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駆け抜ける狂騒と一条の郷愁 第1話

第1部 ある男 

 だらしなく着込んだシャツの裾がはみ出て、気付く様子もないまま上着を脱ぎたてのサラリーマン風の男は宇宙人だという。

 どんな経緯かは知らないが、そのまますれ違ってもおかしくない程無関係でしかなく、それが俺の顔を見るなり、そうそう思い出したと言わんばかりに当然な口調でそう言った。

 だから飲み込めないのも当然で、声さえも認識できず、そもそも俺に話しかけているのだとようやく認識できた途端、聞いたはずの科白を反芻すればするほど結局は認識を疑う。

「いや、確かにそう言いましたよ」

 なんのためらいも見せない男は、何でもないように見えて唐突さの醸す違和感を拭えていない。

 だがしかし、ここは交差点だ。
 限られた時間に気付き、とりあえず、と立てた親指を背後に投げる。
 そうですね、と点滅し始めたはずの俺の背後の青信号を眺めているようだった。

 特に行く当てもなかった俺は、ひとまず相手の進行方向に合わせ、横断歩道を引き返す。
 ちょっと振り返ってみれば、確かに男は付いてくる。

 伸びすぎず短すぎもしない髪を横分けになでつけ、眉も目も口も線が薄い。

 陳腐な表現に陥るが、それでもやはり中肉中背と言わざるを得ない。
 例えば何か事件を起こしたとしても、どんな男かと聞かれて表現に困る。

 それだけに、先ほどのやり取りが急に霞むが男は確かについてきて、人違いでもなければ気のせいでもないようだ。

 確実にいる男の存在をぼんやりと感じ、背後の違和感はあまり気持ちいいものではない。

「それで、何だって」

 戻った横断歩道の始点には木を囲うベンチがあり、促しながら腰を下ろしつつ口火をきって落とす。

「はい、私、宇宙人なんです」
 それは聞いたが、聞いたからと言って何なんだ。
 他に促せる会話の先を俺は知らない。
 手元のカードは何もなく、話の接ぎ穂を失った俺は次の一手を相手から待つ。
 
 ただ男を見つめるだけの時間。
 気まずさを意に介さず、男は何も続けない。

 結局俺から切り出さなくてはならず、それは問いかけを繰り返すという苦痛だ。
「それで、宇宙人だとして、俺に何か用」
「はい、あなたには次元の裂け目を担って頂きたい」
 進めてみた問いかけを激しく後悔し、もやつく頭に何やらカフェインらしきものを補いたい衝動に駆られる。
 意図よりも先に視線が彷徨い、自動販売機を求めていた。

「これを」

 と相手から差し出されたのは無糖の缶コーヒーだ。
 察しが良い、と言えばいいのか、勿論それだけでは足りない。

 むしろ気持ち悪さが残る。

 それは素直に缶コーヒーを受取れない気持ちに繋がり、躊躇が動作を引き取める。

「毒は入ってません」
 冗談なのか、僅かに現れた挙動を汲み、相手がそう答える。
 俺には、しかし相手の表情から何も汲み取れない。
 口角がわずかに上がっているように見え、かろうじて微笑みに近い印象を受ける程度だった。

「さっき、ほら、その横断歩道の向こう側に自動販売機があるでしょう、あそこで買ったんですよ。
 だから、まだ温かくもある」
 そう差し出されたままの缶コーヒーを見つめ、生来潔癖でもない俺はとうとうそれを手に取る。
 
 熱い。
 温かいどころか熱い。

 反射で手放しそうになり、掴み直すことを何度も繰り返す。
 これを何事もなく差し出し続けていた相手は相当鈍感なのだろうか、だとしても低温やけどくらいは免れ得ない。
 そうは思うが、そもそも得体のしれない相手のやけどなどどうでもいいことだ。
 
 そうして得体のしれないことへの言及もそろそろしなくてはならないと思い至る。
「さっき、何て言いましたっけ」
「宇宙人、ですか」
「いや、そのあと」
「ああ、次元の裂け目、ですか」
「そう、それは、何というか、どこから聞けばいいのか、担う、とか、そういうもんなんですか」
「はい」

 相手が簡潔に終止符を打つ。

 コーヒーはありがたく頂いたが靄は一切晴れず、そもそも質問の切り口が掴めない。
 本来なら不審人物として突き放していいはずの相手に、まるで禅問答のような苦痛を与えられているのは何故なんだ。
 そして相手に一切の悪気は見えない。

