駆け抜ける狂騒と一条の郷愁 第10話

【前回の話】
第9話 https://note.com/teepei/n/nad40a420c186


 亀。

 おそらく改造を施された怪人などの異形であろうことは察していたが、亀。要素にしたいと思えるほど怪人に特化した特徴が亀にあるとは思えず、しかしそれは己の無知ゆえかもしれない。ここは堪え時である。
「亀は、水の中では案外早く泳ぐだろう。そこに秘められた力を見出し、亀の染色体と人の染色体を融合させた兵器として完成したのが、この改造人間だ」
 確かに思ったより早く泳ぐ。そこに力が潜在すると思えない自分は想像力が欠如していたのだ。そう思うことにした。しかし由来が何であれ、筋肉量からは相当の破壊力が伺える。案外危機が迫っていることを、思いのほか肌で実感する。
「さて、怪人第一号のお手並み拝見と行こうじゃないか」
 ちょび髭がそれなりに不敵な笑みを見せ、お披露目会の体を決め込む。ゆっくりと歩み寄り、立ちどまった亀男の位置は尋常の間合いと言える。そこから踏み込むことが攻撃を意味するのだろう。その後に動きが続かず、しかし様子を見ているわけでもない。垣間見たものがためらいであったようにも思え、その楽観は油断につながるとして切り捨てる。だからと言って闘う術を持つわけではない。
「私にはできない」
 亀男の告白は一切の流れを止める。ようやく漕ぎつけたここまでを台無しにして、見かけの割には繊細な震えを持つ声音が後を続ける。
「私は靴下のもたらす神聖のもとに安寧を見出した。それは、壊すべきではない」
 再び沈黙するちょび髭だが、鋭く見据える視線が息づく。
「忠誠はどうした」
「誓ったのは靴下にであって貴方にではない。ましてやこの会社などにではなく、靴下は破壊や支配を求めていない」
 もはや靴下の語に他の何かを代入したほうが円滑な気もするが、とにかく象徴として昇華された『靴下』なるものは亀の中でよほどの地位を占めている。正気を取り戻した自分に安堵はしたが、この亀ほどに心酔も過ぎれば、それはそれでこの上もない安堵に達するのだ。好例を目の前に、場違いな感心を懐に抱く。
「生意気な。靴下の示す大いなる意志は、この私が最も理解している。お前ごときの解釈が至高に辿り着いているなど、思いあがりもいいところだ」
「あなたは靴下の意志を利用しているだけだ。靴下の持つ尊厳に自ら従うようでありながら周囲に従うことを強要し、それは靴下への忠誠という擬態だ。その実、あなたはあなたの支配を実行しているに過ぎない」
 亀にしては的確な指摘で、懐の感心はさらに深まる。それこそ靴下に他の語を代入すれば、世の中に溢れたインチキがよほど炙り出されるに違いない。しかしそれはまた別の話だろう。そして核を抉られたちょび髭は、と言えば、案外動揺もせず鋭く見据えたままだ。
「なるほど。そこまで私を愚弄するとはな、どこで間違えたのか…、良いだろう、お前のような失敗作は廃棄するに限る」
 二人の会話に取り残され、ついでに廃棄されることとなった己の処遇に憐れみを禁じ得ない。再び壁の奥から人影が現れる。ちょび髭の前で壁を作り、いくつもの銃口がこちらに向けられた。
「やれ」
 人垣の向こうで無機質な科白が投げられる。一斉掃射の激しい銃声が響く。しばらくして落ち着き、本来であればその状況まで辿り着けずにこと切れていたはずの意識がまだあることに気付く。目を開くと影が覆っていた。
「この程度の火器は通じないか。思わぬ形で成果を試すことになったが、上々の出来だな」
 ちょび髭の科白に満足げな響きがあり、しかしその内容からするとこちらを仕損じている。覆う影は亀男だった。盾となって掃射から俺を護ってくれていた。
「まあ、そもそもが小手調べのつもりだったがね」
 負け惜しみとも取れるが、ちょび髭の割には堂に入った悪い面構えをしている。インチキ感が薄れることは大変好ましい。しかし厄介な奥の手は勘弁してほしい。そう願う間もなく、ちょび髭の上げた右手が奥の手の発動を促す。聴覚でもなく視覚でもなく、神経に触れる何かが、開かれていた壁の奥へと意識を促す。しかしよく出てくるよな。呆れた格納力を持つ壁の奥に、やはり人影らしきものがうごめく。そしてまずは異常な大きさに気付かざるを得ない。亀男も頭ひとつ分大きいが、それはさらにひと回り上をゆく。
「怪人第二号、蛙男だ」
(続く)
【次の話】
第11話 https://note.com/teepei/n/n42889248e999

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?