべき科白を用意する。
「こんにちは。ところで、何してるんだ」
 こんな唐突な状況で、と続けたいが省略する。物語が始まる予告を受けた上、白々しくも唐突さを追求する無駄なんて省いて然るべきだろう。とは言いながら、振り返れば無駄ばかりが目立つ。
「助けてください」
 ほら来た。
「助けるって」
「逃げてきたの」
 微かに会話の噛み合わせの悪そうな予感を覚え、少女の年齢を慮る。
「それじゃあ追われてるってことだな。ひとまず逃げるか」
 妙に飲み込みが良い俺は、登場人物としては不適切かもしれないが事情が事情だ。全てを受け容れ、促されれば抵抗もしない。そして少女もそんな俺に違和感を抱く様子も見せず、俺の歩き出した方向へ付いてくる。
「それで、追われてるって、誰に」
「悪い大人たち」
 逃げ出す割にはのんびりした出だしで、歩きながらの問いは脇にいる少女から抽象的な
答えしか引き出せない。
「その大人たちに名前はあるのか」
 しかし、その先は無言しかなかった。会話が成立するほど少女の年齢が達していないのか、引っ込み思案なのか、それとも。
「まだ決めてないんだな。大丈夫か?だいぶもたついてるぞ」
 脇を見遣ると少女は無言で前を見つめている。このままだらだら歩かせるつもりか。
「ブックエンド」
 不自然なほど空いた間を一切無視して少女が答えた。それは単純な文房具の名前だったはずだが、と過る不安を抑え込み、ネーミングセンスにいささかの疑念を抱く。単純なように見えて実は複雑な含意を含む、というような裏切りがあれば別だが、まあ期待はできないだろう。
「大丈夫。都合が悪くなったらあとで変えるから」
 淡々とそんなことを口にして、少女はやはり前を向いたままだ。無茶苦茶なこと言っているが、それは少女の向こうのあいつだろう。幼い少女に何しゃべらせてんだ。
「まあ、じゃあ、その、ブックエンドで」
 そして無言。もう少しコミュニケーションを取る設定であってもいいはずだが。そう心で愚痴り、そもそも設定に無頓着であったことを改めて思い知る。
「その、ブックエンドは、なんで追ってくるんだ」
 いまいち危機感も足りないネーミングに思いやられ、もはや少女の向こうにいるあいつに話しかけている。退場、だなんて言葉ばかりの詐欺行為だ。
「分かんない、でもね、いつも、狭いところに連れてかれちゃう」
 少女の口ぶりに再び幼さが現れる。都合のいい介入だ。そして追ってくる理由もまだ決まってないに違いない。
「分かった」
 物語上何も分かっていないが、ひとまず現状について理解を示す。仕方ないだろう。作者の怠惰に理解を示し、なだめすかして物語を進めてもらうより他ないのだから。
「もたつくなよ」
 それでもひと言の釘を刺し、すると少女はふと足を止める。見上げた視線が俺を捉えたのち、徐に振り返った先で何かを捉えたらしい。釣られて振り返り、結局それが追手だと気付く。逃げることに関しては体裁を取り繕う程度で良かったのだが、やれやれ、とかぶりを振り、おそらく走らなくてはならないだろう事実にうんざりする。
「もたつくなってそういうことでもないんだよ」
 愚痴のような、微小の哀願を差し挟むがもう遅い。少女の手を取り駆けだすしかないだろう。そして思った通り思うほどうまく行かず、少女の駆け足は伸びない。このまま少女に合わせるか少女を背負って走るのか、そんな比較衡量を強いられた結果、俺は自らの体力を差し出すことにした。

 おとな二人を撒くというのは例え俺一人だとしても簡単ではない。少女を背負っていればなおさらだが、おそらくそのために都合のいい幸運が訪れ、つまり手前を折れ込んだ先は複雑な路地になっていたということ、暫くの意図的な迷走ののち抜け出した先にタクシーがあったということ、のお陰で追手を撒く。タクシーはのんびりと、それでも追手を撒くには十分な速度で車道を行った。とんでもない労力を強いられた結果を汗に思い知らされ、ようやく寛ぐ。とりあえず出して欲しい、との依頼に応じた運転手は、暫くしてから、それでどこまで、と呑気に問い掛ける。
「それじゃあ、取り敢えず隣町へ」
 それ以上の回答は用意できず、隣町の輪郭が不安定な産声を上げる。

 やっぱりもたついてやがるな。

 少女は、快適に進む窓の外をぼんやりと眺めていた。
(続く)
【次の話】
第5話 https://note.com/teepei/n/n4779324f8789

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