 しかし悪気がないからと言って罪がないわけではない。
 そんなことを考えながら、まずは宇宙人ってとこから攻め直してみようか、と思う。
 しかし同じ終止符を楔のように打ち込まれる想像が浮かぶ。
 萎えた心を引き摺るようにして、他のカードが見あたらない俺は仕方なく切り出さざるを得ない。
「宇宙人、って」
「はい」
「どこから来たんですか」
「どこから」
「ええ」

 暫しの間。

 そんなに突拍子もないことを聞いたのだろうかと検分し、むしろ宇宙人と聞いてこの問い掛けほど無難なものはない。

 無難どころか陳腐だ。

 陳腐さに警戒を怠らないことを心掛けているはずの自分が先ほどから陳腐さにはまり込んでいる気がして、それを全て目の前の動揺のせいにしてみる。
 
 ああ、と気付いたようにして、男が会話を接ぐ。
「そうですよね、宇宙人か、そうなるとそう思いますよね、普通は」
 科白の終わりに添えられた『普通は』が、いやに強調して聞こえた気がしたが気のせいだろう。
 引っかかるものを無視して、次の科白を待つ。

「そうですね、宇宙、は宇宙のどこかというよりも宇宙の涯、というが近いですか。
 もっと言えば、宇宙というのをこの世界と言い換えるなら、この世界の際の向こうから、ですかね」

 それならば最初からそう言えばいいと思いながらもそれはそれで掴みどころがない。
 どういうことかと尋ねたいところだが、その結果がこの回答であることに気づき、結局は堂々巡りに陥るだけだろう。
 腑に落ちないのは顔にも出ていたようで、俺が何も言い出さないうちに相手が続ける。
「そもそも私の存在はこの世界にあるのではなく、際の向こうにあります。
 そこからあなたの世界に干渉し、反映された姿がこれです。
 そしてあなたに投げかけられたように見える私からの言葉は、実はあなたの内で生成されている。
 あなたが腑に落ちないのは、私の伝えたいことに対してあなたの、もしくはこの世界の認識が及ばない部分を含むからかもしれません」
「つまり、あなたが伝えたいことは、そもそも俺には理解ができない、と」

 遠まわしに馬鹿にされた気がして、微小な傷がわずかな反発を生む。

「あなたに、というよりもこの世界に、かもしれません。
 あなたの意識はあなただけのものではなく、あなたの向こう側の意識にも実は繋がっています。
 それはこの世界そのものとも言え、つまりそれでも表現しきれないのなら、結局この世界には適切に沿う言葉ない、とも判断できる。
 もしくは、やはり、あなたというフィルターが、あまたある言葉の中から適切に抽出できていないだけなのかもしれません」

 そうではない、とフォローされた気もするが、結局は同じところに着地してないか。
 簡易な詐欺にあった気分で、そう言うことならば、と腑に落ちないまま溜飲を下げてみるがうまく下がるはずもない。
 見せかけの納得とわだかまりを抱え、そう言えば何の話だったっけ、とよくある罠にはまっていることを知る。

 自ら仕掛けた罠ではあるが。
 
「まあ、つまり、どこそこの星から来た、という単純な宇宙人ではないってことですかね」
「そうですね、その表現は慎重で適切ですね」
 ようやく溜飲の下がる思いで、褒められた子供のような気分になるが、結局は手の平の上で転がされているに違いない。
 そんな警戒を怠るまいと心に決め、とうとう本題に切り込む。

「それで、次元の裂け目、って」
「それも、まあ、その言葉で表現されるのであればそれ以上でもそれ以下でもなく、そのままです」
 なるほど、受け手の抽出した言葉が全て、と責任を押し付けるらしい。
 それにしてもあの手この手で言い方を変えて、その輪郭を掠ったりなぞったりするようなのでもいいから他に言いようもあるのではないか。
 一点のシミは、急速な不満に膨張するがやりどころもない。

「なるほど、確かにもう少し努力する必要が私にはあるかもしれない。
 分かりました、それでは説明を試みてみましょう。
 次元の裂け目ですよね、つまり、本来なら成し得ない低次から高次への干渉を可能にする、いわばその鍵のような存在、ですか。
 
 そしてそれは、説明の便宜上次元を階層構造と仮定するならば、次元の貫通を意味します。
 
 私はあなたにこうして干渉していますが、それでも間接的と言わざるを得ない。
 もし、あなたを起点に裂け目が、次元の貫通が成し得れば、私の干渉さえもより直接的な意味を持つ。
 それどころか、おそらく全てにおいて次の段階へ入る」

「なるほど、掠ったりなぞったりした結果がこれだとしたら、説明をせずに収めたあなたが正解だったかもな。
 それからちょいちょい気になってたんだけど、あなた俺の思考を直接読み取ってるよね」
「はい、宇宙人ですから」
 いやいや宇宙人であれば読み取れるという設定もがさつじゃないか、と心で突っ込みながら、そういう超越した事実はさりげなく会話に織り交ぜないで欲しいと切に願う。
「これは失礼しました、調整が難しいもので」
 もはや俺には理解できない事情が相手にもあるようなのでひとまず納得してみる。


しかし、だ。

 ここまでの会話、ひとまず進めてみたものの、振り返ればそのまま全てを手放しで信じろ、というのも随分暴力的ではないだろうか。
 相手が話した中で唯一の事実は、とにかく直接思考を読み取れるってことだけだ。
 確かにそれだけでもぶっ飛んでいるが、それを以てして、今まで話した全てを信じるにはさらに規模感が違う。
宇宙の最果てのさらに向こうからやってきた、よもや宇宙人という言葉でもギリギリ捉えられるか、という存在。

 なんだそりゃ。

 大体思考を読みとれるまでが事実とするのなら、超能力を持った人間、でも間に合う。
 それでさえも本来異質であるはずだが、この際、相対的に一般的な側に括ってもいい思うくらいに、要は異常であると俺は認識する。

「それは警戒がそうさせているのであって、もっと心を柔軟に、ガードを下げて物事を受け容れてみてください。
 そうして頂くため、あなたと相対する私は警戒心を抱かせないような平均的な人間が映し出されているはずでしたが…」

 平均的な人間。
 なるほど。

 軽犯罪に適した印象の薄いこのサラリーマンも、そういうものを映し出す要求に対して俺の中で生成されていたというわけか。

 しかしふと、違和感が過る。

「さっきから気になっていたんですけど、ワイシャツの裾、出てますよ」
 ああ、と言いながら相手は裾を入れ直す。
 これも、俺が生成した一場面なのか。

「平均的な人間」
 と、俺は口に出して言っていた。

 言おうが言うまいが直接思考を読みとられてしまうのだから関係ないが、俺は口に出していたのだ。

 それは何かが発露する兆しだ。

「平均的な人間の全てを、俺は裾のはみ出た人間と見ているわけですか」
「あなたがそう見えているのならば、そうでしょう」
「違う」
「はい」
「その裾には違和感がある」
「はい」
「あんたは何者なんだ」
「はい」
 突然壊れたおもちゃのように、相手は、はい、としか言わなくなった。
 会話が成立しない。
 主張に差し出された異議を、平然と『はい』で受け入れ続けるのは、単純な事実ではあるが人間業でもない。

「それは、あなた方全体が無意識にも論理的に生き、またそのシステムに組み込まれているからです。
 矛盾した会話をしろと言われてやったとしても、僅かに残るしこりは無視できない。
 しかし、わたしは高次の世界からあなたを覗いているわけだから、この世界の仕組みは瞬時に突き放して見ることができる。
 はい、で答え続けいたのも私の意思がそう答えていたのではなく、干渉を突き放した時の自動対応だっただけです」

「それもまた、あんたの存在を信じる一理である、と」
「そう思って頂いても構いません」
「だが違う」
「はい」
「確かに、あんたは何かを超越している。
 だがこれまでの会話で話された設定はすべて作り物だ。
 この違和感が、そう言っている。
 そしてこの違和感がそう思わせるなら、違和感の起点であるはみ出た裾、という状況を生成させたのはあんただ」
「はい」

 糞。
 
 自動対応の返事がこれほどまでにやりにくいとは。それでも構わず進める。
「あんたは、俺に何を気付かせたいんだ」
 
 その問いかけに、相手は無言だった。

 なにもしていないわけじゃない。
 俺の問いかけに対して、相手は言葉を発しないこと選んだのだ。
「あんたは、何者なんだ」
(続く)
【次の話】
第2話https://note.com/teepei/n/n10a9b34314be

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